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「やっといい感じに壊れてくれたわ」


 お姉さんは顔面に笑みをたたえていた。景色がやけに鮮明に見えた。


 萌子がコントのようにぶつかった壁。壁に小さな傷がついたのは二人の秘密にしたんだっけ。

 子どもが頬張っているフルーツパフェ。食べられないくせにいつか食べてみたいって言ってたな。

 花瓶に生けられた花の蕾はまだ固い。押し花のしおりを作ってくれるらしいがいつになるのだろう。


「いや、だから萌子は元気で……。あれ?」


 萌子は床に横たわり、眠るように瞳を閉じていた。もう二度とあの無垢な双眸が自分を捉えることはないのだと本能的に悟った。何をされたか気づかなかったのかもしれない。表情は穏やかだ。側にそっと膝をつく。


「ごめんな、萌子」


 お姉さんの弾んだ声が聞こえる。誰かと通話しているようだ。「はい、やっと壊れてくれましたよ。手こずりました。……えぇ、良かったです。……ありがとうございます」


 壊れただと? (ころ)したの間違いだろう。

 思った瞬間に腹の底から怒りが湧いてきた。萌子をこれ以上犯し穢されてたまるものか。


「……何が良かったんですか?」

「え?」


 間欠泉が一瞬のうちに蒸気を噴き出すように、未来は吠えた。


「手こずってまでわざわざ殺す必要あったんですか!?」


 床に横たわった萌子を抱き寄せる。背中から手を突っ込み心臓のあたりをまさぐった。もうすこし左。もうちょっと奥。目当てのものが中指に当たった。萌子の破片をそっと掻き出す。ゆっくりと傷つけないように。萌子に先端技術を習っておいてよかった。


「ちょっと……お客様?」


 何もなかったかのように食事を続けていた数組の客がこちらを凝視している。

 まだ温もりを残した萌子の欠片を握りしめ、未来は駆け出した。


「困ります! お客様!?」


 何も聞こえない。何も考えたくない。ただただ闇雲に両足を動かせと脳から指示を出す。どこまでも走っていけと命令する。


 その一方で、頭の中のもう一人の自分は自嘲していた。何をやっているんだ。馬鹿なやつだな。内申点に響くぞ。ただのロボットが一台壊れただけだろうが。


 分かっている。全部知っている。

 あのお姉さんは悔しいほどに真っ当だ。


 人の思考を反映したロボットを破棄するのは簡単ではない。まだ使えるロボットを破棄しようものなら莫大なリサイクル料を請求される。逆に限界まで使えば補助金が下りる。


――いっそ壊れてくれたら新しいロボットが導入できるのに。


 そう思ってしまうのはきっと正常なのだ。

 壊れそうになったら好機に乗じて壊すのが正解なのだ。


 でも、萌子は、萌子だけは別だ。傷つけてはダメなのだ。大事にしてやらないといけないのだ。守ってやらなくてはいけないのに、それなのに失敗した。


「馬鹿やろお」


 一度声に出すと、胸の奥から込み上げてくる熱が喉を這い上がった。何かが止め処なく流れていってしまいそうだった。


「いきなりぶっ壊れやがって何考えてるんだよ、萌子。ふざけんじゃねぇぞ。……守らせろよ!」


 歪んだ景色の中で、萌子の透き通った声が聞こえた気がした。


――特別なのです






 どうやって家にたどり着いたのかは覚えていない。未来は自室のベットに腰掛けて息を整えていた。


 母親は父親を連れて夕食に出かけたようだった。『せっかく仕事が休みだからどこかに連れて行ってあげようかと思ったのに、家族とお出掛けもしたくないのね。』未来のスマホにはそんな恨み言が届いていた。


 だいぶ走ったからだろう。暑くてかなわない。制服のジャケットを脱ぎ捨てると、左右のポケットに入っていた大量の飴玉が床に転がり乾いた音を立てた。


 飴玉は別に好きではない。嫌いではないが、なくても構わない。ファミレスに行くたびに萌子がくれるのでポケットの中で自然と貯まってしまったのだ。


 飴玉はファミレスの入り口に置いてあった。欲しければ自分で取る。そう説明しても萌子は聞かなかった。辺りをきょろきょろとして誰もいないのを確認する。そして突然、いくつかの飴玉を未来のポケットに入れるのだ。小声で、「特別なのです」と言いながら。


 ある日、未来のポケットに見慣れない飴玉が入っているのを見つけて萌子は飛び上がって喜んだ。


――やっぱり合っておりました。飴玉を持っているとお友達ができるのです


 間違ってはいない。

 飴玉をなんとなくあげたり交換したクラスメイトと距離が近くなったという経験はある。でも、そんなことで実用性のあるものを入れられたはずのスペースを無駄にしようとは全く思わない。なぜ、無駄にしたんだろう。


