ジュテーム?
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
放課後の無人の学食、自販機でジュースを買おうとしていたところを、鮎川幹雄につかまってしまった。なるべく避けているのに、結局いつも見つかってしまうのはなぜだろう。そういえば、幼いころの幹雄はかくれんぼやおにごっこの鬼が得意だった。俺はいつも幹雄にだけは見つけられ、つかまってしまうのだ。
「こいつ、宮田紗智」
幹雄は、連れているかわいらしい女子生徒を俺に紹介した。今回もまた違う人だ。
「あー、ええと、鮎川の幼なじみの、小牧高志くん?」
紗智さんが温和そうな笑顔で俺の目をじっと見て、確認するようにそう言った。そして、「宮田紗智です。こんにちはー」と、あいさつをしてくれる。感じのいい人だな、と思う。
「こんにちは」
俺も笑顔であいさつを返す。少しの間があって、
「どう思う?」
幹雄がふわっとした質問を投げかけてくる。
「紗智さん? かわいい人だね」
それに答えると、
「そうじゃなくてさ、宮田紗智と俺がいっしょにいるのを見て、どう思う?」
いままでも、幹雄に彼女を紹介されることが度々、本当に何度もあったのだけど、こんなふうに感想を求められたのは初めてだ。幹雄は、紗智さんのことを気に入っているのかもしれない。だとしたら、いい傾向だ。なので、
「美男美女でお似合いだなって思うよ」
笑顔で褒めておく。
「ねえねえ、無理矢理連れてきておいて、これなんなの?」
俺たちのやりとりを黙って聞いていた紗智さんが、唐突に疑問を発する。なんと、理由もなしに無理矢理連れてこられたらしい。
「おまえはちょっと黙ってろ」
幹雄が紗智さんに雑な対応をしているのを見て、なんだか腹が立った。幹雄はいつも女の子をとっかえひっかえしていて、ひとりの人を大切にしようとしない。さっきの幹雄の感じから、紗智さんを気に入っていて紗智さんひとりに絞るのかと思っていたのだが、紗智さんに対する態度が悪いので考えを改める。
「そうやって乱暴に言うのやめなよ。無理言ってきてもらっておいて」
思わずとげとげしい口調になってしまった。幹雄は少し怯み、
「高志は宮田の味方すんのかよ」
そんなことを言う。
「あたりまえじゃん」
「は? どういうこと? もしかしておまえ、こういうのが好きなの?」
「初対面だからあれだけど、第一印象で好きかって言われたら好きだよ。紗智さん、かわいいもん」
「俺だってかわいい! 俺のほうが絶対顔がいい!」
「なに張り合ってんの? 顔はいいけど、かわいくはないじゃん。でかいし」
「なりたくて、こんなにでかくなったわけじゃない!」
「感じ悪いなあ」
幹雄ほど身長の高くない俺は、幹雄の言葉が皮肉に聞こえてしまう。
「ねえ、幹雄。なんで彼女ができるたびにいちいち紹介してくんの? もう別に俺に紹介してくれなくてもいいよ。勝手に仲良くしてたらいいじゃん」
「彼女じゃねーし!」
「彼女じゃないよー」
ふたりの声が重なった。幹雄はむきになり、紗智さんは気を悪くしたふうもなく穏やかなトーンだ。
「それに私、別に鮎川のことそういう意味で好きってわけじゃないしね」
「あ、そうなの?」
「ほら、鮎川って顔はいいけど、こう、なんて言っていいか……残念なとこあるじゃん?」
「あー、ある。あるね」
「残念ってなんだよ」
ということは、もしかして、いままで幹雄が俺に紹介してきた女の子たちは全員、彼女ではなかったのだろうか。だとしたら、なぜわざわざ俺に紹介してきたのか、ますますわけがわからない。
「じゃあ、いままで紹介してくれた女の子たちも、もしかして彼女じゃなかったりすんの?」
疑問をそのまま口にすると、
「はあ? 彼女なわけねーし! おまえ、あいつらのこと彼女だと思ってたのかよ?」
