第百十一話 あなただからこそ
それまで横並びになっていた位置から唯と向かい合うようにして拓也も向き直し、彼女の方もはぐれないようにと掴んでいた服の裾を放して視線を合わせてくれている。
…直前に放った一言が思っていたよりも恥ずかしかったのか、まだ頬が若干赤くなっているがそれはいいだろう。
「…伝えたいことって、何かな?」
恥ずかしがりながらも拓也との目線を外そうとはしていないようで、先ほど拓也の言った一言を反芻するように繰り返して返事を返してくる唯。
その声にはまだ不確かな展開への不安と……確かな期待感が込められていることが分かる。
「…あぁ、そのだな……その前に一つ聞いておきたいんだけど…さっきのことについて」
「さっきのこと…あっ。う、うん…」
時間が経つにつれて鼓動が早さを増していく心臓の音。
それは既に拓也自身の耳にまで届くのではないかと思えるほどに響き渡っており、自分が緊張しているんだということをどこか客観的に捉えながらも彼女へと言葉を重ねた。
拓也が聞いておきたかったことは、どさくさに紛れながらも拓也に送られた唯からの告白にも等しい言葉の真意。
拓也と恋人同士という関係性になることも構わないという一言に込められた意思をどうしても確認しておきたかったのだ。
すると唯は先ほど行った自分の言動を冷静に振り返りでもしたのか、その顔を真っ赤に染めながらもか細い声で了承の意を示した。
「…俺の勘違いなのかもしれないし、単なる自惚れかもしれない。だけどそうじゃないなら……唯は、俺のことを好きでいてくれた、のか?」
「……うん。そうだよ」
しばしの沈黙の後、その首を縦に振りながら肯定をしてくる彼女。
その事実を認識するのと同時に拓也の思考は嬉しさや困惑、驚愕といった様々な感情が入り乱れることになったがそれは表情に出すことはなく冷静でいるように意識を集中させる。
だが、拓也がそれに続けるようにして言葉を口にするよりも早く唯の方がその可憐な声を上げてきた。
「私は、拓也くんが好き。それは友達としてじゃなくて、一人の男の子として好きなの」
「…そっか。そうだったんだな」
照れながらはにかむように、その口元に笑みを浮かべながら伝えられてきた真っすぐな好意に、拓也も無意識の間に苦笑が漏れる。
以前からなんとなくは察していた。しかし確信だけが持てていなかった唯からの愛情。
目を逸らして、自分にとって都合の良いように解釈して、結果的に彼女の想いを無視するような形になってしまったが……そう想われていたこと自体は非常に嬉しかった。
「今まで気づいていなくてごめん。唯はずっと見ててくれたっていうのに…」
「いいんだよ。元々は私も自分のことを拓也くんに好きになってもらえるようになるまでは言わないって決めてたことだし……まぁ今言っちゃったんだけどね」
唯は自分の失態を恥じるように苦笑していたが、それでも彼女の好意に気が付けていなかったのは拓也自身の落ち度だろう。
思い返してみればこれまでにも彼女の抱く感情に気が付くヒントは隠れていたはずだし、それを見て見ぬふりをしてやり過ごしていたのは他でもない自分なのだから。
だったら唯が謝ることなんて何一つない。
「…自分でも今言っちゃった理由はよく分からないけど……多分、周りを見て羨ましくなったからかな? 拓也くんとそうなりたいって気持ちが溢れちゃったからなんだと思う」
拓也にそう聞かせながら、同時に自分にも言い聞かせるように説明をする唯の姿はひどく憧れを抱いた瞳で周りを見渡していて……その様子がどこまでも愛おしく思えてくる。
ここまで自分のことを思ってくれる相手がいることがどれほど幸せなことなのか、身をもって実感する。
ならば自分もその想いに応えるべきだ。
そう思って閉ざしていた口を開こうとするが、その前に唯からストップが掛けられた。
