第115話:トラウマ
体育祭が終わったその次の週末の土曜日、私は駅前のカラオケ店にいた。本日は体育祭実行委員での打ち上げの日であり、店で一番大きな部屋を借りて皆でワイワイ楽しんでいたのである。
「あの、一色?」
「・・・・・」
私の隣には、新地君が座っていた。彼は非常に気マズそうな表情を浮かべながら私の顔色を窺い、オドオドしていた。
「何か歌うか?」
「ううん。私、歌下手だから」
「じゃあ、何か飲み物頼むか?」
「まだ残ってるからいい」
主に一年生と二年生たちが中心になってバカ騒ぎする中で、私たちの周りの空気だけは異様に重かった。
「こ、この前のことは悪かったっていうか、何ていうか・・・」
「・・・・・」
「とにかく、ごめん」
「・・・・・」
あれは、誰が悪いわけでもない。強いて言うならば、サッサとトイレに行っていなかった私が一番悪い。
とはいえ、それはそれとして私の心の整理がついていないっていうか、今もなおあの時の羞恥心で顔が火照るっていうか・・・。
「別に、新地君が悪いわけじゃないから・・・」
「・・・・・」
「もちろん鈴木君も」
「・・・・・」
一年と二年の女子たちに囲まれて、鈴木君は大忙しである。そんな鈴木君は意図してなのかそうじゃないのか私と視線を合わせようとせず、こちらもこちらで非常に気マズい状態が続いている。
「あの、一色?」
「・・・・・。何?」
「話は変わるんだけどさ、美乃里の件、ありがとな?」
「・・・・・、別にいいよ。てか、あれは鈴木君が解決した問題でしょ?」
小林さんとの一件について、私は何もしていない。私はただ不運にも巻き込まれてしまっただけであり、それを解決したのは鈴木君なのだから。
「でも、一色にも迷惑かけたし・・・。それに、何だかんだ美乃里の世話も焼いてくれたみたいだし・・・」
「・・・・・」
「だから、ありがとう」
「・・・・・」
何だろう、こうもストレートに感謝の念を向けられると照れるっていうか・・・。そもそも本当に何もしていないから余計に気マズいっていうか・・・。
「ちょっと、トイレ行ってくる」
だから私は、逃げ出した。何とも言えないくすぐったさを感じ、余計に居心地が悪くなってしまった私はその場から逃げ出してしまったのだ。
「はぁ~」
こんな時、小林さんがいれば新地君を押し付けられただろうに。でも、今日の打ち上げに小林さんは参加していない。彼女は律儀にも彼と距離を置くという言葉を遵守しており、本日のイベントを欠席していた。
「私も適当な理由で欠席すればよかったなぁ~」
トイレを済ませながらそんなことを口にしてみるけれど、時既に遅し。私は変なところで真面目っていうか気が小さいっていうか、だからこういうの断るの苦手なんだよねぇ・・・。
「ふぅ~」
そうして一人溜息を零しながらトイレから出る私。そんな私の視線の先では、チャラそうな格好をした高校生くらいの男子たちが屯っていた。
「おっ?可愛い子はっけ~ん!!」
「ん?おぉ、マジじゃん。ねえ君、今一人?よかったら俺たちと遊ばない?」
これは、ナンパというやつなのだろうか?私は自分よりも頭一つ以上大きな男子たちに取り囲まれ、身動きが取れなくなってしまった。
「おいおい、ヤメとけって。その子、どう考えてもガキじゃん」
「いいじゃん別に。ガキだろうと何だろうと、女の子は女の子でしょ?」
私が今いる場所は、丁度カウンターにいる店員さんから死角になる位置。それにそこそこ距離もあるから、大声でも上げないと声すら届くかも怪しい。
「それじゃあ、俺たちの部屋は向こうだからさ。一緒に行こ?」
男子の一人がそう言って、私の右手を掴んでくる。それに対し私は体が竦み、声が上手く出せない。
「別に怖いこととかしないし、ね?」
相手が浮かべているのは笑顔のはずなのに、どうしてこんなにも怖いのだろうか・・・。
「あの、すみません。その子、俺の連れなんですけど?」
「あ?」
「向こうで皆が待ってるんで、放してもらってもいいですかね?」
「「「「「・・・・・」」」」」
男子たちに声を掛けたのは、新地君。彼は自分よりも体格の大きな彼等に怯む様子もなく、ただ淡々と言葉を発している。
そして意外にも、男子たちは特にごねる様子もなくその場を離れていった。「ちっ」とか「うぜぇ~」とか零していたけれど、力づくでどうのということはなかった。
「一色、大丈夫か?」
「あ、うん・・・」
「とりあえず、部屋に戻ろう」
「・・・・・」
そのまま私たちは部屋へと戻り、元いた席へと戻る。
「俺も丁度トイレ行きたくてさ、そしたら一色が絡まれてたから」
「・・・・・」
「とにかく、無事でよかったよ」
「・・・・・」
その後のことは、正直あんまりよく覚えていない。ただ一つ覚えているのは、カラオケ終わりに新地君に家へと送ってもらったことだけ。
「それじゃあ、俺はこれで・・・」
新地君と家の前で別れ自分の部屋へと戻り、ベッドへと飛び乗って・・・。気の抜けた私は枕へと顔を押し付けて、そのままとめどなく溢れてくる涙を必死になって押し留める。
「・・・・・」
まさか、あそこまで体が動かないなんて・・・。体の大きな男子は昔から苦手だったけれど、声すら上げられないなんて・・・。
「うぅ・・・」
元男子として、現女子として、今更ながらに自分自身の弱さというか情けなさというか、そういったものを改めて突き付けられた私は、悔しさと絶望で心の中がグチャグチャに搔き乱されるのだった。