幼なじみに、親しげな女の子を紹介されたら、そりゃ現在お付き合いしている女性だと思うだろう。呆れながら、
「彼女じゃないなら、なおさらだよ。なんでいつも女の子の友だち紹介してくんの? ちょっともう面倒くさい」
そう言うと、幹雄は拗ねたような表情で黙り込んでしまった。
「ねえ、私もう帰ってもいい?」
その隙をついて、紗智さんが言う。
「あ、ごめんね。なんか無意味に引き止めた感じになっちゃって」
「いいよー。でも、今度なんかおごって。ジュースとか」
「うん、もちろん」
「おい、そうやってふたりきりで会うんじゃないだろうな」
俺と紗智さんのやりとりに幹雄がムスッとした表情で反応する。
「別にいいじゃん、ふたりで会ったって」
ふたりきりで会うなどとそんな大胆なことを考えてはいなかったが、俺の行動を幹雄にとやかく言われる筋合いはない。
「だめに決まってんだろ。会うなら俺もいっしょのときだ。ふたりきりでなんて絶対だめ」
俺と紗智さんは顔を見合わせて、面倒くさー、と呆れながら笑い合う。
「じゃあ、いまジュース買ってあげる。紗智さん、どれがいい?」
「これがいい」
俺が自販機に小銭を入れ、紗智さんがボタンを押す。
「おい、高志。いつも思うけど、女子のこと気軽に下の名前で呼んでんなよ。女子は単純だからおまえのことすぐ好きになるぞ」
幹雄は自分でもジュースを買いながら、俺にそんなことを言ってきた。
「鮎川、さっきから失礼じゃない? 名前で呼ばれたくらいで好きになんてなんないって」
「そうだよ。主語がでかいし偏見もすごい。みんなそんな単純じゃないよ。もしそれが本当なら、俺はいまごろモテモテだって」
ふたりで反撃すると、幹雄はまた拗ねて黙ってしまう。
「まあ、好きになるきっかけにはなるかもしんないけどねー」
紗智さんが冗談ぽく言うので、
「ほら見ろ」
幹雄が勢いを取り戻してしまう。
「高志、いま宮田に好きになられてるぞ」
「そうだとうれしいけど」
「なんでだよ。うれしいのかよ。おまえ、宮田のこと好きなのかよ」
幹雄は気色ばんでひとりで騒いでいる。
「確かに、小牧くんに対して好感は持ったけど、恋愛には発展しないよ」
紗智さんはあっさりと言う。
「そうなんだ。発展しないんだ」
俺は少しがっかりしてしまう。高校に入ってから、クラスの女の子から、「小牧くんて、なんか話しやすいね」と言ってもらえることもあった。いままであまり女の子と接してこなかったということもあり、それ自体はうれしいのだが、やはりそこから恋愛には発展しそうもない。つまり、俺の特徴のない平凡な外見が、女の子からすると人畜無害そうに感じられるのだろう。
紗智さんは、「じゃあねー」と軽く手を振ってにこにこしながら帰っていってしまった。残された俺と幹雄は、無人の学食のテーブルに着き、ジュースを飲んだ。
「なにがっかりしてんだよ」
幹雄が言った。
「おまえ、初対面なのに宮田のこと好きになったのか。だったら紹介するんじゃなかった」
自分で勝手に紹介してきておいて、幹雄は苛立ったように勝手なことを言う。だけど、幹雄が勝手なのはいつものことなのでスルーする。
「好きになったってわけじゃないけど、あんなあっさり恋愛には発展しないって言われると残念には思うよ」
「なんで残念なんだよ」
「紗智さんかわいいし、あんな子に好かれたらうれしいもん」
「俺は、好きなやつにだけ好かれたらそれでいい」
幹雄が急にまともなことを言った。あんなにたくさんの女の子を俺に次々に紹介してきた幹雄が、まさかそんなまともなことを言うとは思わなかったので、俺はその場でフリーズしてしまう。
「なんだよ」
俺の視線を感じたらしく、幹雄が居心地悪そうに言った。
「もしかして、幹雄って好きな人いるの?」
思わずそう尋ねていた。
「い、いたらどうなんだよ」
幹雄はどこか焦ったように、答えにならない返事をする。
