第71話:杞憂?
本日は、五月下旬の水曜日。今の時間は、朝の五時ちょっと過ぎ。そんなまだ朝も早い時間に、玄関へと繋がる廊下で騒がしい遣り取りをしている二人を眺めながら、私は大きな欠伸を零していた。
「二人とも、忘れ物はないわね?」
「もう、お母さんったら心配し過ぎ!昨日も散々確認したじゃん!!」
「だって、あんたは小学校の時に替えの下着忘れていったじゃない」
「ぐっ・・・。あ、あの時はあの時!今は今!!」
今日は、待ちに待った修学旅行の初日。必要な準備物は昨日までに全て準備済みであり、あとは学校へと向かうだけ、のハズ・・・。
「夏ちゃんも大丈夫?向こうに着くまでは結構時間が掛かるから、酔い止めはちゃんと持っときなさいよ?」
「は~い」
なおも心配そうな顔をする伯母さんに見送られ、私たちは重たいキャリーバックを引き摺りながら学校へと向かう。
「もう、お母さんったら・・・。私たちは子供じゃないっての!!」
不満そうに両頬を膨らませながら、雪ちゃんは吐き捨てる。
「まあまあ、いいじゃない。それだけ雪ちゃんのことが大事だってことだよ。あふぅ・・・」
そして、そんな雪ちゃんを適当に宥めながら欠伸を零す私。
「夏ちゃん大丈夫?随分と眠そうだけど・・・」
「うん、超眠い。昨日寝つきが悪かったんだよねぇ・・・」
私が女になってから、初めての泊りがけの旅行。クラスメイトたちと一緒に素っ裸になって大浴場に入り、同じ部屋で眠る一大イベント。
正直、今でも緊張している。今まで散々雪ちゃんの裸やクラスメイトたちの下着姿を見てきた私ではあるけれど、今回のそれは今までのそれと比べることができないほどに大規模であり異質なイベントであるのだ。
「・・・・・」
元男子として生活してきた私がクラスメイトの女子たちの裸を見たり、彼女たちと同じ部屋で眠ることになる。それは、何と背徳的で罪深いことだろうか。
一応、私は生物学的には生まれた時から女であったわけなのだけれど、私の頭の中には現在でも男子的な思考が残ってしまっている。そのため、それが重い足枷となって私の思考をぐちゃぐちゃにしてしまっていた。
「大丈夫だよ。夏ちゃんは、もう立派な女の子だよ」
どこか上の空な私の様子から何かを感じ取ったのか、我が従妹様はそう言って優しく微笑んでくる。そんな優しくて頼りになる雪ちゃんに私はお礼を言おうとして・・・。
「寧ろ、手術を受けるずっと前から、夏ちゃんは割と女の子だったよ」
「え?」
「覚えてる?小学校に上がる前はよくお揃いの柄のスカート穿かされてさ、私、夏ちゃんのことずっと女の子だって勘違いしてたんだよね」
「・・・・・」
私は、遠い昔の記憶へとその思考を飛ばす。
「確かに、昔はスカート穿かされてたかも・・・」
「そうそう!!夏ちゃんも別に嫌がってなかったし、近所の人たちも全く疑問に思ってなかったんじゃない?」
「えぇ・・・」
「小学校に上がってからは流石にズボン穿いてたと思うけど、低学年の時に一緒にお風呂に入って、その時に夏ちゃんは男の子なんだって再確認したんだよね」
小学校に上がる前の小さい頃は、男だとか女だとかそんなことはあんまり気にしてなかった気がする。基本的には気の合う幼馴染たちや雪ちゃんとばかり遊んでいたし、その影響もあってそこまで気にする必要がなかったんだと思う。
でも、小学校では学年が上がるごとに男女で分かれて遊ぶようになって、その頃からクラスメイトの男子たちからはチビだとか女っぽいだとか言われるようになって・・・。そのせいで余計に陽介やともちゃん以外とは絡まなくなって・・・。
「夏ちゃんがどう思ってるかは分かんないけどさ、私はいつだって夏ちゃんの味方だし、桜や彩音だってそうだろうし」
「・・・・・」
「だから、あんま心配すんなよ。ね?」
「・・・・・。うん、ありがとう」
まだ薄暗い空の下を、雪ちゃんと二人で歩いていく。そうして向かった先の学校のグラウンドでは、数十を超える人の影が蠢いていたのだった。