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通い妻となったクラスメイトに堕落させられる  作者: 進道 拓真
第三章

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第九十一話 彼の評判


 今の自分にできる全力を出し切って百メートル走を終わらせてきた拓也が元のクラスの場所に戻ると、予想していた通り颯哉によって大声で出迎えられた。


「お疲れさん! お前にしちゃ大健闘だったじゃんかよ!」

「それでも三位だけどな。できることはやってきたよ」

「十分だって! 見てて気持ちよかったし、あとはこっちに任せときな!」

「あいよ。颯哉の騎馬戦も期待してるからな」


 颯哉が出場する騎馬戦は昼食の少し前に行われる予定なので、時間に余裕もある。

 その応援も兼ねて声をかけてやれば、より一層気合いを漲らせたといった様子だ。

 その後も軽く一言二言交わして応援に戻っていった颯哉の姿を見ながら、これからの予定に少し悩んでしまう。


 拓也の出番はこれでほとんど終わりのようなものなので、あとは午後の全員参加の綱引きに参加するくらいのものだが……それまでは暇になってしまった。

 動いた直後でもあるし、熱中症にならないためにも一度校舎に戻って水分補給でもしてこようか。

 時間潰しにもなるし、ちょうどいいだろう。




「…ふぅ。水飲んだら少しは落ち着いたな」


 校舎近くに設置されている水飲み場で喉を潤せば、日に照り付けられたことで乾いていた体に活力が戻ってくるように感じられ、心なしか先ほどまで疲れていた肉体も回復してくるようだった。

 未だにグラウンドで盛り上がっている歓声を遠くに聞きながら、周辺に自分以外誰もいないこの静けさを満喫していると、いつの間にか後ろから近づいてきていた彼女に気づくのが遅れてしまった。


「…拓也くん、さっきはお疲れ様。すごかったよ!」

「唯? 何でここにいるんだ?」


 まさかここまで来ているとは夢にも思っていなかったので若干面食らってしまったが、振り返ってみれば満面の笑みで労いの言葉をかけてくれている唯の姿があった。

 しかし、彼女は先ほどまで待機場所にいたはずなのでここにいるはずがないのだが……現にこうして来ている以上、抜け出してきたのだろう。


「拓也くんの出番が終わったから話したかったんだけど……あそこじゃゆっくり話せないから、来ちゃった!」

「来ちゃったって……いいけどさ。せっかく応援までしてもらったのに、いい結果も残せなかったしな」

「そんなことないよ! 離れて見てた私でも頑張ってたのは伝わってきたし、格好良かったよ!」

「…そうか。そう言ってもらえたならよかったかもな。ありがとう」


 結果だけを見れば微妙な形で終わってしまったと思っていたのに、こうして唯が認めてくれるだけで心が満たされていくのだから不思議なものだ。

 それは何より、彼女の言葉が本心からのものだということが分かるからこそのものだろう。


 だからこそ、唯の褒め言葉は他のどんなものよりも嬉しい報酬でもあった。


「……まぁ、少し予想外のこともあったけどね」

「ん? なんだって?」

「う、ううん。何でもないよ!」


 ぼそっとつぶやかれた一言は小声だったので聞き取れなかったが、彼女の慌てている様子からあまり言及してほしくない話題なのだろう。

 気になることは気になるが……それならば無理に聞き出すこともないし、唯のことだからこちらに不利になるようなこともないはずだ。





     ◆





 百メートル走に出場し終えた拓也の元までやってきた唯は、彼とたわいもない会話を繰り広げながら、その片隅では()()()()()()()について考えていた。


(言った方がいいんだろうけど……うぅ、やっぱり言えない…)


 表面上は何てこともないように振舞っている唯だったが、その内心は苦渋の決断によって七変化していた。

 …その出来事は、つい数分前のことまで遡る。




(…あ! もうすぐ拓也くんの番だ!)


 自分の応援席から種目を静かに見守っていた唯だったが、百メートル走が始まったと同時に目を輝かせた。

 もちろん周囲には自分の興奮がバレないように気を配っていたが、その冷静さが少し崩れてしまうくらいにはこの時を楽しみにしていたのだ。


 そして、その要因はもちろん他ならぬ拓也が出場するからであり、想い人が出ると聞いた時から彼女の注目はこの一点にのみ注がれていた。

 今も内からあふれ出そうになっている声援を精一杯届けてあげたいという思いがうずいているが、さすがにそれをしてしまえば周りから拓也との関係を怪しまれてしまうので必死に押さえ込んでいる。


 そんなことを考えている間にも順番は巡っていき、いよいよ彼が走る時。

 乾いた銃声にも似た合図が勢いよく放たれ、一斉に全員が駆け出していく。


 だが、同列の走者となった者達もなかなかの足の速さであり、それに食らいつこうとしている拓也の懸命な姿勢に胸を引き締められる思いだった。

 そうこうしている間にもゴールラインは間近に迫っていき、誰一人として追い越すことはできずに終わってしまう……そんな時、唯は自分でも気づかぬうちに小さな、されど確かな熱量を持って声援を送っていた。


「……頑張れ」


 その声は、隣にいた者でさえ聞き取れぬほどにわずかな声であり、すぐに周りのざわめきにまぎれてかき消されていく。

 …それでも、唯の声援が届いたのか、その一声が拓也に活力を与えたのか……ゴールする直前に気を緩めた男子の背を追い抜こうと気合いを入れなおした彼は、その速度を上げて走りぬいていった。


(…っ! すごい! 拓也くん、すごいよ!)