「別にいいと思うよ。その人のこと、ちゃんと大事にするならさ」
当たり障りのない俺の言葉が気に入らなかったらしく、
「昔は、俺が他の誰かと仲良くしてたら、あれ誰あれ誰って、すげー気にしてたくせに」
幹雄はそんなことを言う。
「いつの話してんの? 幼稚園のときとかじゃん、それ」
幼いころは確かにそうだったが、小学校の高学年になったあたりからは、幹雄が誰と遊んでいようがそんなに気にならなくなった。幼いころの幹雄は、それはもう女の子みたいにかわいらしかった。そんなかわいい幹雄を独り占めしたいという感情がなかったとは言えない。しかし、小学校に入学して数年が経つと、幹雄の容姿はかわいいというよりかっこいい感じに変化し始めていたので、俺の幹雄への好意は半減してしまったのかもしれない。そう考えると俺も結構勝手なものだ。それに、俺だけではない。幹雄だって俺が他の友だちと仲良くしていたら、怒って無理矢理に遊びに割り込んできたり、邪魔してきたりした。しかも、幹雄のそれは、俺のそれとは違い、成長した現在まで続いている。そのせいで高校に入るまで、俺には幹雄以外に親しい友だちができなかった。せっかく仲良くなれそうな人がいても、幹雄に邪魔されてしまうのだ。高校に入学し、このままではよくない、と気づいた俺は、なるべく幹雄といっしょにいることを避け、積極的に親しみを持って誰にでも話しかけるようにしてる。おかげでちゃんとクラスに友だちがちらほらでき始めたので、安心した。これは、幹雄とクラスが違ったことにより功を奏したと言えるかもしれない。幹雄と同じクラスだったなら、なんだかんだ邪魔されて、相変わらず友だちなんてできなかったかもしれない。端的に言うと、最近の俺は、幹雄のことを煩わしいと思い始めてしまっていた。
「まあいいや。もう帰る」
別の生徒が自販機にジュースを買いに学食に入ってきたのを機に俺は話を打ち切った。
「じゃあ、俺も」
俺が立ち上がると幹雄も立ち上がる。飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、俺は学食を出る。幹雄もあとからついてくる。家が隣同士なので、必然的に幹雄といっしょに帰ることになるのだ。避けるのにも物理的な限界がある。
「幹雄も、俺の他に友だちつくれよ」
帰り道、幹雄に言ってみた。俺もそうだったが、幹雄にも俺以外に親しい友だちがいるような気配はない。
「いらね」
幹雄は面倒くさそうにひとこと、そう言った。
「紗智さんは友だちじゃないの?」
幹雄は黙っている。
「いままで紹介してくれた女の子たちは? 友だちじゃないの?」
「うるせーな。俺はおまえがいたら別にそれでいいんだよ」
ぼそっと呟くように発せられた幹雄の言葉に、
「そういう考え方はどうかな。もっといろんな人と交流したほうが世界が広がるんじゃないの?」
俺はそう返す。幹雄は無言で、俺を恨めしそうにじっとりと睨む。
*
日曜日の朝、玄関で靴を履いているところを、幹雄につかまってしまった。いままでなら、幹雄は自分の部屋の窓から俺の部屋の窓に渡り、直接部屋に侵入してきていたのだが、最近はそれを阻止するために、俺が窓に鍵をかけているため、玄関から普通に訪ねてきたらしい。よりによってこのタイミングで鉢合わせるなんて。俺は軽く絶望していた。
「どこ行くんだよ」
ティーシャツにジャージという部屋着丸出しの姿で、幹雄が不機嫌そうに言った。足もとは素足にサンダルだ。そんないいかげんな服装でも、顔がいいからか、なぜか様になっているのが気に入らない。
「買いものだよ」
俺はシンプルに答える。
「ひとりで?」
俺は答えに詰まる。正直に言うと、これまでみたいに邪魔されるかもしれない。だけど、ひとりで行くと言っても、幹雄はきっとついてくるだろう。
「クラスの友だちと」
