表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/112

第一話 何てことのない貸し


 六月の中旬。この時期になると雨が降ることも多くなり、それは登下校の際の不快感を否応にも高めてくる。今日も朝の間は晴れていたのに、帰ろうとした瞬間に降られてしまったのだから気分もがた落ちだ。

 念のためにと持ってきておいた傘を傘置き場から取り出しながら、原城拓也(はらきたくや)は帰宅のため昇降口へと向かう。


(天気予報を見てもしかしたら降るかもとは思ってたけど、ドンピシャだったとは……。雨に打たれて帰るよりも格段にましだし良かったな)


 登校する時には雲一つない快晴だったため、傘を持ち歩いていくかどうかはかなり悩んだのだが……無駄にならなくて何よりだ。

 行きの際には周りから少し奇異の視線で見られていた気がするが、そんなものに振り回されて雨に打たれ、風邪でも引いたりすれば馬鹿馬鹿しくてやっていられない。


 ただでさえ()()()()()で頼れる人が少ないというのに、ここで倒れてしまえば本当にアウトだ。

 日々の健康管理には気を使っているつもりだが、将来のことなど何があるか分かったものではない。

 万全を期しておいて損をすることはないだろう。


「にしても、さっき見た時よりも雨強まってないか? 早く帰らないと本格的にやばいかもな……」


 予報では午後は霧雨だと聞いていたはずだが、この様子ではまるっきり外れている。…あまり天気予報もあてにしすぎない方がいいかもな。

 どちらにせよこの状態では、時間が経てばまた強まっていきそうだ。さっさと帰ってしまおう。


 先ほどまで委員会の仕事を片付けていたので、帰るタイミングが遅くなってしまった。今校内に残っているのは居残りでもしている生徒か、部活動に所属している生徒しかいないだろう。

 その証拠に昇降口はガラガラであり、人っ子一人も見えない。

 帰宅ラッシュ時のように混雑していないことは嬉しいのだが、こう、誰もいない静けさというのはどこか不安感を感じさせてくる。


 聞こえてくるのは俺の吐息と雨が地面を打ち付ける音くらいのものだ。それ以外の何もないという状況は……少し苦手かもしれない。

 って、今はそんなことはどうでもいい。確か家に夕食の材料も無かったはずだし、途中でスーパーかなんかに寄って買っていかないといけない。

 俺も夕食抜きはさすがに勘弁だ。


「さて、帰りますかね。……ん? あいつは……」


 昇降口を出て傘を広げようとした時、先ほどまで気が付かなかったが一人の人影が目に入ってきた。

 全体的に小柄なフォルムに、透き通るような栗色のロングヘアをたなびかせている少女。その整った顔立ちはどこまでも吸い込まれそうなほどに魅力的であり、異性にそこまで興味のない俺でも知っているほどの有名人でもあった。


秋篠(あきしの)、だよな。何やってるんだ?」


 どことなく立ち尽くしているようにも見える彼女は、秋篠(あきしの)(ゆい)。その小さな体から庇護欲を掻き立てられる小動物のような愛らしさを醸し出しており、この学校では知らぬ者はいないほどの人気者だ。

 普段の日常生活でも、彼女の周囲には誰かしらが囲っているし、気品すら漂わせて会話をするさまには誰もが見惚れるところだろう。


 それに加えて、勉学に関しても非の打ちどころがないときた。定期テストの結果でも常に10位圏内に入るくらいには優秀なようだし、才色兼備という言葉がこれ以上似合う者もいないと思わせてくる。

 反面、運動に限ってはその低い身長が仇となって得意ではないと聞いているが、周りからすればそこも愛らしいポイントらしい。ちょこちょこと動き回る姿を見せつけられれば癒されるというのは分からないでもないが、言われる当人にしてみればたまったものではないだろうな。


 そして、そんな彼女と俺は一応同じクラスメイトでもある。しかし、彼女に対して俺の方は地味な容姿であり目立つ柄でもないので、まともに話したこともないが……この状況、どうするか。

 見た感じ、誰かを待っているってわけでもなさそうだ。それなら雨が降り付けてる外で待たなくても、教室なりにいればいい。

 そうでないってことは……多分、傘を持ってくるのを忘れたんだろうな。


 クラスメイトの会話の中で、完璧なんて言われることもある彼女だが、案外こういったミスもするようだ。

 そりゃそうか、人間なんだから。


 けど参ったな……。この場を黙って通り過ぎていくのは簡単だが、それも何だか彼女を見捨てていくように思えて後味が悪い。

 別に彼女との間に何の関係も恩義もあるわけではないというのは理解している。それでも、クラスメイトでありしかも秋篠をずぶ濡れで帰っているのを想像してしまうと……。

 でも彼女の方だって、大して関わっていない男子から声を掛けられたところで警戒するだけだろうしな……。


 はぁ……仕方ないか。


 どれだけ悩んだところで、おそらく出した結論は変わらない。

 ならばとっとと動いてしまった方が賢明だと判断し、まだ昇降口の前で呆然としている彼女に声を掛けた。


「おい、秋篠で合ってるよな? …そんなところで立ち尽くしてどうしたんだよ」

「…え? 原城くん、だよね? 別にどうしたってわけでもないけど……」


 唐突に知らない男から話しかけられたことで困惑しているようだが、律儀に言葉を返してくれた。

 ただ、立ち尽くしている理由に関しては素直に話すようなことはなく、誤魔化そうとしているようにも見える。


 …初めて秋篠と正面から話したが、こうして間近で見るとその美麗さが強調して伝わってくるようだ。くりくりとしたダークブラウンの大きな瞳に、艶さえ醸し出している桃色の唇。そのパーツ一つ一つが意匠を込めてつくりだされたような美しさを表している

