第137話:乙女心
二時限目の授業が終わるとともに、私たちの教室から男子たちが廊下へと飛び出していく。入れ替わるように隣のクラスの女子たちが体操服の入った袋を片手に続々とやって来て、そのまま着替え始めた。
「私、昨日の夕食抜いたんだ」
「へぇ~?」
「でも、我慢しきれなくて朝食は食べちゃった」
「・・・・・」
絶望的な表情を浮かべた眞鍋さんが、虚ろな目をしながら私の顔を凝視してくる。
「なっちゃんてさ、体重どれくらい?」
「えぇ~と、どうだったっけかなぁ~」
「・・・・・」
「・・・・・」
眞鍋さんからの圧が、恐ろしい・・・。
「そもそも私は胸も小さいし、背も低いし」
「・・・・・」
「だから比べても意味ないっていうか、体格が似ている甲山さんとかに訊いた方がいいんじゃない?」
「いや、無理・・・。あの子、ああ見えて結構痩せてるし・・・」
そう言って、眞鍋さんは自身の胸へと視線を向ける。彼女の胸部は私のそれと違って非常にふっくらとしており、それと同様に甲山さんのそれも遠目で分かるくらいにはふっくらとしていた。
「身長も同じくらいで胸のサイズも同じハズなのに、どうして・・・」
「・・・・・」
「やはり、足か・・・。バスケで鍛え上げた筋肉のせいなのか・・・」
「・・・・・」
聞いた話によると、筋肉は重いらしいからねぇ・・・。
「でも、見た目的に太っているようには見えないし、気にし過ぎなんじゃない?寧ろ筋肉があって健康的っていうか」
「・・・・・」
「私は見ての通りひょろひょろだから、羨ましいくらいだよ。私ももうちょっと筋肉が欲しかったっていうか」
「・・・・・」
一応私もサッカーしてたし、筋トレとか走り込みとかしてたんだけどなぁ~。あくまで部活内だけだったから効果は限定的だっただろうけどさ、筋肉殆ど付かなかったんだよなぁ~。
「なっちゃんはさ、ちょっと乙女ポイントが足りないみたいだね」
「え?乙女ポイント?」
「いい、なっちゃん?乙女というものは常に自らの体重と闘い、そして、涙で枕を濡らす生き物なんだよ」
・・・・・。
「例えばなんだけどさ、滅茶苦茶ルックスの良い男子と、太ってて脂ぎってて明らかに不摂生な男子と、なっちゃんだったらどっちがいい?」
「え、えぇ・・・」
「どっちも性格が良くて頭も良くて、違いが見た目だけだったとしたら?」
いや、それは・・・。
「生まれつきの差ってのはどうしようもないだろうけどさ・・・。でも、運動とか筋トレとかをして健康的な体作りをして、オヤツも我慢してそれでルックスを磨いて・・・。それってすごく大変なことで・・・」
「・・・・・」
「だからルックスが良いってことはそれ即ち、それ自体が努力の結晶なんだよ!それは本当に凄いことなんだよ!!」
眞鍋さんはそう言って、悲しそうに自身の体を見下ろしている。
「私はさ、その努力を怠ったんだよ。誘惑に負けてオヤツを食べて、それで・・・」
眞鍋さんは体操服の上から自身の脇腹を摘まみ、今度は私の脇腹へとその手を伸ばす。
「くすぐったいんだけど?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
私の無言の圧により、眞鍋さんは渋々その手を離す。
「今日さ、上月先輩の周りにいた女子たち、皆超可愛かったじゃん?明らかにレベルが違ったじゃん?」
「そ、それは・・・」
「あれを見て、私悟っちゃったんだよね。あぁ、このままじゃダメだって。私はそもそも、スタートラインにすら立てていないんだって」
おちゃらけているような、でもどこか悲しそうな、そんな曖昧な表情で眞鍋さんは続ける。
「初めてだったんだよなぁ~、いいなって思ったの。こんな気持ち、生まれて初めてだったんだよなぁ~」
「・・・・・」
「もっと可愛くなりたいなぁ~。もっと綺麗になりたいなぁ~」
「・・・・・」
昔読んだ少女漫画に、似たような描写が登場した。その主人公は大好きな男の子のために一生懸命努力して自分自身を磨いて、並みいるライバルたちとの競争を勝ち上がって最後には思い人と結ばれる。
その過程で主人公の女の子は自分自身の容姿に思い悩み時には絶望し、その結果無謀なダイエットで体を壊す。そんな主人公の女の子を心配した思い人である男の子はそれを諭し、結果的に二人の距離は縮まることとなる。
「私じゃ無理なのかなぁ~、無理なんだろうなぁ・・・」
漫画の世界と違って、ここは現実だ。約束された成功の未来が担保されるフィクションの世界と違って、リアルは残酷だ。
そんなリアルな世界において、恋愛というものは本当に曲者だと思う。その複雑怪奇な感情に多くの人たちが惑い苦しめられ、一部の成功者だけがその甘露な蜜の味を堪能できる。
「なっちゃんはさ、好きな人いる?男子女子関係なく、好きな人」
「・・・・・」
私は果たして、その蜜の味を知る機会が来るのだろうか・・・。それ以前に、誰かを恋愛的な意味で好きになる日が来るのだろうか・・・。
心の中だけで自問自答してみるけれど、勿論答えなんて出るはずもない。そんな日が来るのかどうかなんて、この時の私には知る由もなかったのだから。