迷った挙句、俺は正直に答えた。今日は、同じクラスの古河くんと遊ぶ約束をしているのだ。
「俺も行く」
案の定、幹雄はそう言った。
「だめだよ」
「なんで」
友だちと遊ぶのを邪魔されたくない。そう素直に言うべきかどうか俺は迷う。素直に言ったら言ったで怒った幹雄に邪魔をされそうだし、誤魔化して取り繕ったとしても、普通に邪魔をされるだろう。
俺は玄関を塞いでいる幹雄を押しのけて、無言で外に出る。幹雄はなにも言わずについてくる。バス停まで歩き、街へ行くバスがくるのを待つ。どうにかして自分だけバスに乗ってしまえば幹雄を巻くことができるかもしれない。そんな算段をしていたら、バスがやってきた。
「おまえは乗るなよ」
開いた扉を前に、幹雄を手で制しながら言うと、
「はあ? 公共交通機関だろ。誰でも乗っていいんだから乗るよ」
俺を押しのけるように幹雄はバスに乗り込もうとする。
「そうじゃなくて、ついてくんなって言ってんの」
「行き先が同じなだけだ」
「すぐばれるようなうそつくな」
軽くもみ合うようにしていると、運転手さんに目で急かされる。
「もうやだ……」
ぽつりと、思わず本音が出てしまった。幹雄は俺を睨みつけると乗車券をひったくるようにして取り、ひとりでさっさとバスに乗ってしまった。すべてを諦めて、俺もバスに乗り込む。このバスを逃したら次は三十分後だ。それだと待ち合わせに遅れてしまう。俺と幹雄は少し離れた場所に立ち、なにも話すことなく街へと運ばれていく。
「お、お待たせ」
待ち合わせ場所の広場で、古河くんの顔を見つけ、おそるおそる声をかけると、
「いや、全然まだ時間前……」
そう言って顔を上げて俺のほうを見た古河くんが、俺の背後を見て固まった。あたりまえだ。俺の背後には、不機嫌な幹雄がいるのだ。しかも幹雄は俺と古河くんよりもちょっとでかいので、威圧感もある。
「こいつ、鮎川幹雄。俺の幼なじみなんだけど、ごめん、なんかついてきちゃって……」
「あー、ええと、そうなんだ……」
謝ると、気まずい空気が流れた。幹雄は素知らぬ顔をしている。しかも、幹雄は財布もスマホも持っていなかったので、俺がここまでのバス代を立て替えたのだ。信じられない。
「じゃあ、行こうか。おれ、服見たいんだ。新しい夏服欲しくて」
古河くんは気を取り直したようにそう言った。明らかに想定外であろうこの現状に、古河くんは文句のひとことも言わなかった。俺は申し訳なく思いながら、幹雄のことを極力いないものとして扱うことに決めた。幹雄は無言で俺たちについてくる。しかし、幹雄がおとなしくしていたのはそこまでで、ショッピングモール内のショップで古河くんと服を選んでいると、
「なあ、もう帰ろうぜ」
唐突にそんなことを言い始めた。
「帰って、俺んちか高志んちでゲームやろうぜ。別に、そっちのやつもいっしょにきてもいいし」
そっちのやつというのは古河くんのことだろう。きてもいいということで譲歩しているつもりかもしれないが、そもそもこの場では幹雄のほうが異分子なのに、そんなふうにえらそうに上からものが言える気が知れない。
「まだ帰んないし、ゲームもしないよ。俺らは今日、買いものするためにここにきてるんだから」
「さっきからなんも買ってねーじゃん」
「見るだけも買いもののうちなんだよ」
古河くんは言い合う俺と幹雄を交互に見ながらおろおろしている。申し訳ない。
その後も、幹雄は帰ろう帰ろうとぐずってうるさかった。俺は幹雄に対していらいらしてしまうし、古河くんは困っている。幹雄がここにいることで空気が汚染されているような気がしてきて、怒りが湧いてくる。なにより、望まないのにこんな気まずい思いを古河くんにさせてしまっていることが本当に申し訳ない。せっかく楽しい一日になるはずだった今日が、幹雄のせいで台無しだ。
