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第九話 隠した笑み


「…症状はそれだけですか?」

「はい。あとは咳が出たくらいですかね」


 翌日。俺は近所の病院を訪れて診察を受けていた。

 ここはそこまで大規模な病院というわけではないが、患者に対して真摯に接してくれるので評判がいいという噂を小耳にはさんでいたので診察を受けに来た。そしてそれは外れていなかったようだ。

 今も俺の風邪の症状を詳しく聞いてそれにあった薬を出してくれているし、日常生活での注意点なんかも細かく教えてくれる。

 まだ一人暮らしに不慣れな俺からすればありがたい限りであり、頼れるアドバイスであった。


「では薬を飲んで安静にしていてください。そうすればじきに治りますよ」

「分かりました。ありがとうございます!」


 無事に診察も終わり、処方箋をもらって診察室を後にする。

 あとは薬局に寄って薬をもらえれば万事終了であり、昨日までの苦労が拍子抜けしてしまうほどにあっさりと完了してしまうのだった。





     ◆





「ぐあぁ……。つっかれたー……」


 家に戻ってきた俺は戻るなりベッドに飛び込み、休日に溜まってしまった疲労を全身から排出していた。

 もう体温は平熱程度まで下がっており、体力もほとんど万全と言える状態にまで回復してきている。

 油断こそできないが、昨日に比べれば劇的な変化であり、見違えるほどに改善したと言い切ってもいいだろう。


 ここでぶり返してまた秋篠の世話になってしまう……なんてことは到底ありえないが、そんなことになってしまえば目も当てられない。

 この土日の間は休息に努めるのが得策だろう。

 …そういえば掃除もしようと思ってたんだよな。そこも少し手を付けてみるか。




「だめだ…! 全然進まない!」


 激しい動きはしないようにと注意しながら散らかった部屋の片づけを始めてみたが、何せ片付けなければならない場所が多すぎて作業が一向に進行しているように感じられない。

 埃や紙くずなんかのごみ類はしっかりと捨てるようにしているが、放り投げられた衣服や床に置きっぱなしになってしまっている雑誌の始末などがどうしてよいのかわからず、手が止まってしまっている。


 やはり普段から片付ける習慣のなかった自分が、いきなりこの部屋の整理に着手しようとしたのは無謀だったかもしれない。

 そもそも深く考えずに始めたことだが、この物量を全て運ぼうとすれば相応の労力もかかるだろう。

 病み上がりの身でそれはするべきではないだろうし、少なくとも今やることではなかったかもしれない。


「…今度にするか。焦ってやることでもないしな」


 別に今やらなければならない事情があるわけでもない。

 なので掃除は今度の休みにでもやることにしよう。


 …問題を先送りにしたわけではない。そんなことでは断じてないのだ。





     ◆





 せっかくの休日も風邪というアクシデントによって潰され、時間はあっという間に過ぎていった。

 この土日は安静に費やしていたので退屈で仕方なかったが、それも過ぎたこと。


 ようやく俺の体調も完治し、またやってきた月曜日に俺はいつも通り登校していた。

 先週の苦痛を思えば、こうして健康でいられることがどれだけありがたいことか。それを嫌でも実感させられる気分だ。


(…ま、だからと言ってそれを伝える相手がいるわけでもないが)


 俺が体調を崩していたことを知るのは颯哉と看病をしてくれた秋篠くらいのもの。もしかしたら颯哉と付き合っている別クラスの真衣は聞かされているかもしれないが、それでもごく一部であることに変わりはない。

 ゆえに心配してくれる者がいないことなんてわかり切っているし、俺もそんなことを知らない相手からしてほしいなんて思わない。


 だが、それを知っている相手からすれば話は別なようだ。


「おーっす! なんだよ風邪治ったのか? それなら何よりだがな!」

「…颯哉、声がでかい。もう少しボリューム抑えろ」

「へいへい。まぁ快調ならそれでいいさ。この前のお前マジで顔色悪かったし、連絡も全然よこさないから気になってたんだよ」

「連絡は確かにしなかったけど、そこまできついものでもなかったらな。お前に助けを求めるほどでもなかったんだよ」

「それならいいんだけどさ…。なーんか妙なんだよな」

「…妙ってなんだよ」


 純粋に心配してくれていたらしい颯哉には感謝している。学校で唯一気を配ってくれるこいつの存在が無ければ俺の熱はもっと悪化していただろうし、精神的にも持たなかっただろう。

