金色の明け方に・コレクションルームで・小さな絵画を・さかさまにしたら何かが落ちました。
明日からは国に引き渡す必要がある。準備には時間を掛けており思い残すことも塵一つも無いように、ワイシャツにサスペンダーで庭師風の格好をした管理人がある館の最後の見回りをしていた。高貴な身分の方々の借家として作られているこの館も、長らくの務めを終えたのだ。父親から管理人としての地位をそのまま受け継いだので、若い男性は東洋人らしい顔付きだがどこかハイカラな文化に気後れしない精神性、簡単に言えばバタ臭い所作があった。立場は使用人としてだが、多くの外交官に触れ合い異国の情緒や言語を知った。狭い島国だけでは知り得なかった知識を、酒を酌みながら、時に相手方に気に入られて酌み交わしながら得たものは彼の人生の宝となっている。感傷に浸って、ついつい昨夜は酒を飲んでしまった。本館は既に国の持ち物なので、敷地内にある物置のような離れから夜の闇に溶ける館と込み上げる思い出を肴にして気付いたら金色の明け方だ。施錠していた館の最後のチェックのため、中に入って朝日にきらめく埃を取ったり、はめ殺しのステンドグラスを眺めてみたりと、最後にふと思い立って彼はコレクションルームに向かった。
日光浴用のガラス張りのテラスの真横、劣化を防ぐための日光を避けるために分厚い壁に挟み込まれたコレクションルームだ。そこには絵画や石膏像、陶磁器など高貴な方々が持ち込んだ手土産の残りや、管理人を気に入って品分けされたものまで様々だ。それなりの数があり、埃臭さは拭いきれないが床は綺麗にさらったので損傷などの問題は無いだろう。その中で小さな絵画が壁に一つ掛かっている。
歴史的名作では無いし、画家としての名は歴史に埋もれてしまうかもしれないが私はこれが好きなんだよとワイングラスを揺らして持ち主は笑った。君は優秀だからこれを飾っておくと良いと帰国前にもらったものだ。他の絵画は埃除けに白の布をかけているが、これだけは貰ったものなので気に入って管理人がコレクションルームの壁に掛けていたものだ。これはもらっても、と思ったがこの身近な外交の形跡すら歴史になるのなら、いつ無くなるか分からない自分の家で保管するよりも、友情がずっと長続きすると考えて置いておくことにした。その絵画の位置をなんとなく直す。いつの間に触れたのか、少し歪んでいたので壁の金具にかけた途端、何か異物が壁に当たった音がした。うん?と管理人が絵画を取り外す。何かを入れた覚えも無いので虫か鼠か、ならば追い出さねばと絵画を逆さまにして振ってみると、床に何かは落ちた。
管理人が怪訝な顔で床を見る。虫や鼠などにしては、固くてなんの抵抗もなく下に落ちたので物だと直感した。拾い上げてみると枯れ草でかたどった人型だ。僅かに匂いがするので鼻を近付けると、まず埃臭さで噎せた。だがその後に来るのは草本来の香りがする。艾だ。人型のそれはわら人形のように思えたが、管理人は幼い頃から日本の文化を父親から叩き込まれていたので、僅かに頭の中にある知識をひっぱり出してああと頷いた。
これは艾人だ。かつて古代中国には五月五日に一番鶏が鳴く時刻に艾を摘んで人型にして鬼を祓うための薬とした風習があった。それが平安時代には伝わっていた。もしかしたら平安などの文化に詳しい父が、かつての友人達と薬狩に向かった記録かもしれない。なぜそれを絵画の裏に隠したのかは疑問だが、管理人はかつて国を背負っていた大人達の小さな悪戯心に笑ってしまう。その艾人を軽く持ち直してみると、草の密集した場所に何かがこつんと指の骨に当たる。もう一度怪訝な顔をして、管理人は艾人の中央を慎重にかき分けてみた。中央、人型の心臓が入っている場所に、白い棒のようなものが見えて指先でほじくり出してみた。この艾人も大切な外交記録だと思うが反面、探らなければならないと駆られた。そういう日だった。出てきたものは人間の指先から数センチで、桜色の爪が付いている。指だ。
