第72話:出発
今の時間は、朝の六時ちょっと過ぎ。私たち大葉中学の三年生たちは大荷物を持ったまま学校のグラウンドへと集まり、そこで先生たちによる有難くも長ったらしい注意説明を聞いていた。
「いいかぁ~、すぐに使う必要のない物は今のうちにキャリーに仕舞っとけよぉ~?持ってても荷物になるだけだからなぁ~。それと、財布とかしおりは手持ちのバックに入れて、絶対に無くさないようにしろよ~?」
学年主任の先生が、グラウンド上に腰を下ろす私たちを見回しながら基本的な注意事項を述べていく。
「今から向かう京都には、皆さん以外にも沢山の人たちが訪れています。昨今では、外国から来られた方々も非常に多いと聞きます。ですから、皆さんは大葉中学の生徒として恥ずかしくない行動を・・・」
全校集会の時くらいしか見ることのないレアキャラである校長先生が、当たり障りのない言葉を述べていく。ちなみに前回校長先生を見たのは、四月上旬に行われた始業式兼入学式の時以来だったりする。
「京都と言えば有名なのは清水寺ですが・・・、彼の建物は坂上田村麻呂がぁ~・・・」
そんな超レアキャラである校長先生による当たり障りのないお話は、いつの間にか京都の歴史についての話へと変貌していた。
「あの、校長先生・・・」
「ん、何だね?まだ話の途中なんだが?」
「いえ、その、もう時間が・・・」
「む?もうそんな時間か・・・」
そんな遣り取りがあったりなかったり・・・。
「ここから京都までは、バスでおおよそ六時間ほど掛かります。車酔いしやすい人とかそれが心配な人は、バスが動く前に酔い止めを飲んでおいてね。それじゃあ皆、気を付けて行ってらっしゃい」
各先生たちによる長い長いお話は、私たちを見送りにきた養護教諭の町田先生によってそう締め括られた。
「ねえ、夏ちゃん」
「ん、何?」
「私、酔い止め忘れた」
「・・・・・」
ゆ、雪ちゃん?
「ねえ、夏ちゃん。どうしよう・・・」
「いや、どうしようって・・・。私は家を出る前に飲んじゃったし・・・」
私も雪ちゃんも、特別乗り物に弱いってことはないんだけれど。長時間バスに揺られながらの移動は初めてだし、念のためにってことで伯母さんに持たされていたのだ。
「もしかしてだけど、帰りの分もないの?」
「うん、昨日渡されたポーチごと忘れた。たぶん机の上に」
「・・・・・」
あれほど伯母さんが確認していたというのに、私の従妹は・・・。
「それじゃあ、A組から順番にバスへと向かってちょうだい。添乗員さんの指示に従って、慌てずゆっくりね」
私と雪ちゃんが人知れずアワアワしている間にも、時間は過ぎていく。私たちは一先ずバスへの移動を優先し、添乗員さんに手伝ってもらいながらキャリーバックをバスの格納庫へと押し込めていく。
「とりあえず、これ飲んじゃって」
「おう、サンキュー」
バスの中ほどの席を雪ちゃんと共に確保した私は、帰りの分の錠剤を半分雪ちゃんへと手渡す。そして、それをペットボトルのお茶で一息に流し込む雪ちゃん。
「いやぁ~、やっぱ持つべきものは優秀な妹だねぇ~~」
薬を飲み安心しきった我が従妹様は、そう言って強張っていた表情を和らげる。このあと待ち受ける地獄など知る由もなく、雪ちゃんは私の頭を雑に撫でながら機嫌良さそうに振舞うのであった。