第百八話 予定の擦り合わせ
ついに学校も一時の休息期間とも言える冬休みへと突入した。
夏休み前と同じように集会で退屈な話を聞き、それから担任の浅井先生から軽い注意事項等を伝えられればそのまま年内の学校行事は幕を閉じ、一般生徒にとっては残りは年明けの時を待つのみとなることだろう。
…だが、今までならばともかく今回だけは拓也にとってそのケースは適用されない。
なぜならば彼にとってはむしろここからが本番とも言える大舞台であり、今後の彼女との関係性を決める分かれ道ともなるのだから。
(…あと三日後か。思えば池上の言う通り、ここまであっという間だったな)
壁に掛けられているカレンダーを確認してみれば、今日の日付は十二月の二十一日。
唯へと想いを伝える予定になっているクリスマスイブは既に目前であり、それに伴って拓也の内心も荒れる……かと思われたが、不思議と今の心情は落ち着きに満ちたものだった。
もちろん逸る気持ちはある。不安だって変わらず残っている。
…それでもこうして静かな心境にいられるのは、今も隣に座ってくれている彼女の存在があるからだろう。
「…唯。さっきから凄い唸ってるみたいだけどどうしたんだ?」
「え? …そ、そんなに唸ってたかなぁ……」
「してたって。雑誌見ながら眉をひそめてたぞ?」
「嘘!? …ちょ、ちょっと考え事してたからそのせいかな」
ソファに座りながら拓也の真隣に視線を移してみれば、そこにはいつもと何ら変わらない様子でくつろぎながら読み込んでいた唯の姿がある。
先ほどから気になってはいたのだが、なぜか唯は手に持った本と見つめ合いながらうんうんと唸り声を上げており、集中しているところを邪魔するのも悪いかと思ってしばらく放っておいたのだが……こうも長く続くとそれも限界になってくる。
なのでできるだけ刺激しないようにと注意をしながら呼びかけてやれば、どうやら無意識の内に声を上げていたらしい彼女が驚きながらも返答してくれた。
…しかし、考え事か。
唯から答えてくれた内容に少し納得もするが、その肝心の内容に見当もつかないので同時に疑問も生まれてきてしまった。
「考え事って? 何だか随分と深刻そうな表情してたけどどうしたんだ?」
「うーん……まぁ、言っちゃってもいっか。これのことなんだけどね」
「これって……レシピ本か?」
そう言って唯がこちらに見せるようにして広げてきたのは、何やら小難しい説明文のようなものがびっしりと載せられた中心に大きなケーキの画像がある一ページ。
いくら料理に疎い拓也と言えど、これを見せられればケーキのレシピが書かれているのであろうことは容易に察することができた。
「そう! この前クリスマスにケーキ焼こうかなって言ってたでしょ? そのためにちょっと色々と見てたんだけど…」
「そういやそんなことも言ってたな……それでケーキのレシピを調べてたのか?」
正直なことを口にしてしまうと、唯はケーキくらいならレシピもなく簡単に作れてしまうものだとばかり思っていた。
それが勝手な思い込みであることは百も承知だが、こうして細やかなつくり方を調べているところを見るとそうでもないのだろうか……なんて考えも浮かんでくる。
しかし、当の本人からその言葉は否定されてしまう。
「うーんとね、実際はケーキ自体は別にレシピを見なくても作れるから調べなくても問題はないんだよね」
「そうなのか? …したら、なんでまたわざわざ……」
どうやら拓也の唯もケーキともなるとそう簡単に作ることなどできないのかという予想は外れていたようで、実際はそんなことをせずとも調理自体は簡単に済むらしい。
…そうなると余計に唯が雑誌とにらみ合っていた理由が分からなくなってしまい困惑してくるが、その答えはどうしてかわずかに頬を染めた彼女本人から教えられることになる。
「…そ、その……笑わないでくれる?」
「何で俺が笑うんだよ。内容はともかく、唯が言うことなら理由もなく笑うような真似はしないって」
なぜか口にすることを躊躇うようにしながら拓也に伺いを立ててくる唯だったが、こちらとしては彼女がしていることを意味もなく否定するようなことなどするわけもない、
それが拓也本人に害があることならまだ分からなくもないが、唯がそんなことをするはずはないと信じているのでその心配だってしていない。
だからこそ真っ向からその意見を切り捨ててやれば、唯の方もそれで覚悟も決まったのかその綺麗な瞳を拓也に向けて口を開いてくる。
「そ、そっか。それじゃあ言うけど……クリスマスにケーキを作ることは良いんだけど、どんな種類のケーキを作ったら拓也くんが喜んでくれるかなぁって考え始めたら止まらなくなっちゃって……今みたいにレシピ本を読んで候補を考えてたんだ…」
「………」
…危なかった。
その言葉を口にすることに気恥ずかしさがあったのか、頬を染めながらその瞳を伏せがちにしてもたらされた言葉は、拓也の意識を持っていくには十分すぎる威力を持っていた。