「だけどね。返事はすぐにしなくても大丈夫だよ」
「……え?」
その返答はまさに予想の遥か斜め上のもの。
自らの想いを伝えようと覚悟を決めた直後だったこともあって目を丸くしてしまったが、そんなことに構わず唯は己の本心を告げてくる。
「こう言っておいて何だけど、今は私の気持ちを知ってほしかっただけなんだ。だから無理に答えを出そうとしなくても良いからね? …それは、拓也くんの気持ちがしっかりと固まってから教えてほしいな」
「………」
それは、紛れもない心からの本音だったのだろう。
思いの丈を話し終わった唯からは下手に遠慮したような雰囲気は感じられず、無理をした空気だってない。
なのに……その言葉の裏にはどこか、寂寥感を携えているように思えてならなかった。
「そういうこと! だから拓也くんも、今日私の言ったことは気にしなくて良いからね? さっ、もうすぐイルミネーションも始まりそうだし楽しもう!」
「…っ、唯!」
「ひゃっ…!?」
内心に燻る感情を誤魔化すように背を向け、そのままツリーの置いてある方向へと歩いていこうとする唯。
その後ろ姿を見た途端、自分でもどうしてそんなことをしたのかは分からないが離れていってしまう彼女の手を掴み、その動きを止めていた。
「ど、どうしたの拓也くん?」
「…急に手を掴んだのはごめん。だけど、唯の話は終わっても…俺が言いたいことがまだ終わってないんだ。だから、それだけは言わせてくれ」
「…う、うん」
突然掌を掴まれたことに動揺したのか、唯は目を白黒させながら拓也を見つめてくるが……当の彼はそんなことを気にも留めていなかった。
唯は一歩を踏み出した。勇気を出して歩み寄ってこようとしてくれた。
(…だったら今度は、俺の番だ)
とっさに掴んでしまった掌をそっと手放しながら、再び二人は向き合うように視線を交わし合う。
そして拓也は、もう怯えることも躊躇することもなくこの心の想いを彼女へとぶつける。
「…その、さ。唯が俺のことを好きだって言ってくれたのは凄い驚いたけど嬉しかった。そう思われてるなんて夢にも思ってなかったしさ」
「…拓也くんは鈍かったもんね? ずっと頑張ってたのに全く気が付いてくれないんだもん」
「うっ…! …それは悪かった。自覚はしてるよ」
想い人から鈍かったと直接言葉をぶつけられ、地味にダメージを食らってしまったが今はそんなやり取りさえ愛おしく思えてしまう。
この目の前にいる彼女が、誰よりも傍にいたいと、いてほしいと思ってしまう少女の存在は拓也にとって何よりも大きなものとなっているからこそこの想いは際限なく増大していくのだ。
「最初は…どうだったかな。初めて会った時はまだ唯に対して何とも思ってなかった。それどころか、なるべく関わりたくないなんてことまで考えてたよ」
「…あの時はそうだね。まだ私たちもお互いのことをよく知らなかったもん」
始まりは、何てことのない貸しからだったと思う。
雨が降り止むこともない六月の放課後に昇降口で佇む彼女の姿を見かけて、気まぐれに声を掛けたところが全てのきっかけになっていた。
あれから唯との接点が生まれ…彼女に惹かれていく日々が始まったんだ。
「…多分、きっかけはそう大したものでもなかったと思う。それくらい俺たちの関係は希薄なものだった。それを変えてくれたのは…唯が傍にいてくれたからなんだ」
かつての自分は身内以外の誰かを信じられるような精神状態ではなかった。
颯哉や真衣という友人のおかげで少しずつ解消はしていったが、それでも十全なものだったとは言い難い。
…過去に工藤の手によって追い込まれ、一度は塞ぎこんでしまった心。
その暗闇から救い出してくれたのは間違いなく彼女だったから。
「唯が居なかったら…なんて考えたくもないけど、もしそうだったら今も俺は何も変わらないで燻ったままだった。蹲っただけの臆病者だった」