 確かに学校の連中が夢中になるのにも納得だ。こんだけ美人なやつがいたら、そりゃ周りは放っておかないわな。

 他人事のように事実を再確認し、再度彼女に向き合う。


 正直、俺は彼女にそこまで興味が湧かない。他のやつらの綺麗だという評価には賛同するが、愛らしさだとか可愛いだとか、そういった外見にはあまり惹かれない。

 これは俺が捻くれてるだけなんだろうが、そこを変えるつもりもない。自分の好みなんざ他者に決められるものでもないし、最終的に俺自身が好きだと思えるものがあればそれでいいんだ。


 そして少なくとも今、彼女の外見的評価は俺にとってどうでもいいものだった。


「どうしたもこうしたもないだろ……。傘忘れたんだろ?」

「う……」


 確信を持って答えてやれば図星だったのか、顔をしかめている。

 俺の予想が間違っていなかったようで安心した。これで間違えていたら恥ずかしいもんじゃなかったしな。


「それで……どうすんだよ。この大雨じゃ、さすがに傘無しはきついだろ」

「…走っていけばそう遠い距離でもないし、そのまま行くよ。それに、原城君には関係ないでしょ?」


 あぁ、そうだ。彼女の言う通り、俺にはそのことは全くもって無関係なことだし、こいつが走って帰ろうと何か困るわけでもない。

 …だが、そんなことで引き下がるようなら始めから声なんてかけていない。


「お前ってやつは……。ほれ、これ使っていけ」

「え……。でもこれって原城君のやつでしょ?」


 俺が手渡したのは最初から手に持っていた傘だ。大きさも彼女との身長差を考えればすっぽりと覆ってくれるだろうし、特に問題もないだろう。

 なのでこれを渡してさっさと帰ろうとしたのだが、なかなか彼女の方が受け取ることなく拒んでくる。


「い、いいよ! 別に少しくらい濡れても大丈夫だし。それに原城君も傘なくなったら困るでしょ?」

「…あのな。それ聞いて引き下がれるわけないだろ。別に秋篠相手に礼を期待してるわけでもないし、後でこの傘を返してくれたらそれでいいから」

「…でも、そしたらそっちはどうするの? 傘ないでしょ?」

「…俺の方は教室にもう一本置き傘してあるから、それを使えばいいし。とにかくほれ! これ差して帰れ!」

「わわっ! …わかった。ありがたく使わせてもらうね? それと、ちゃんとお礼はするから」

「別にいらないよ。傘返してくれればいいって」

「そういうわけにはいかないよ! …じゃあとにかく、傘ありがとね! また明日!」

「あぁ、またな。 …さて、俺も帰るか」


 無事に傘を秋篠に押し付け……渡すことに成功し、あいつを濡らさずに済んだ。

 これで後味の悪い結末にならずに済んだし、満足ではあるが……俺の傘はなくなっちまったな。


 そう。秋篠にはああ言ったが、教室には置き傘なんてしてないし、俺の持っている傘はあれで最後の一本だ。

 彼女を納得させるためについたとっさの嘘ではあったが、ここでツケが回ってくるとはな。


「まぁいいさ。あいつが走るよりも俺の方が走った方が早いし……何とかは風邪ひかないってね」


 自分からわざわざ不利になるような道を選びに行って、その果てに自分だけが損をする。まさに大バカ者以外の何物でもないし、今でも間違った選択をしたと思っている。

 だがまぁ……後悔はしていないしいいか。

 あそこで見過ごしていれば、しばらくは今日の光景が頭から離れなかっただろうし、俺もこのことを悔やみ続けただろう。


 その苦悩を背負うことを思えば、一時の冷たさくらいなんてことはない。


「早く帰ろう。こんなとこで時間を潰してられない」


 さらに強くなってきた雨音をその耳で聞きながら、濡れる覚悟を決めて昇降口から一歩を踏み出す。



 地面に打ち付ける雨の音。俺の荒い呼吸。そこに加わるように響く水を切る足音は、俺の頭から余計な雑音を取り除いていったのだった。



新連載です。


拓也と唯。二人の織りなす物語をお見守りください。



更新ペースの方はとりあえず毎日頑張ろうかなとは思っていますが、若干途切れたりするかもしれないのでそこは予めご了承ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