第9話 『静かなる侵略』
冬の陽が低く、斜めに地表を撫でている。
それは、ある日突然始まったわけではなかった。ただ、草たちには確かに「異変」として感じられたのだ。
日中の気温は例年より高く、霜が張ることもほとんどなかった。だが、それでも。今は冬のはずだ。眠るべき季節のはずだった。
「……チガヤ、あれ……見えるか?」
スギナの声には、普段の張りがなかった。いつもなら、見つけた雑草をいち早く報告し、駆除の指揮を執るような声色だ。けれど今日は違う。震えている。草である彼が、根元から揺れているのがわかった。
チガヤは地面を這うように伸びる緑に視線を向けた。まだ完全に広がってはいない。だが、その密度、その張り付き具合は……。
「……あれが……“奴”か」
言葉に出すのを躊躇った。それは名前を呼ぶことで、侵略を現実のものとしてしまう気がしたからだ。
「クラピアだよ、間違いない」
セイタカアワダチソウが口を開いた。声は乾いていて、どこか焦燥が滲んでいた。彼は過去に一度だけ、クラピアの拡大を見たことがある。ある空き地の全てを覆いつくした悪夢のような光景。そこに他の草の姿はなく、ただ一面、緑。緑。緑……。
「嘘だろ、あいつ……冬だぞ。こんな時期に……」
スギナが呟く。
「それが、奴のやり口だ。冬の終わりに動き始める。他がまだ眠っているうちに、根を張り、勢力を拡大する。そして気づいた時には、もう……手遅れだ」
セイタカの言葉に、空気が凍った。
——地を這う、常緑の侵略者。
——根を張り、断ち切っても残滓が蘇る。
——覆われた地面は、二度と他の草の種を許さない。
それがクラピアだった。除草剤すら、広範囲に撒かねば効果を成さず。引き抜こうにも、地下茎はしぶとく土に残り、数日で復活する。
「このままじゃ……俺たち、春を迎えられねえかもしれねえ」
チガヤが吐き捨てるように言った。冗談ではなかった。日々少しずつ、あの緑は広がっている。昨日と今日で、明らかに違う。しかも、花壇の端から始まり、今やレンガの隙間にまで入り込んでいるのだ。
まるで、「ここは私の領域」とでも言うかのように。
「スギナ、セイタカ。これはもう……奴の到来と見ていいのか?」
チガヤが問いかける。
「いや……違うな」セイタカが首を振った。「これは“予告”だ。奴はまだ、本気を出していない。ただ、ここにいるという宣言をしただけだ」
恐怖が走った。これが、遊び半分の侵略だというのか。
「じゃあ、本気を出したら……?」
誰かがそう呟いた時、遠くから風が吹いた。冷たくも湿った、どこか腐葉土のような匂いを孕んだ風だった。
スギナはその匂いに微かな違和感を覚えた。何かが……目覚めようとしている。まだ沈黙のまま、ただ密やかに、地面の奥底で、春の胎動を待っている。
「気づかれたな、我らの存在に……」
スギナの根の奥がざわついた。
まだ、始まりに過ぎない。だが、それこそが一番恐ろしい。草たちの戦争は、いつも静かに、音もなく始まるのだ。
そしてその日は確かに来る。春。
新芽が顔を出し、陽射しが強まる頃——
奴は、笑っているかもしれない。
《第9話 静かなる侵略》
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