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未来はファミレスの一角に陣取り宿題に勤しんでいた。学校支給のタブレットから一旦目を離す。配膳ロボット萌子が、機械音をさせながら近づいてきたからだ。
「お勉強中申し訳ありません、未来様。一時間半が経過しました。ご延長なさいますか?」
「あぁ、頼む」
頷いてから、生体マイクロチップを萌子の胸元のリボンにかざし一旦支払いを済ます。このファミレスも類に漏れず、一時間半ごとに何かを注文すれば最大十二時間居座れるシステムを採用していた。一番安いドリンクバーループでも文句は言われない。
「グラスが空いています。コーラをお持ちしようと思うのですが、よろしいでしょうか?」
萌子が尋ねながら首を横に倒すと、レース付きカチューシャから飛び出した猫耳がぴくぴくと動いた。
「助かる。そうしてくれ」
未来は他の配膳ロボットにはしないが、萌子だけには顧客情報の保存を許可している。だからまた飽きもせずドリンクバーを注文することは、注文前からお見通しなのだ。コーラばかり飲んでいることもしっかり覚えられている。
「中学校にはもうすっかり慣れたご様子ですね。何の科目のお勉強をされているのですか?」
長い尻尾を振りながらにこにこ顔でコーラを運んでくる萌子を見て、仕事もせず家で寝てばかりの父親よりよっぽど気が利いているな、と未来は思う。
萌子が学校支給のタブレットを覗き込んだ。お下げ髪からふわりと甘い香りがした。
「第三言語のドイツ語のお勉強ですか。数学や先端技術であればきっとお役に立てるのですが」
「分からないところがあったら俺の方から呼ぶよ。そのときはよろしくな」
「遠慮せずお声を掛けてください。今日も未来様にお会いすることができ、私はとても嬉しいのですから」
当初の予定では、今日はファミレスには来ないつもりだった。珍しく母親の仕事が休みだったからだ。せっかく学校から急いで家に帰ったのに、父親を一方的に怒鳴り散らした挙げ句『子どもなんて産むんじゃなかった』と吐き捨てた母親と一緒の空気を吸いたくなくて、制服から着替えることもせずファミレスに逃げてきたのだった。
ファミレスに入店するやいなや、萌子は心配そうな顔をして言った。「お帰りなさいませ、未来様。今日は顔色が少し悪いようですよ」
「そうか? 普段と一緒だろ」
「いいえ、熱があっては大変です。失礼とは存じますがお熱を測らせていただきます」
そして、メイド服のポケットから体温計を出してくれた。
「お熱はないようですね」
「ファミレスで熱を測りだす配膳ロボットなんて聞いたことないぞ。クレームになるから他の客にはやるなよ」
「はい致しません。未来様だけ、特別です。もしかしたら何か嫌なことでもあったのでしょうか? 後でよろしければお話を聞かせてください」
社交辞令ではなく、萌子は手が空いたときにはほんとうに話しかけにくる。
萌子に話しかけられて悪い気はしない。
客がいないときには、昔習ったという『萌え萌えダンス』を歌いながら披露してくれる。『萌え』が何を意味するのか、説明されてもよく理解できないのではあるが。
萌子は見た目は十代半ばだが、だいぶ古いロボットのようだ。
動きがガクガクしているし、たまにフリーズして白目をむくのでちょっと怖い。歌詞がよく分からなくなるのか、途中で考え込んだりもする。
それでも本人には決して言わないが、萌子のダンスと歌が好きだ。
未来が頼むと、萌子はいつだって張り切って踊りだす。生き生きと歌い出す。終いには、「特別なのです」と言いながら、トマトケチャップでテーブルの上にはみ出るほど大きなハートマークを書き始める。
ひょっとしたら、萌子は母親よりよっぽど優しいのかもしれない。
