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通い妻となったクラスメイトに堕落させられる  作者: 進道 拓真
第二章

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第六十六話 もう手放さない


 ──時は、一週間ほど前にまで遡る。


 沙織から唯の誕生日を一方的に告げられ、あなたが祝ってやってくれと頼まれた拓也は……頭を下げながら、沙織に対して一つの頼み事をしていた。

 それは、何の意味もないかもしれない。

 それどころか、彼女の傷を悪化させてしまうだけかもしれない。


 …そうだとしても、無視することはできなかった。


「…お願いします。唯の誕生日の日に、沙織さんも来てあげてください。…唯と、話をしてやってください」

「…言ったでしょう。もう私にそんな資格はないの」


 自分でも、悪手でしかないことを頼んでいるとはわかっている。

 これが唯と彼女との確執を、さらに深めてしまう可能性があることだとも。


 けれど、この下げた頭をあげるわけにはいかない。

 そんなことをすれば、本当の意味で可能性は消えてしまうと思ったから。


「…唯は、あなたに会いたがっています。ずっと、話をしたかったと言っていたんです。…せめてあいつの誕生日くらいは、あなたも祝ってあげて欲しいんです」

「………」

「無茶なことを言っていることは分かっています。それがあなた達の溝を深めてしまうかもしれないってことも。…だから、もしそれで唯と沙織さんの関係を悪化させてしまったとしたら、俺も責任を取ります」

「……一応、聞いておくわ」


 淡々と、しかし虚言は許さないといった雰囲気を放ちながら拓也の言葉を待つ沙織。

 その圧力に身がすくみそうになるが、今は自分の覚悟を伝えなければならないところだ。


「これで唯の傷が深まってしまうようなら……俺はもう、沙織さんにも唯にも一切関わりません。…あいつの傷口を無駄に広げてしまうくらいなら、そんな相手はいない方がいい」

「…なるほど。あなたの覚悟は分かったわ」


 これは、一つの賭けだ。

 万が一彼女の心をえぐってしまうような事態になれば、自分は唯との関わりを一切断つ。

 その言葉に嘘偽りはなく、彼女の幸せを思うのなら、わざわざ辛い思いを与えてくる相手なんか近くにいてはならないと思ったからこその提案だった。


 …あいつの近くにいてやるなんて言っておきながら、その直後にこんな提案をするなんて馬鹿としか思えないが、それくらいのリスクは背負わなければ沙織さんを動かすことはできない。

 そう確信していたからこそ、こんな馬鹿げたことを伝えたのだ。


「お願いです! 一度……一度だけでいい! 唯に、会ってやってくれませんか!」

「………」


 両者の間には沈黙が訪れ、長く思えた静寂が場を支配する。

 それは一体どれだけの時間が過ぎたのか。数秒、はたまた数分か。

 正確な時間の流れさえ把握できないほどに圧迫した空気がこの場を満たし、ダメだったか………そう思ったとき。


「……夕方」

「………え?」

「…私は仕事があるから、昼には行けない。…ただ、夕方なら仕事も片付くから、予定は空いているわ」

「っ! それじゃあ…!」

「ただし」


 それは、実質的な肯定の宣言。

 その返答に歓喜の感情が溢れそうになり、顔をあげれば沙織から注釈が付け加えられる。


「私が来ることはあの子には伝えないこと。…それと、さっきあなたが言った約束はしっかりと守ること。これを守ってくれるのであれば、行っても構わないわ」

「…分かりました。俺はそれで大丈夫です」


 付け加えられた条件。

 要するに、自分が来ることを知られてしまえば唯は萎縮してしまうだろうという考えから唯にこのことは言わないという条件を足してきたのだろう。

 そして、もう一つの約束。

 これに関しては大して問題でもない。もともと言われずとも勝手に果たすものでもあったのだから、それを厳命されたところで大きな違いもない。


 …これで唯とは離れることになるのかと思うと、寂しさがないわけではないが、それは俺の勝手なエゴでしかない。

 彼女のことを思うのであれば、これが最善の道なんだ。


「なら連絡先だけ教えておくわ。訪問するタイミングくらいは教えておかないと不便でしょう」

「あっ、はい。ならこれで………」


 それから軽い連絡先だけ交換し、事前の打ち合わせも済ませて俺と沙織さんは別れた。

 別れ際に「…楽しみにしているわ」とだけ言われて立ち去って行ってしまったが、その言葉は俺のやる気を引き出してくれた。


 失敗は許されない。

 今年の誕生日を唯にとって最高のものにしてやるためにも、自分にできることはしてやらなければならない。


 そうして経緯を経て、拓也は沙織を迎え入れることに成功した。





     ◆





「お母さん………なんで…」

「…彼に呼ばれたのよ。ぜひ来てくれってね」


 以前に拓也と話した時に感じられた冷静さも、さすがのこの状況では気まずさが勝っているのか、沙織は唯と目を合わせようとはしない。

 …当然か。話では何年もまともな会話がなかったというのだから、いきなり自然体になれなんていう方が無理なことだ。


「た、拓也くん……なんでお母さんが……」

「…実は前に、沙織さんとコンタクトを取ってたんだ。その時に色々と話を聞いてな。俺の方から唯を祝ってやってくれないかって頼み込んだんだ。…勝手なことをしたのは、悪いと思ってる」