 ただそこから詮索を入れられるのは勘弁してほしい。野生の勘とでも表現すべきか、時に優れた直感を発揮するこいつは俺の隠し事も正確に見抜いてくる。


「いやな。金曜にお前が帰ってからすぐに、秋篠さんに声かけられたんだよ」


 一瞬、心臓が跳ね上がった。

 その名前をここで聞くとは思っていなかったので、なおさらその隙を突かれた気分だ。


「何かと思えば、お前帰る方向とか、どこか具合が悪そうだったとか……。そんなことを聞かれたから少し喋ったら焦って教室を出て行ってさ」

「…そうか」

「おいこら、こっち向け。…どう見てもお前のこと追いかけていった感じだったし、あの後なんかあったのか?」


 …これまた厄介なことになってしまった。

 先週秋篠が俺を追いかけてきた時、確かに颯哉から話を聞いたと言っていたしこいつがそれを疑問に思っていてもおかしな話ではない。


 それに、一概に秋篠を責められたことでもない。

 彼女の責任感の強さを考慮すればそれくらいはするだろうし、事情を知っているであろうこいつから話を聞くというのも合理的な判断だ。

 ただそこから、彼女の行動を推察されることを除けば、という話ではあるが。


「何もないよ。秋篠は律儀に俺の傘を返しに来てくれただけだし、少し礼の言葉を言われたくらいだ。それ以外にはない」

「ふーん……。ならいいけど」

「お前も余計な邪推すんなよ? それ、秋篠に対しても失礼だからな」


 そこまで嘘ではない。実際に彼女は傘を返しに来てくれただけだし、俺はそれを受け取って終わるはずだった。

 こいつに話していない点があるとすれば、その後に秋篠に直接看病されたということだ。


 これに関しては彼女の私生活にも関わってくることだし、俺が勝手に流布していいことでもない。

 たとえ颯哉相手であろうとも、他の誰にも話すわけにはいかないのだ。


 そう説明すればこいつも不満気ではあったが一応の納得は示してくれた。

 …何でそんなに怪しむような挙動を見せてくるのかはわからんが、これ以上は話せることは一切ない。


「もうちょいありそうなもんだと思ってたんだけどなー……。それこそお前と秋篠の仲が深まるとかさ」

「まだそれ言ってたのか…。いい加減現実を認めろ。そんなことあるわけないって言ってるだろ」


 「えー」と相変わらず渋った反応をしているが、実際に起こったこととしては仲が深まるどころか正反対。

 秋篠が帰る直前に話し合ったことによってむしろ互いを遠ざけるような形を取っているし、そんな状況で距離が急接近するなんてまずないことだ。


 …颯哉のやつも諦めが悪いな。

 何を根拠にすれば彼女との交際なんて口にできるというのか。


「ともかく、風邪は治ったんだしこの話題にこれ以上はないよ。だからお前も忘れろ」

「仕方ねぇな…。でも! 俺はまだ諦めたわけじゃないからな!」

「そこは潔く諦めろよ…」


 どこまでも底意地の悪い友人に呆れながらも、そんな会話に花を開かせて苦笑を浮かばせていると、教室のドアが開いた。

 それまでの空気が一変したかのような華やかさを肌で感じとり、そちらの方を見てみると案の定、立っていたのは秋篠だった。


「お、秋篠さんか。真衣には敵わないけどやっぱり可愛らしいとは思わんか、拓也よ?」

「唐突に惚気てくんのはやめろ。…可愛いってことには同意するけど、結局そこ止まりだしな」


 秋篠の容姿は整っているし、そこを皆が一様に褒めるのにも理解はできる。

 だが学校で見る彼女の振る舞いは一歩引いたもののような、例えればガラス越しのモデルのように感じられるのだ。


 …あの時、俺の上半身を見て顔を真っ赤に染め上げていた様子から感じ取れた素顔からはかけ離れたもののようだ。

 そう思って少し彼女のいる方を見れば、今も大勢の人に囲まれた秋篠が一瞬こちらを見てほほ笑んだような気がした。


(……!)


 わずかに口角を上げて見せてきた笑顔はクラスメイトに振りまいていた上品なものとは違った、年相応の女の子の魅力を引き出したもの。

 そんなものを見せられた俺はというと、予想外の不意打ちを食らったことで心臓がバクバクと高鳴り、鼓動が一気に早まるのを感じた。


「なんか今、秋篠さんがこっち見なかったか? なぁ拓也」

「…知らねぇよ。そっちの方向は見てなかったからな」

「絶対見てたと思うんだけど……もしかして、お前のこと見てたんじゃないのか?」

「っ! …ねぇよ。いいから授業の準備しとけ」


 自身の顔に血が集まってくるのを感じながら、颯哉の問いかけを軽く受け流しておいた。

 もう一度横目で彼女のことを見やれば、今度は視線を向けられることもなく談笑をしている姿が見えるだけだった。


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