第七十五話 夏祭りの装い
「夏祭り?」
「そう! よかったら今度一緒に行かない?」
あと少しで長く感じられた夏休みも終わる。
そんな時期に唯からかけられた申し出は、これまた珍しいものだった。
夏祭りか……。
小さい頃には両親と共によく行っていたものだが、この年になってくるとわざわざ行くほどのものでもないかという気持ちが生まれて出向く機会はなくなっていた。
実際に行けば楽しいことは分かっているのだが、そこにたどり着くまでの道程を思うと面倒くさがりな性格が顔を出し、より遠ざけてしまっていたというのもある。
「…行くことは全然いいんだけど、この近くで祭りなんてやってたか? そういうことはあまり耳にしてないんだけど……」
「この辺りじゃ大きいお祭りとかはないよ? 私が言ってるのは、隣町でやってるお祭りのこと!」
「あぁ、そっちの方か」
拓也たちが住んでいる地域では住宅街が多く、そこまで大規模な祭りが開催できるほどの場所もないのでやっていなかったが、ここから少し離れた場所ではそれなりの規模の祭りが毎年行われていると聞いたことがある。
あいにく自分はそれに参加した経験はないが、時折チラシなんかの広告にも混ざって予告もされているので、かなり賑わいもあるのだろう。
祭りに赴くこと自体に忌避感はない。
夏休みというイベントの中でもある意味定番のものだし、そこに行ってみたいという唯の気持ちは本物だろう。
だったらそれを叶えてやるのは、友人としても自分の役割か。
「いいよ。一緒に行くか」
「ほんと!? よかった~……。もし断られちゃったらどうしようかと思ったよ……」
「唯が行きたいって言うならよほどの理由でもない限り断らないって。特に予定があったわけでもないしな」
これからすることと言えば、せいぜいが夏休み明けの学校への準備を整えるくらいのことであり、それ以上の予定はなかった。
夏祭りも嫌いってわけでもないし、たまには行ってみるのも悪くないだろう。
「…そういえば、颯哉たちも誘っていくか? 大人数で行った方が楽しいだろ」
そこでふと浮かんできたのは、ここにはいない友の存在だった。
もしかしたらあいつらも祭りに行く計画を立てているかもしれないし、そこで予定が合致すれば一緒に行くのもいいかもしれないと思ったのだ。
なのでそれを唯にそのまま伝えれば、なぜか彼女は気まずそうに視線を下に落とし、その声をすぼめながら言葉を発してくる。
「あっ……その…夏祭りには拓也くんと二人で行きたいから、今回は真衣たちは一緒じゃなくてもいいかな…?」
「……あ、あぁ。わかった」
…危なかった。
恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、拓也と二人きりで出かけたいと言ってくる唯の姿があまりにも可愛らしく、返答にも言葉が詰まってしまった。
潤んだ瞳で上目遣いになりながら懇願してくる彼女の顔を、あれ以上の時間見ていれば何をしていたか分からない。
最近では唯との接し方にも慣れてきたと思っていたが、それもただの幻想でしかなかったようだ。
ともかく、内心の動揺を悟られないようにとできる限り冷静さを保つようにして了承の意を示せば、彼女も緊張したかのように強張っていた表情を崩して頬を緩めている。
「そ、それじゃあお祭りは明後日だから、よろしくね!」
「お、おう。またな」
それだけを言い残して、部屋から出ていく唯。
もう時間も遅いので家に帰るのだろうが、慌てたように駆けていくその後ろ姿は転びやしないかと少々不安にもなってしまった。
そして拓也がそんな懸念を抱いている間にも、唯は早々に家を出ていった。
一人取り残された部屋で、先ほどの誘いを思い返しながら明後日の予定に思いを馳せる。
「…夏祭りね。変装とかは……一応髪だけやっておくか。いらないとは思うけどな」
隣町で開催される祭りともなれば、顔見知りと遭遇する可能性は限りなく低いとは思うが、念には念を入れておいた方がいい。
ほんの少しの油断でバレないとも限らないのだから、その手間は惜しむべきではないだろう。