「…そんなことないよ。拓也くんが変われたのは拓也くん自身が頑張ったからこそだもん。私はそこに少し手を添えただけ」
「そうかもしれない。だけど、俺はそれだけのことでも救われたんだ」
臆病な気質に染まってしまっていた自らの追憶。
唯は何もしていないと言うが、それでも拓也からすれば何よりも嬉しいことだったのだ。
「…それからかな。前から自分でも何となく気にはなっていたけど、そこから明確に唯に惹かれ始めたんだと思う」
「っ! …そ、そうだったんだ」
拓也の惹かれていったという発言を聞いた途端、それまで合わせていた目線を若干伏せながら恥ずかしそうに視線を彷徨わせる唯。
…拓也の方も本人を前にしてこんなことを口にするのは羞恥心が刺激されるのを感じるが、今はそんなことを気にする余裕さえなかった。
「唯の言葉にも、何気ないことにも目が離せなくなっていった。…いつの間にか、誰にも渡したくないなんて自分勝手なことまで思うようになった」
「…うん」
発される言葉を一つ一つ飲み込むように、自分の中に響かせるようにして聞き入る唯の様子は静かなもので……拓也の言動以外の一切は何も入っていないかのようにすら思えた。
体育祭のあの日。
唯が他の男子から告白されている光景を目にして、彼女が自分以外の誰かの元へと言ってしまうのではないかと危機感を抱き、己がすべきことをはっきりと自覚した。
彼女に想いを伝え、自分の傍にいてほしい。
今までのような友人ではなく…恋人として隣に立っていきたいと、そう思った。
「正直なところを言えば、まだ悩んでるところもある。…俺みたいなやつが唯に釣りあってるわけもないって」
「…もう、そんなわけないでしょ? 私は拓也くんが良いからこそ踏み出したの。他の人が何て言おうと、私にとっての一番はあなたなの。…それは変わらないよ」
「ありがとな。…唯」
「……はい」
もう停滞した関係性でいることは満足できない。
彼女の名を呼べば唯は次の言葉を悟ったのか、微笑みながらその場に立ち尽くして拓也の声を待っている。
ならば、俺が言うべきことは一つしかない。
二人で踏み出したこの機会を無駄にしないためにも、俺はこの言葉を口にする。
「頼りない俺だし、まだまだ横に立てているとも思えない。それでも、唯のことが好きだ。他の誰にも負けないくらいに。…俺と、付き合ってくれませんか?」
今この場には、自分たち二人しかいなくなってしまったのではないか。
そう錯覚してしまうくらいに周囲の雑音は聞こえなくなり、拓也が放った申し出は何よりも鮮明に彼女の耳へと届いた。
美しいダークブラウンの瞳はこの瞬間を待ち焦がれたかのように大きく揺らぎ、息を飲むような音が周辺に響いたかと思えば少しの間場を静寂が支配する。
時間にしてみればほんのわずかな、されどどんな時よりも長く感じられた沈黙はしばしの間続き……それもまた、彼女の手によって破られた。
「…はい! こちらこそ!」
大きく頷かれると同時に口にされた一言は、他のどんな言葉よりも雄弁に結果を物語っていた。
告白の申し出。それを了承すると唯は目の前に立っていた拓也へと感極まったかのように抱き着き、力の限り彼の存在を実感しているようにも見えた。
「…っと! …急に抱き着いてきたら危ないぞ?」
「…えへへっ! だって仕方ないでしょ? 本当に拓也くんと付き合えるなんて…夢みたいなんだもん」
「…そっか。ならもう少しだけ、このままでいてもいいか?」
「うん!」
決して離さないと、そう言わんばかりの意思を感じさせる抱擁は今の唯の願望を実現させたものだったのだろう。
拓也もその小さな身体に腕を回して抱きしめ返し、互いの想いが成就したことを今はただ純粋に喜び合う。
この腕の中にある愛しい存在を絶対に幸せにしてみせると心の中で誓いながら、二人は何者も立ち入ることのできない世界に浸っているのだった。
次回、最終話。