「勝手についてきておいて、勝手なこと言うなよ!」
何度目かの「帰ろう」を言われたとき、俺のなかのなにかが、ぶつん、と切れてしまい、店内なのに思わず大きな声が出た。
「帰りたいなら、ひとりで帰れ!」
俺は財布から千円札を出し、それを幹雄に押しつけて言った。周りのお客さんたちが驚いた様子でこちらを見ている。幹雄は驚いたような表情をしたあと、少し泣きそうな顔になり、千円札を受け取ると、こちらに背を向けて怒ったように無言で歩いて行った。
思えば、幹雄に対して、こんなふうに本気でキレたのは初めてかもしれない。いままで、幹雄にいくら邪魔されようが、いつものことだと諦めてしまっていた。その都度、ちゃんと怒って意思表示をしていれば、こんなふうに爆発することはなかったかもしれないのに。
「ごめんね、古河くん。大きな声出して」
「ううん。びっくりしたけど、全然大丈夫」
古河くんは気の抜けたような笑顔だった。俺のせいでショップに居づらくなってしまったので、俺たちは店員さんや周りのお客さんに頭を下げながらこそこそと通路へ出る。こんなことがあったので、古河くんはもう、俺とは仲良くしてくれないかもしれない。そう思うと、悲しくなった。いままでだってそうだったのだ。幹雄の邪魔が入ると、仲良くなりかけていた友だちは、みんな俺から離れて行った。
「ねえ、小牧くん。さっき、なんで鮎川くんに千円渡してたの?」
ふいに古河くんがそんなことを尋ねてきた。
「あー、あれは帰りのバス代。あいつ、財布持ってなかったから」
「なるほどー」
俺の返事に、古河くんは納得したように明るくそう言った。
お昼も古河くんといっしょに食べる予定だったのに、その日は結局、昼前に解散になってしまった。なんとなく、もう楽しく遊べるような雰囲気ではなくなってしまったのだ。古河くんは、新しい夏服を買わなかったし、俺も欲しいものが見つからなかった。
*
「あ、小牧くーん」
月曜日、昼休みに人気のない体育館裏の外通路の段差に座り、隠れるようにしてサンドイッチを食べていると、なぜか紗智さんがやってきた。
「紗智さん」
「こんなところで、なにしてんの?」
「幹雄から逃げてきた」
紗智さんは、あはは、と笑いながら、俺のとなりに座った。俺は食べ終わったサンドイッチのごみをビニール袋にまとめて傍らに置く。
昨日から俺のスマホは鳴りっぱなしで、俺は幹雄を避けっぱなしだった。夜に二度三度、窓をどんどんと叩く音がしたが、俺は反応しなかった。幹雄の侵入を阻むため窓の鍵をしっかりかけてカーテンも閉めたままだ。玄関から正面突破されたら避けようがなかったのだが、幹雄は玄関から入ってくるようなことはなかった。そこまでするには、幹雄もまだ気まずいのかもしれない。今朝も、きっと幹雄が家の前で待ち伏せしているだろうことを予想して、早めに家を出た。古河くんに昨日のことを改めて謝ると、快く許してくれた上に、「よかったらまた買いもの行こうよ。今度こそ夏服買いたいし。それに、鮎川くんいても大丈夫だよ。最初からいるってわかってれば心の準備もできるし」とやさしい言葉をかけてくれた。さらに、俺を避けることなくいつもどおりに接してくれたので、そのありがたさに俺は泣きそうになった。古河くんは、天使か。いいやつすぎる。しかし、いい友だちを持つことのできたうれしさを噛みしめる暇もなく、休憩時間のたびに俺を探しにくる幹雄から逃げ回って、現在に至る。
「紗智さんは?」
「私? 私はねえ……告白された帰り」
少し言いにくそうに紗智さんは答える。
「え、そうなの」
体育館裏に呼び出されて告白されるという事象が本当に存在していたことに少し感動を覚える。
「そう。こう見えて実はモテるんだよ」
冗談っぽく発せられた言葉に、
「ちゃんとモテそうに見えてるよ」
俺も冗談っぽく返す。
「なんで逃げてんの? ケンカ?」