何より……唯が拓也のためにここまで悩んでくれていたという事実は、彼の胸にこれ以上なく刺さる言葉となって襲い掛かってきた。
そして、そんな献身的すぎる一言を一身に向けられた拓也はというとまるで身動きでも取れなくなってしまったのかと思うほどに硬直してしまい、そうした空気感に堪えられなくなったのか他でもない唯が全身をプルプルと震わせながらこちらに声を掛けてくる。
「…もう! 拓也くんも黙ってないで何か言ってよ! 私だけ恥ずかしいじゃん!」
「……あ、あぁすまん。いや、そこまで可愛いことを言ってくるとは思ってなかったからさ……驚いたっていうか」
「かわっ…!? …そ、そんなこと言ったって騙されないんだからね! 絶対どうでもいいとか思ってたでしょ!」
「思ってないって! …本当に嬉しかったからこそ思わず黙っちゃっただけだよ」
「……本当?」
気づかぬ間に恥をかかせてしまった唯への誤解を解くために必死の弁明をするが、それだけでは信頼しきれないと言わんばかりに頬を膨らませてこちらにジト目を向けてくる。
…その態度もとても可愛らしいと不覚にも考えてしまったが、それを正直に言葉にすれば更なる混沌が待ち構えているだけだということはしっかりと理解しているので口には出さずに自分の中で飲み込んでおく。
「本当だよ。…そこまで考えてくれてるなんて思ってなかったし、唯も楽しみにしてくれてるんだなって思えたよ」
「…そりゃ、せっかく拓也くんと二人で過ごせるクリスマスなんだから楽しみにもしてるよ。子供っぽいと思われるかもしれないけど…」
「そうか? 唯らしくていいと思うけどな。それにイベントを全力で楽しもうとすることには全面的に賛成派だし」
これに関してはお世辞でもおべっかでも何でもなく心からの本心だ。
こういった行事一つ一つに全力で取り組もうとすることはとても良いことだと思っているし、最初から最後まで無関心を貫くよりは全然マシだと思っている。
まぁ拓也の場合は必要に駆られない限りは自分の誕生日さえ祝おうとする姿勢を見せなかったので以前はどちらかと言えばそちらのタイプだったのかもしれないが、少なくとも唯と共に過ごすのであればこうしたイベントも丁寧に楽しんでいきたいと思えている。
そう思えるくらいには、彼女と過ごす時間が大切に感じられてきているのだから。
「…そっか。ならさっきのことは許してあげる!」
「ありがとよ。それで? 結局ケーキをどうするかって話だったっけ?」
「そうそう! 拓也くんはこれがいいとかって何かあるかな?」
「…そうだな。改めて聞かれると難しいけど……」
無事に唯から許しをもらうことができたので安堵の息を吐くと、息つく間もなく彼女から質問が飛んでくる。
…食べたいケーキの種類か。
普段は口にする機会もそうそうないデザートなので正直なところこれといった好みもはっきりとしてないのだが、それではせっかく聞いてくれた唯も困ってしまうだろう。
なので多少時間を掛けながら自分の食べたいものを思い浮かべてみるが……やはりそう簡単に浮かんでくるものはなかった。
「…これってものが中々思いつかないな。というか、そういう唯こそ好きなケーキとかないのか?」
「私? …そうだなぁ。強いて言うなら……ショートケーキかな?」
「へぇ。意外とシンプルなものが好きなんだな」
自分の好みが中々浮かんでこなかったので気分転換も兼ねて唯の方にそれとなく問いかけをしてみれば、彼女が答えてくれたのは意外にも定番とも言えるチョイス。
それもまた彼女らしいといえばらしいが、それでも少し予想外に思ったことも事実だ。
ゆえにその内心を素直に漏らしただけだったのだが……そう言うと唯はどういうわけか、口元をにやりと笑みに染めながらこちらに語り掛けてくる。
「…ふふっ。そうじゃなくてね。私がショートケーキを好きなのは……前の誕生日の時に、拓也くんが私のために一生懸命用意してくれたことがあったからなんだよ?」
「…っ! …そういう言い方は、ずるいだろ」
「何がー? 私はショートケーキが好きって言っただけだよ?」
「…分かってるくせによ」
それまでの空気を一変させて、まるでこちらを揶揄うかのような雰囲気を漂わせながらもたらされた一言に思わず出てきた動揺を隠しきれずに反応してしまう。
…そしてその言葉を送ってきた当の本人はというと、拓也が自分の言動に揺さぶられているのが面白いのかクスクスと笑いを漏らしながら見つめてきている。
唯と関わるようになり、彼女への想いを自覚して少しの時間が経ったことから少しはこういった言動にも慣れてきたかと思っていたのだが……どうやらそれは全くの幻想だったらしい。
その後も唯との何気ない会話は続いていき、結局クリスマスに作るケーキはショートケーキにするということで意見が合致した。
…そこに行きつくまでに拓也の羞恥心によって高まった体温が中々に下がらないという事態も発生していたが、それはどうでもいいことである。




