第八十六話 学校でも二人で
学校から帰ってきた拓也は、昼頃から考えていたあることを実践するために用意をしていた。
かねてから自らに自信を持つために何か取り組もうとは考えていたのだが、その肝心の中身が思いつかず進んでいなかった。
だが、今日のことから一つのものが思い浮かび、それならば実践も難しくはないので行動に移そうとしていたのだ。
そしてそのあることとはジョギングであり、単純だが軽めの運動から始めることで体力をつけておこうと思ったのだ。
ちょうど今度体育祭も開催されるということで、唯にも無様な姿は見せたくないしそのためのウォーミングアップと考えれば良いことだらけだ。
「まさかこれが役立つ時が来るとは思わなかったけどな……準備の手間が省けたと思えばいいか」
今自分が身に着けているのはスポーツウェアであり、なぜかこれも家にあったものだ。
確かもともと実家に置いてあったものをそのまま持ってきたのだろうとは思うが、使う出番もなかったので若干埃をかぶっていたがそれも今日までだ。
運動をするというのなら、これ以上の服装もないだろう。
「さて、そんじゃ行くか。唯には……用件だけ送っておこう」
まだ唯は学校から帰ってきていないようなので、拓也がいなくても混乱させないように運動をしてくるとだけメッセージを残しておけば問題もないか。
時間ももったいないし、とっとと走ってくるとするか。
「ふぅー……ただいま」
「あっ、お帰りなさい! 運動してくるって言ってたけど本当だったんだね」
「もう来てたのか。ちょっと走りに行ってたんだよ」
三十分ほど外で走ってくれば、既に唯が家に来ていたようで帰りを迎えてくれた。
拓也が家を出てからそれほど時間も経っていないはずなので、彼女もゆっくりしている時間も少なかっただろうに、こうやって律儀に出迎えてくれるのは素直に嬉しかった。
「そうだったんだね。じゃあはい! 汗かくかなと思ってタオル用意してたんだけど、いる?」
「ありがとな。ありがたく使わせてもらうよ」
「よかった! 飲み物も冷やしてあるから、喉乾いてたら飲んでね!」
「至れり尽くせりだな……そんなことまでやってくれたのか?」
自分が彼女に運動をしてくるという連絡をしてからまだ三十分しか経過していないというのに、その後のフォローの準備まで完璧に設えられていた。
これでは唯に並ぶために努力をするというより、彼女に世話をしてもらうといういつもの構図になってしまっているのではないか。
「拓也くんから運動するって聞いた時は驚いたけどね。でもそれなら私は、その後のお世話をしてあげたいなって思ったんだ!」
「…あー。それはすごい嬉しいけど、そこまでしてくれなくてもいいぞ? 俺が勝手にやり始めたことなんだから」
「なら私だって、勝手に拓也くんのお世話をしてるだけなんだからいいでしょ? お互い様だよ!」
「…なんか違う気もするけど」
「いーの! とにかく、これからも運動するなら応援するからね!」
…そんな満面の笑みで返されてしまえば、断れるはずもない。
結局なんだかんだで唯の世話になってしまうのは、もう手遅れだということを暗に示してきているのかもしれないが……うん、少しずつ積み重ねていくとしよう。
ジョギングを終えてから唯の万全のサポートに出迎えられるという予想外の展開こそあったが、それ以降は変わったこともなく平和な時間が続いていた。
そんな何気ない時間を共有していた二人だったが、ふと唯が何かを思い出したかのように話しかけてくる。
「…そういえば、今日拓也くんに手を振ったんだけど、何も反応返されなかったよね」
「体育の終わりの時のやつか? あれなら気づいてたけど……あそこで俺が手を振り返すわけにもいかないだろ」
「何で? 特に問題ないと思うけど……」
唯が気になったのは数時間前の拓也の行動だったようだが、拓也としてはあの場面で不用意に動くわけにもいかなかったので取るべき選択肢としては正しかったと思っている。
だが唯はそう思っていないようで、拓也の言葉に疑問を感じているようだ。
「何でって、俺と唯の関係はクラスのやつらにも教えてないんだから、それをほのめかすようなことはできないよ」
例外で言えば颯哉たちが当たるが、あれも偶発的にバレてしまったようなものなのでこちらからひけらかすようなものではない。
もし学校でも唯と親し気に話している様子を見られたりすれば様々な憶測が行き交うだろうし、それは彼女にとっても本意ではないはずだ。
「それに、俺みたいに地味なやつといたら何言われるか分かったものじゃないしな。唯に迷惑かけるわけにはいかない」
「…全く迷惑でもないし、拓也くんが地味なんて思ってないけど……はぁ、それは追々だね。でも、拓也くんって真衣とは普通に学校でも話してるよね?」
「そうだな。颯哉の彼女だから自然に話すようになったっていうのもあるけど」
拓也にとっては数少ない女友達である真衣は、拓也とも普通に会話している。
彼女の天真爛漫さを考えればどこかから嫉妬を買われていても不思議ではなさそうだが、真衣は颯哉と付き合っているという関係性もあったので、常に颯哉と話していることから特に周囲からも不審には思われていないのだろう。
「…舞阪君は普段から一緒にいる。真衣も時々だけど拓也くんと一緒になって話してる。これ、私が除け者にされてない?」
「い、いや、そんなことないだろ。ただ…うん、少し話し辛い雰囲気ができてるってだけで」
「むぅー! そんなこと言って! 私だって学校で拓也くんと話したいのに!」
学校でも話す……か。
口で言うのは簡単だが、実行に移すとなるとこれほど難しいことも他にないだろう。
まず、拓也と唯には周囲が認識している限りで接点がない。
実際にはそんなこともないくらいに関係性もあるのだが、あくまでクラスメイト達に知られている範囲での話だ。
そんな中で大して関わりもなかった拓也が、唐突に校内でも屈指の人気者である唯と話し始めればどれだけの顰蹙を買うか想像もつかない。
それで被害が及ぶのが拓也だけならばまだよいが、彼女の影響力を考えれば事態はそこに留まらない可能性が高いので、そう易々と実行もできないのだ。
なのでそのことを懇切丁寧に説明してやれば、唯は少しの間納得したようにうなずいた後、ニヤリとした笑みを浮かべてこちらの顔を覗き込んでくる。
「…それって周りを納得させるだけの要素があって、なおかつ私と拓也くんが話すことにおかしいと思われなければいいってことだよね?」
「まあ、極論を言えばそうだけど……それがどうした?」
この件に関して最大の問題は、周りが唯と拓也が接することに不信感を抱くであろうということなので、確かにそこさえクリアしてしまえば問題はない。
だがその壁を乗り越えるのが最も難しいという話だったのだが……彼女の様子から、何か妙案でも思いついたのか?
「…うふふ。それじゃあ今度を楽しみにしててね!」
「……嫌な予感しかしないんだけど、せめて何をするのか教えてくれないか?」
「だーめ! 教えちゃったら拓也くんは逃げちゃいそうだからね。それまでは言ってあげないよ!」
「そんなこともない……はずだ」
さすがに唯の企みを聞いたからといって逃げるような真似はしないと断言しようとしたが、状況によっては厄介ごとを嗅ぎつけた自分がその場を離れる光景が幻視できたので、一概に否定もできなかった。
彼女の狙いも結局聞き出せなかったので、一体何をしでかしてくるのかと怖くもあるがこうなったらなるようにしかならない。
せめて悪い結果にならないように落ち着くことを祈っておこう。