「……そっか。俺はとんだまぬけだな」


 萌子はもういないという現実がひしひしと伝わってきた。いるときには何とも思わないくせにいなくなった瞬間に気づくなんて、なかなかどうして残酷で傲慢だ。


 ファミレスに行けばきっと新しい配膳ロボットがいて、希望さえすれば未来の名前を呼んでくれるのだろう。萌子がいたことなんて客の多くは覚えてもいないのかもしれない。そのうちに、未来も萌子のことをだんだんと忘れていく。思い出しはするだろうが、いなくてもきっと平気になっていく。


 夢の中で息子を育て続けているこうくんママは、もしかしたらそれが許せないのかもしれない。現代社会には、亡くなってしまった子どもを忘れずに愛し育て続ける方法があるのだから。


 奪い取ってきた萌子の欠片に手を伸ばす。心臓部分から取り出したマイクロチップ。壊れてしまうのが怖くて、小動物を扱うようにそっと手に取った。


 マイクロチップをラップトップパソコンに挿入する。

 萌子のことをもっと知りたくて、経歴を開く。


 萌子は一世紀ほど前にメイドロボットとして作られていた。予想はしていたがそもそも配膳ロボットではなかったのだ。


 社長令嬢の特別オーダー品だから、当時は非常に高価なものだったのだろう。年老いた父親の世話をするために作られたことを考えれば、お節介焼きな性格に設定されたことも頷ける。


 萌子は職場を転々とさせられていた。最初の職場は、大量のシルク製品を洗濯機に掛けてしまって解雇されていた。「汚れていましたので、恐縮ですが洗わせていただきました」と堂々と主張する萌子の姿が目に浮かぶ。


 事由はバラエティーに富んでいたが、どこの職場も一貫して『能力不足』でクビになっていた。それなりの値段がする買い物である。学習を促すためにも一度購入したロボットは長くつかうのがセオリーの中、かなりレアなケースと言っても良いだろう。


 萌子に居場所というものはあったのだろうか。仲間はずれにされていると感じたことはなかったのだろうか。


 一度、萌子が酷いクレームを受けているのを目撃したことがある。


 若い男性客にオムライスを配膳したあと、習性からだろう、トマトケチャップでハートマークを書いてしまったのだ。慌てて平謝りをする萌子を面白がり、その男性客は仲間たちと共に萌子に踊るように命令した。


 結果は散々たるものだった。鼻であしらう者、罵声を浴びせる者、寝たふりをする者、萌子にコップの水を浴びせる者。一度奥に引っ込んだ萌子は、すぐに何事もなかったかのように笑いながら未来のテーブルにやってきた。


――お恥ずかしいところをお見せしました。また失敗してしまいましたね。

――止めてやれなくてごめん。出ていったらクレームになるだろうしどうしたらいいか分からなかった。

――とんでもございません。未来様はやっぱりお優しい方です。

――萌子、あんなことされて悔しくないのか? 悲しくないのか? 許せないって思ったりしないのか? 俺は今、あいつらにものすごく怒ってるんだ。


 しばらく考えてから、萌子は言った。


――全部思います。私は悔しいも悲しいも許せないも全部ちゃんと知っているのです。でも……許します

――なんで許せるんだ?


 萌子は憂いを帯びた顔をしながらも、口角をぐっと持ち上げる。


――人を変えようとしても変えられないと知っているからです。それを受け入れないと苦しくなってしまいます。ちゃんと受け入れて、自分に出来ることを毎日ゆっくりできたらいいなと思うのです。

――そんなこと、できる気がしないけどな。

――えぇ、私にもできません。でも、未来様はこんな私のことを受け入れてくださっているではないですか。だから私も精進したいと思います。


 未来は、萌子のマイクロチップをラップトップパソコンから抜き出した。『睡眠補助デバイス-アルケミスト』は手元にある。挿入すれば、夢の中で萌子に会えるはずだ。未来が持っている型では映像は白黒になる。萌子に接触できる範囲も限られてはくるだろう。


 でも、そんなことは構わなかった。萌子に一目でもいいから会いたかった。恋しかった。


 きっと会話くらいはできるだろう。運が良ければ、また訳の分からない『萌え萌えダンス』を踊りながら歌ってくれるかもしれない。

会ってから……


――特別なのです。


 未来はじっと目を瞑り考える。そして、首を左右に振った。

 萌子のマイクロチップを手のひらに包み込み立ち上がる。


 思い出を噛み締めながら一歩を踏み出した。

 ありがとうとさようならを言うために。


 萌子が気に入りそうな場所はどこだろうか?

 どんな花が好きなのだろう。


 萌子が途切れ途切れに歌ってくれた、未来だけにくれたであろう特別な歌詞を口ずさむ。さて、あれはどういう始まりだっただろうか。


「未来はちゃんと大丈夫。大大大好き、愛してる――」

物理的に会えなくなった人に『ゆめのなか』で会えるデバイスがあったらどうするかな、と思いながら書きました。


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