未来の後ろの座席には、子持ちと思われる女性が四人座っていた。年の頃は三十代後半といったところだろうか。テーブルの上に設置されているサウンドプルーフィングボタンを押し忘れたのか、会話の内容が丸聞こえだった。
自身が使っているテーブルに設置されたシートシールドボタンを押す。これで女性たちから未来の姿は見えない。後ろを振り返り、思いっきり睨みつけた。話の流れから察するに、一人の女性を三人の女性が結託して仲間はずれにしようとしているようだったからだ。
「それでね。こうくんったら、ママの作ったコロッケが世界一美味しいって言ってくれたんだ」
「ふーん」
「今日はこうくん、スパゲッティーが食べたいんだって。お野菜も食べさせるよう努力はしているんだけど、まだピーマンはダメみたい」
「うん」
「今度細かく刻んで、カレーにでも入れてみようかなって思うんだけど」
「へー」
「どうしたら食べてくれるようになるかな?」
「さあ」
こうくんママの隣に座っている女性は俯きスマホを眺めている。画面がスリープしているのが未来の場所からは丸見えだ。
二人の手前に座っている女性たちも、パンケーキを執拗に細かく刻んでいたり、サイダーに刺さったストローを長々と口に咥えていたりと、あまりこうくんママと関わり合いになりたくないようだった。
醜いな、と未来は思う。
大人になるということは、心身共に劣化をすることなのかもしれない。
こうくんママの隣に座っている女性がわざとらしく手をぱんと叩き、口を開いた。
「そういえば私、バーチャル登山始めたんだ。この前富士山に行ったけど、ご来光がとても綺麗だったよ」
「バーチャル登山いいねぇ。痩せるんじゃない? 写真あったら見せて」
「見たい、見たい。今度山に行くとき誘ってよ。バーチャル用の登山服買っておくから」
「素敵な趣味だね。バーチャルならこうくんみたいな小さい子とでも、富士山に行けるのかな?」
顔を輝かせて会話に入ろうとするこうくんママ。仲間に避けられていることに気づいてないようだ。
こうくんママの隣に座っている女性が、真向かいに座った二人に目配せをした。きっとボスママの顔色を伺っているのだろう。くだらないイジメを指図しているのはどちらなのだろうか。睨めつけ観察するが、誰がボスなのかははっきりとしない。
こうくんママは基本的には聞き役に徹していたようだ。それなのにこうくんママが発言するたびに、三人の女性がまるでいないものとして扱っているのは見るに耐えなかった。
二十分ほどして、こうくんママが立ち上がった。
「そろそろ帰らなきゃ。子どもが小さいとどうしても自由がきかなくて嫌になっちゃう。また次も呼んでね」
三人の女性は苦虫を噛み潰したような顔を向けてから頷き、視線を外した。こうくんママがファミレスを出て行った瞬間、三人の女性が揃ってため息をつく。
「あのさ、こうくんママってさぁ」
「扱いにくいよね」
「うん。ちょっとないなって思っちゃう」
これから、こうくんママの悪口大会が始まるのだろう。学校で悪口を言ってはいけないと習わなかったのだろうか。
これ以上何も聞きたくはなくて、テーブルの上に設置されているサウンドプルーフィングボタンに手を伸ばす。
「こうくん、可哀想だったよね」
「自動運転の車が暴走するなんて、滅多にないことなのにね」
「……即死だったみたい」
反射的に女性たちがいる席へと振り返った。動揺していたのかもしれない。テーブルの上に置いていたコーラの入ったグラスに腕が当たり倒してしまった。すかさず布巾を手に持った萌子が心配そうな顔をしてやってくる。
「大丈夫ですか、未来様? 未来様がグラスを倒すなんて始めてです。お怪我はございませんか?」
「あぁ、ないよ。大丈夫だからそんな顔をするな」
「まぁ、お召し物も濡れてしまったのですね。すぐお飲み物をお持ちしてから乾かしますので少々お待ちください」
女性たちの会話は続いている。