ぎょっとした。混乱する頭で無意識に周囲を見渡していると、床に無造作に置かれている義手が目に飛び込んだ。いつからあったのかは分からないが、まるで白磁や象牙のように磨かれたつややかな質感の義手。片腕だけが、コレクションなのか手土産なのかは分からないがいつの間にかこのコレクションルームに紛れている。ある日清掃担当の女中を入れた時、齢四拾を超えた彼女が人間の腕がある!と叫んで警察を呼んでしまったことがあった。結果偽物だと分かって巡査ならびに殺しの可能性があると警部まで来たのには焦った。まだ管理人の齢が壱拾六辺り、父の管理人が齢五拾を超えたとこだろう。誤解が解けて警察は帰って行ったが、その日は仕事にならなかった。美しい義手である。ほっそりとした若い女向けの義手だろう。白磁の五本指のいっぽんの、指先が欠けていた。おそるおそるとだが管理人は床に転がったままの義手に近付き、持ち上げた。白磁のものだと予想しているよりも幾分か軽かった。ばらばらの方向を向いたなまめかしい手の先、一本だけが欠けている。そこに嵌めてみるとぴたりとはまった。管理人は何故だか安堵で深いため息を吐く。ああよかった。得体の知れない何かが艾人に埋め込まれている事よりも、近くに答えがあるものでよかった。だが何故指が欠けているのか、そもそも誰が持ち込んだ義手なのかと答えを求めてしまうがそれは後だとひとまず義手をどこかに置かなければと辺りを見渡し、置けるところも無いので元の場所に置いた。
そうした屈んだ時に、ふと鹿と目が合った。絵画の中の鹿だ。だが躍動感のある鹿の生きているかのような油絵で描かれた目と、管理人の目が合った。それは子鹿の絵だったが、義手を見張るような位置にちょうど顔が向いて配置されているのは偶然だろうか。鹿といえば、管理人の頭の中で記憶が掘り起こされる。五月五日は薬狩、それは薬草を摘むだけではなく鹿の新角を採集して同じく薬として煎じていたという。つまり早朝に出掛け、鹿狩りを昔の高貴な人々は楽しんだ。現代なら猟銃。そう言えばハンターとして狩ったことがあると自慢していた友人がいた。全てが空想なのにその映像は見てきたように管理人の脳内で止まることなく流れ続ける。早朝に山に響き渡る猟銃の爆発音、逃げ惑う鳥の羽ばたく音に鹿の足音。そこに何故か響き渡る若い女の悲鳴。撃たれた女。奪われた腕。そこに嵌めるはずの義手が何故かこの館にコレクションのふりをして紛れ込んでいる。いや、それはない。そんな不祥事を認めたのなら父親は犯罪の荷担をしたことになる。異国の友人達が非道な行いをしたことになる。そんな事は起きるはずがない。だが何故か魔除けのように置かれた艾人、そこに埋められた薬指の先。義手に目はついていないのに、女の目線のようなものがそこから感じられて痛いくらいだ。これはもしかしたら誰かの腕。
考えてはいけない、と管理人はその場を足早に立ち去った。朝日が差し込む館の朝食の間に戻ってくると、絵画を手に持っていなかったので無意識の上に壁に掛けたのだろう。それでいい。そう父親が言ったような気がした。それでいい。歴史に名前が残る偉業でも無いが、
誰かの心を慰める画家もこの世には存在し、それを当時の人々は楽しみ、そして共に歴史として埋もれていく。全てが後世に残っていく必要は無いのだ。何故なら人々は埃をかぶった物を嫌うのだから。これからは人々に愛される財となってくれよと管理人は息を吐いて暖炉を撫でた。
原典:一行作家