「ケンカっていうか、俺が勝手に怒ってるだけ」
俺は日曜日の出来事を、紗智さんに簡単に説明した。
「鮎川は、小牧くんにかまって欲しいんだよ」
「知ってる」
「なら、逃げてないでちょっとはかまってやったら? 一度にがっつりかまわなくても、ちょっとずつなら負担は少ないんじゃない?」
まるでローンを組むことを勧めてくる人みたいに紗智さんは言う。
「やだよ。あいつ、調子乗りだもん」
そう言いつつ、今回に限っては気まずいだけで避けてしまっている。
「わかるー」
紗智さんは笑った。
「かまってアピールも度が過ぎてるし」
「まあね。鮎川って本当、小牧くんの気を引こうと必死だもんね」
「小さいころからそうなんだ。俺が幹雄以外の友だちをつくろうとすると邪魔してくるんだ」
もう普通に幹雄の愚痴になってしまっている。
「そうやって邪魔するのはよくないとは思うけど」
紗智さんは言う。
「でもさ。あいつ、口には出してないけど、小牧くんにずうっとジュテームって言い続けてるんだよね」
唐突に出てきた単語の意味が飲み込めず、
「ジュテーム?」
オウム返しに問い返す。
「そう。みんな知ってるよ。でも、本人には全く伝わってないんだから、ダメダメだけどね」
「なんで急にフランス語なの」
「情熱的な感じがするかと思って」
紗智さんは言い、俺たちはなんとはなしに笑い合う。
「鮎川のこと、嫌いってことはないんでしょ?」
「あー、まあ。ずっといっしょにいたから、そもそもそういう次元じゃないっていうか。でも、うん、嫌いではないな。うざいとか、面倒くさいとは思うけど、嫌いとは思わない」
そういえば、そうだ。いくらつきまとわれても、友だちをつくるのを邪魔されても、幹雄のことを嫌いだなんて思ったことはなかった。こんなふうに自分の気持ちを口に出してみて、俺は初めてそのことに気づく。
「えー、それって普通に愛じゃん?」
紗智さんは両手でハートの形をつくって、楽しそうにニマニマしている。
「どこが?」
そんなことを話していたら、
「あ、高志!」
とうとう幹雄に見つかってしまった。結局いつも見つかってしまうのだ。
「おい! おまえらふたりでなにやってんだよ!」
幹雄は例によって例のごとく不機嫌さを隠そうともしない。
「おしゃべりしてただけだよ」
「ふたりきりで会うなって言っただろ!」
「そんなの、俺の自由だろ。おまえにどうこう言われる筋合いはないよ」
幹雄はむっつりと黙ってしまう。
「大変だねえ、小牧くん」
紗智さんはそんなことをこれっぽちも思ってなさそうな口ぶりで言う。
「いま紗智さんから聞いたんだけど、おまえって俺のこと好きなの?」
昨日のことを少しは反省しているのかと思っていたのに、相変わらず勝手なことを言う幹雄に苛立ってしまい、俺は言わなくてもいいことを言ってしまった。
「は、なん、はあ!?」
すると、幹雄の顔は急激に真っ赤になり、
「おま、宮田っ、なんで……なんで言うんだよっ」
裏返った声で吠えた。しまった。矛先が紗智さんに向いてしまった。
「あ、ご、ごめん。ついぽろっと言っちゃった……」
幹雄の権幕に、紗智さんは立ち上がって謝っている。俺もなにかフォローを入れようと口を開きかけたそのとき、
「俺、自分で言おうと……いつか絶対、ちゃんと自分で言おうと……思って……」
幹雄がぼたぼたと地面に涙を落とし、泣き出してしまったのだ。
「うん、うん。だよね。ごめん。ごめんね、鮎川。ほんとごめん」
紗智さんは慌てたように、スカートのポケットからハンカチを取り出すと、
「ごめん、小牧くん。はい、これハンカチ」
なぜか俺に渡してきた。
「涙拭いてあげて」
「え、待って」
「私はいないほうがいいと思う。なので逃げる」
「ちょ、紗智さん」
「あとは任せた」