 唯のために呼んだ。

 そんな免罪符を持って強引に取り付けた再会だったが、そもそも唯が本当に再会を待ち望んでいるのかどうかも定かではなかったのだ。

 それこそ、今のように気まずさが感情の大半を占めてしまっているこの現状で、これが正解だったのかなんて判断はできない。


 …それでも、俺だけはこの再会を成功させてやらなければいけないんだ。


「…なぁ、唯。お前は、沙織さんとずっと会いたかったんだよな?」

「……うん」

「こうして無理やり引き合わせてしまったことは、本当にごめん。でも、それ以上に二人にはちゃんとお互いの気持ちを話し合ってほしかったんだ。…沙織さんも、唯に会いたがってたんだ」

「っ!」


 その言葉に、今日一番の驚愕を見せる唯。

 かつて苦い思いをしてきた経験から、それはないと思っていた。

 自分は、父親の形見として疎まれているのだと思っていた。


 …事実は、そんなことでも何でもなかったというのに。


「…沙織さん。そんなところで立ってないで、こっちに来てください。…しっかり唯の目を見て、話してやってください」

「…ええ、わかったわ」


 いつまでも目を逸らすわけにはいかないと思ったのだろうか。

 拓也の言葉に頷き、こわばらせた身で絨毯に座っていた唯の前に同じように座る沙織。

 …そして、その固く閉ざされていた口を開く。


「……唯、本当にごめんなさい」

「……えっ?」


 開口一番語られたのは、まさかの謝罪。

 頭を下げながらもたらされた言葉にさすがの拓也も困惑するが、目の前の唯にとってはそれ以上の混乱を運んできた。


「今まで私は、唯に負い目を感じていた。…あなたから父親という当たり前の存在を奪ってしまったことを。そのせいで、ショックを受けさせてしまったことを」


 それは、紛れもない沙織の本心。

 疎んでいたわけではない。ただ不器用なだけだった母親の、隠しようもない親心。


「そんな私が親でいる資格なんてない。そう思って、せめて不自由をさせないようにと仕事に打ち込んできた。…そのせいで、唯をさらに苦しめていたというのに」

「…そんな」


 想像すらしてこなかった。考えられるわけもなかった。

 今までのぎこちなかった関係性が全て、自分のためを思ってされていたことだったなんて。


「…でも、彼から話を聞いて、少し考えが変わったの。…私があなたを傷つけてしまっていたことに変わりはない。唯が私を恨んでいたっておかしくはない。だから……」

「…そんなことないっ!!」


 その叫びは、誰に向けられたものだったのか。

 これまでとは比べ物にもならないほどの激情を込められた否定は、拓也も、何より沙織にとっても強く叩きつけられたもの。


「…私は、お母さんを恨んでなんてない。…ずっと、嫌われてると思ってた。だから、私になんか構ってくれないんだって……」

「…馬鹿ね」

「えっ……」


 その胸の抱え続けてきた思いを独白すれば、沙織は今までに見せたこともない優しい笑みを見せながら、唯をそっと抱きしめる。

 それをまるで、何よりも愛おしいものを包み込むようで……母の愛を、感じ取られたようで。

 望んで止まなかったものが、今その手の中にあることに……唯はその両目から大粒の涙をこぼす。


「あなたを嫌ってなんてない。…大切に思っていたわ。ただ、私の独りよがりな罪悪感で苦しめてしまった……本当にごめんなさい」

「…お、お母ざん……私……ずっとまってで……」

「…ええ、もう離れたりしないわ」


 その感情は、言葉で言い表すことなどできはしない。

 歓喜、焦燥、哀愁。

 ここにたどり着くまでに、多すぎた激情を抱き続けた少女の心は……求め続けたものが戻ってきたことに、決壊した。


「お母さんっ……! おかあ、ざん……っ!!」

「………」


 沙織の胸の内で抱きしめられながら……これまでの辛酸を、洗い流すかのように。

 絶対に手放さないと言わんばかりに、母の存在を確かめ続ける唯を、沙織はその頬に一筋の水滴を流しながら見守り続けていた。



(…もう、俺はいらないな)


 ここから先は、母と子の時間だ。

 何の関係もない拓也が立ち入っていい場所ではなく、自分はお邪魔虫に過ぎない。

 そう思って二人に気づかれないように立ち上がり、家を出ていく。


 玄関から出る直前、かすかに響いて聞こえてきた唯の慟哭が、彼女のこれからの幸福を告げる鈴の音となっているように思えた。


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