第184話:優先順位
新地君の発言を発端とする一連の勘違いは、終わりを迎えた。色々な偶然が絡み合った結果、私は新島さん本人の口から事のあらましを聞くことができ真実へと辿り着けたのである。
もしもあの日、私が放課後の空き教室で黄昏ていなかったならば・・・。もしもあの時、偶然にも新島さんと出会えていなかったとしたら・・・。私は引き続きウジウジと思い悩み、皆に心配をかけていたかもしれない。
もしもあの日、私が新島さんからの誘いを断っていたならば・・・。もしもあの時、偶然にももう一人の本田君と出会えていなかったとしたら・・・。私は今も尚この件で思い悩み、陽介本人に事の経緯を訊くべく行動していたかもしれない。
とはいえ、それももう過去の出来事である。既に終わったことである。だから、気を取り直していこうと思う。私は一人小さく頷きつつ、見慣れた家のインターホンに手を伸ばす。
「夏姫か?」
「う、うん・・・」
「今開けるから、ちょっとだけ待ってろよ」
聞き慣れた、幼馴染の声。ずっと小さな頃から聞き続けてきた、男の子の声。
「お待たせ」
私よりも頭一つ分ほど背の高い彼はそう言いつつ私を家の中へと招き入れ、そのまま自身の部屋へと私を先導する。
「飲み物持ってくるから、適当に座っててくれ」
いつも通り、普段通りの遣り取り。なのに、何故か妙に気持ちが落ち着かない・・・。
「はぁ~」
陽介とは、兄と弟・・・。いや、今は兄と妹か?とにかく、私たちは小さい頃から本当の兄妹のような関係であり、眞鍋さんが言うような感情は一ミリだって存在しない・・・。
「お待たせ。麦茶でいいか?」
「うん。ありがとう」
氷によって冷やされたそれを受け取って、私は一口その液体を口に含む。
「で、大事な話って?」
今日は、週末の土曜日。今日は、イツメンの皆と遊びに行く予定だった日。そんな日の前日に、私は陽介から突然今日直に会えないかと相談を受けたのだ。
あまりにも緊張した様子の陽介のその声に、私は動揺した。そして動揺した私はノータイムでそれを承諾し、その結果、眞鍋さんたちに要らぬ誤解を与えることとなってしまった。
「そっかそっかぁ~。女の友情よりも男を取ったかぁ~」
「いや、そういうんじゃ・・・」
「ならせめて、チュウくらいしろよ?」
「・・・・・」
あぁ、週末明けの月曜日が怖いなぁ・・・。私は近い未来に我が身を苛むであろう眞鍋さんたちによる冷やかしを想像して内心頭を抱え、そして、緊張した面持ちの陽介へと視線を向ける。
「電話とか、メッセージで伝えることもできたんだけどさ・・・。でも、事が事だから・・・」
「・・・・・」
「じゃあ、話すな?」
「う、うん・・・」
陽介の顔が、強張っている。いつもは飄々としている陽介の顔から、緊張が伝わってくる。
「話っていうのは、武井のことなんだけど。サッカー部で、ちょっと気になることを聞いてな?」
「・・・・・」
私がまだ男子として峰島中学に通っていたあの頃、サッカー部に一際体の大きな男子がいた。その男子は名前を武井 紡といって、その言動の荒さから私は彼のことを非常に苦手としていたのである。
彼は小さな頃からサッカーをしていたらしく、ド素人の私から見てもその技術は頭一つ抜きんでていた。それに加え周りの男子と比べて体格も良かったため、一年生の時から試合に出るなど顧問の池田先生からは非常に可愛がられていた。
彼はいつだって真面目に練習に取り組んでいたし、そんな様子からも彼がサッカーが本当に好きなのが伝わってきた。一方で練習試合なんかでは荒いプレーも目立ち、それを先輩や池田先生から咎められたりもしていたのだけれど・・・。
「前に、言ったよな?中学二年生の冬辺りから、武井はサッカーをしなくなったって」
「うん。確か、練習試合の時に怪我をしたんだっけ?」
もうだいぶ前になるのだけれど、そんな話を聞いた気がする。
「それなんだけどな?実は武井が怪我をしたんじゃなくて、どうも相手の選手を怪我させちゃったみたいでさ」
「え?それはつまり、どういうこと?」
男臭い陽介の部屋に、重たい空気が漂っている。いつもは飄々とした態度の陽介が、難しい表情を浮かべている。
ともちゃんたちとの遊ぶ約束をキャンセルしてまで、やって来た陽介の部屋。その部屋で幼馴染の男の子と向かい合いながら、私は彼が再び口を開くのを静かに待つのだった。