紗智さんは、ほんとごめーん! と叫びながら本当に逃げるように走って行った。残された俺は、とりあえず幹雄をとなりに座らせる。幹雄は膝を抱えるようにして座り、その膝に顔を埋めて俯いている。でかい身体を小さく折りたたんでいるその様は、なんだか異様だ。似合っていない。
「昨日はごめん」
幹雄は涙に震える声で言った。俺は、幹雄が素直に謝ったことに驚いていた。いままでの幹雄なら、気まずそうな態度で反省の意を示しつつ、だけど絶対に謝らなかったはずだ。
「俺、自分のことばっかで、高志の気持ちとか、いっしょにいたやつの気持ちとか全然考えてなかった」
しかも、俺がなぜ怒っているのかをちゃんとわかっていて謝っていたのか、と少し驚く。俺の知らない間に、実は幹雄はちゃんと成長していたらしい。ここのところの俺は、幹雄のことを面倒くさがって避けてばかりいて、こういう変化に全然気づいていなかった。
「いいよ。俺も、公共の場であんなふうにキレて、ごめん」
幹雄がちゃんと謝ってくれたので、俺のなかの積もりに積もっていたわだかまりがほどけてしまい、自然と素直な言葉が出てきた。
「俺、小さいころからずっと、いまも、高志が俺以外のやつと仲良くしてんの嫌だったんだ」
幹雄が弱々しく言う。
「俺のこと、好きだから?」
幹雄は一瞬黙って、洟をすすった。
「……ちゃんと、自分で言おうと思ってた」
ぽつりと幹雄が言った。
「でも、高校入ってから、高志はあんま俺といっしょにいてくれなくなって、窓も開けてくんなくなって、俺のこと嫌いになったのかなって。それで、高志に昔みたいにやきもちやいてほしくて、女子に頼んで……っていうか、無理矢理連れてきて、紹介して、馬鹿なことしてた」
あの次から次へと紹介された女の子たちには、そういう意味があったのか。本当に馬鹿なことを、と思い呆れてしまう。
「でも、人づてでも、知れてよかったよ。おまえの面倒くささの理由がわかったし」
「なんだよ、それ」
「なんで幹雄がこんなに面倒くさいのか、ずっと不思議だったんだ」
「ずっと、面倒くさいって思ってたのかよ、俺のこと」
「思ってた」
「じゃあ、俺、ずっと間違ってたんだな」
幹雄の言葉に、俺は少し笑ってしまう。
「高志にはずっと、俺のことだけ見ててほしかったんだ」
「さすがに無理だよ、それは」
「うん、わかってる」
沈黙が下りる。告白される準備をしていたのに、幹雄がなにも言わないので、
「ジュテーム?」
促すようにそう言ってみた。
「なんで急にフランス語なんだ」
幹雄は顔を上げ、涙に濡れた目で、きょとんと見返してきた。
「いや、日本語じゃ直接的すぎるかと思って」
「なんだそれ」
そう言って幹雄も少し笑う。
「あ、そうだ」
俺は、紗智さんに渡されたハンカチのことを思い出し、幹雄の濡れたほっぺたを拭う。こんなふうに幹雄の世話を焼くみたいにかまうのは、いつぶりだろうか。幹雄もそう思ったのか、「うれしい……」と、ひとことだけ言った。そのときの幹雄の情けない顔が、なんだか幼い子どものようで、俺の胸はきゅっと締めつけられたみたいに痛む。ぐう、と、のどが鳴った。その存在を煩わしいと感じていたことも忘れ、俺は昔そう思っていたように、幹雄のことをかわいいと思ってしまう。なので、幹雄がこちらに伸ばしてきた腕に抗うこともせず、すっぽりと抱きしめられてしまった。
「俺、高志のことが好きだ」
幹雄がやっとそう言った。その言葉は、すんなりと俺の脳に浸透し、それから俺の顔を熱くさせた。俺は、いま体育館裏で告白されたのだ。そのベタな事実がちょっとおもしろい。
「俺以外のやつと仲良くしてもいいから、俺のこと嫌いにならないで」
「わかった。おまえの勝ちだよ」
縋るような幹雄の言葉に、俺はそう返す。いくら逃げても隠れても、いつも幹雄には見つかってしまう。そして、結局捕まってしまうのだ。
「嫌いになんてなれないんだから」
了
ありがとうございました。