「ま、なるようになるだろ。気張りすぎずに気楽にいけばいいさ」
拓也と唯の関係性がばれないように気は張るが、肩ひじを張りすぎても肝心の祭りを楽しむための余裕もなくなってしまう。
それではせっかく誘いを持ち掛けてくれた唯にも申し訳ないので、楽しむための塩梅は見極めていった方がいいだろう。
そして、約束の日はあっという間にやってきた。
◆
「家で待ってろって言われたけど……待ち合わせとかしなくてよかったのか?」
時刻が夕方に差し掛かろうという時、拓也は自宅で唯が来るのを待っていた。
この状況は他ならぬ唯からの要望であり、てっきり現地集合になるものだとばかり思っていたので家から合流して向かうというのは少し意外だった。
まぁ特に不都合があるわけではないので構わないのだが、唯が来るまでやることもないので髪をセットしていたがそれもすぐに終わってしまった。
今は携帯を見ながら連絡がこないものかと見ているが、そちらにもメッセージが来る気配はない。
あまりにも遅くなるようであればこちらから迎えに行こうかと思っていたが……そのタイミングで、玄関の鍵が開けられる音が聞こえてきた。
(おっ、やっと来たか)
ガチャガチャという金属音が響いてくるのを聞いていれば、彼女がやってきたことはすぐにわかった。
そしてそのすぐ後にパタパタと廊下をかける足音が耳に入ってくるのと同時に、ドアが開けられて彼女の姿が目に入ってきた。
「ごめんね! 待たせちゃって!」
「あぁ、別に気にし、て………」
リビングへと入ってきた唯の姿を見た拓也は、それを見ると同時に言葉を失ってしまった。
それもそのはずだろう。
今の唯はいつものようにラフな服装で来るのかとばかり思っていたというのに……その恰好は、まさかの浴衣だった。
全体的に淡い水色と白を基調とした色合いに、浴衣のあちこちに彩られた柄は水仙だろうか?
ふんわりと包み込むような花を模した柄は、唯との印象にもぴったりと当てはまっており、非常によく似合っていた。
そしてその髪型も普段とは異なり、後ろに編み込みにされた上でリボンでまとめられている。
いつもはロングヘアの唯を見慣れているだけあってそのギャップから、思わず数秒は時が止まったかのように見つめてしまった。
唯はその姿に見惚れていた拓也の視線に気が付いたのか、その場でくるりと一回転し、こちらに見せつけるように笑みを向けてくる。
その様も保存しておきたいくらいに見事だと思えるが、それよりもまずなぜ浴衣で来たのかを聞いておきたかった。
「うっふふ。驚いちゃった?」
「…そりゃ驚かされたよ。どうしたんだ、その浴衣?」
「これはね、実はお母さんにお祭りに行くって話したら『浴衣があるからせっかくだし着ていきなさい』って言ってくれたんだ! どう? 似合ってるかな?」
「沙織さんの仕業か。……よく似合ってるよ。可愛いと思うし、唯のイメージにもピッタリだと思う」
「そーう? えへへ。なら着てきてよかった!」
拓也の素直な感想がよほど嬉しかったのか、心からの喜びを笑みに表して出す唯。
両手を頬に当てて上がる口角を押さえようとしている姿はとても愛らしく、それだけで先ほどまで抱いていた驚愕なんて吹き飛んでしまった。
最初に見た時こそ困惑したが、浴衣を着た唯の見た目が最上のものであることは覆しようのない事実であるし、そこは嘘偽りなく伝えた。
…沙織さんの入れ知恵であることにも少々やられた感は否めないが、それは唯の嬉しそうな表情が見られたことでチャラにしておくとしよう。
いずれにせよ、彼女の浴衣を見られた自体は嬉しかったし、今日のために気合いを入れてきてくれた彼女の期待にも応えてやれるようにしてやろう。
「それじゃ、早く行こう! もうお祭りも始まってる時間だよ!」
「そんな慌てなくても、祭りは逃げないから大丈夫だよ。…よし、行くか」
座っていた腰を持ち上げ、今にも走り出していきそうな唯を引き留めながら家を出る。
予想外の出来事こそあったが、それもまた外出の醍醐味だろうと思えば悪いことだとは思わなかった。