 少しでも気を抜けば漏れ出てしまいそうな歓喜の感情を押さえつけながら、彼への称賛の気持ちで満たされていく内心に従ってゴールしたばかりの拓也を見つめる。

 距離が遠いのではっきりとは見えないが、おそらく係から自分の順位を告げられその結果にどう反応したものか悩んでいるのだろう。


 確かに、結果の数字だけを見れば諸手を上げて受け入れるようなものではないのかもしれない。

 しかし、張本人である拓也からしてみれば中途半端なものだったとしても、唯にとっては彼が本気で競技に取り組み、その上であれだけの成果を挙げたというだけで大満足のことだったのだ。


「…ねぇ、今走ってた人って誰だっけ?」

「原城君でしょ? あんまり話したことないけど…」

(……ん? 今のって…)


 そんな嬉しさで満ちていた唯の耳に、近くで同じように応援をしていたクラスメイトの女子二人の会話が耳に入ってきた。

 普段であればそれを気に留めることもないが、今回は拓也の名前が出てきたこともあって引っ掛かったのかもしれない。


 露骨に視線を向ければ気づかれてしまうので、意識だけを彼女たちの方へと向けてこっそりと聞き耳を立てる。


「結果も三位だったし、少し微妙だったね。まぁ最下位になるよりはいっか」

「運動部に入ってるわけでもなさそうだしこんなものじゃない? 頑張った方でしょ」


 それは、何気ない会話だったのだろう。

 実際その話の内容を拓也本人が聞いていたところで、「的を射た意見だな」なんて言いそうなものだ。

 …しかし、彼以外の誰かがそれに納得するかと言われれば話は別だ。


(…拓也くんはずっと頑張ってたのに。それを知りもしないで…!)


 それまでの歓喜とは打って変わって、拓也への印象を臆面もなく話す彼女たちへの静かな怒りが込み上げてきそうになるが、ここで感情のままに振舞って騒ぎを起こすわけにもいかないし、何よりも彼自身もそれを望んでいないだろう。

 そう思ってぐっとこらえるが、彼女たちの会話が止められることはない。


「…でもさ、原城ってよく見たら顔とか整ってると思わない? 根暗な感じもするけど結構いけそうだよねー」

「あいつが? …確かに、悪くはないかも」

「でしょー? 狙ってみるのもありかもよ!」


 次に耳に入ってきたのは、ある意味では拓也を褒める類のもの。

 どこか冗談交じりのように話しているので本気ではないのかもしれないが、それでも彼のことを認めるようなことであるのは間違いない。


 …喜ぶべきなのだろう。嬉しく思うべきなのだろう。

 こうして彼女たちにも拓也のことが好意的に受け止めてもらえているということは、それだけ彼の長所が広く知られ始めているということでもあり、かつての中学時代に失ってしまった輝きを取り戻す一助にもなってくれるはずだ。


 だからこれは良いこと……のはずなのに、この胸に広がっていくモヤモヤは消えるどころか、その暗雲を重くさせていくばかりだった。


(…拓也くんにも、言ってあげた方がいいんだろうけど……)


 彼のことを受け入れてくれる人は、少しずつでも増え始めている。

 それをすぐにでも伝えてあげたい。

 …なのに、自分だけが知っていた彼の良いところが、まるで自分だけのものではなくなってしまうようで……言い表しようのない複雑な感情が渦巻いていた。


 言ってあげたい。だけど、容姿だけで人を判断するような者のところに行ってほしくない。

 そんなドロドロとした嫉妬にも似た感情が沸き上がり、唯の心を覆っていこうとする。


(…ダメダメ! とにかく今は、拓也くんのところに行こうっと!)


 自分の心を包み込もうとしていた醜い欲を無理やり振り払い、そのままの勢いで思考を打ち切る。

 今自分がやるべきことは拓也に祝いの言葉をかけることであり、それ以外のことはその後で考えればいいのだから。




 …それと、これは特に関係のない話だが、拓也に関する話題で盛り上がっていた女子二人は彼への容姿に言及した瞬間、どこからともなく凄まじい寒気を感じ取ったそうだ。

 辺りを見回してもそんな気配を漏らしていた相手などどこにも見当たらないので、言いようのない恐怖を覚えたようだが……その冷気を溢れさせていた小さな少女には、自覚などあるわけもなかった。


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