僕の彼女がソースを付けたまま弁当を温める話
僕の名前は、神並長寿右衛門。
右衛門という名前の青年が主人公だからといって、別にこの話は侍の話ではない。
僕の母が日本人で一番長寿(112歳)のお爺さん次郎右衛門にあやかれるようにとつけてくれた、有り難い名前だ。
神並に長寿なんてとんでもない姓なんだから、別に普通の名前でも、かなり長生き出来るんじゃないかと思ったりもするけれど。
前回のお話(スキマクラブ「定規的な彼女」・コミックス第一巻参照)季節は流れて、僕達の住む町にも冬が来ていた。
短く切り揃えられた髪に、すっと通った鼻やパッチリとした瞳。
背は174センチ。
体重550トン、まあ、それは冗談ではあるが。
そんな僕は、自分の家の中にいた。
冬休みだった。
何が何でも、冬休みだった。
そう、冬休みだったのだ――
しかし、外があまりに寒いため、外出する気にもなれなかったのだ。
今日は、近所のスーパーでは特売がやっている。
行かないけど。
ちょっと街中まで行けば、服などが年末の特売で安く手に入る。
別にいいけど。
新作ゲームの発売日だ。
特に外出してまっ欲しくないけど。
外の気温は2度。
寒い、今外に出たら死ねる。
故に我は不動なり。
「あーあ、なんか暇だなぁ」
学校のジャージを着た僕は、コタツの中で亀のように入っている。
「そうね、右衛門。体の軸まで寒いわ。骨髄の液体は多分、凍っているわね」
僕の背後でコタツにあたり本を読んでいる少女、天秤計利は眉一つ動かさずに素っ気ない言葉を返す。
カチューシャで後ろに流された長いストレート髪、すらっとした長身と、その真っすぐな瞳は少し大人びた印象を周囲に与える。
因みに学校に生徒会の会議があり、その後であるため冬休みだというのにセーラー服を着ていた。
彼女は僕の数少ない友達で、恋人だ。高校のクラスでは委員長をしており、風紀委員の他に、生徒会役員も兼任している。
最近では、コンビニのバイトも始めたらしい。
本当によく倒れないな、と思う。
「いや、骨髄凍んないから」
一応ツッコミを入れて、僕はコタツのカバーに体を入れる。
彼女は最近よく冗談を言うようになった、そして、よく笑うようになった。紫陽花のような、控えめな笑顔が、僕はとても好きだ。
のろけている場合ではなかった。
寒い。
「コーヒーでも飲む?」
彼女が、僕の後頭部に話かける。
「それはあれか?『飲みたいから持って来て』って意思表示か?」
「そうね、そう受け取ってくれると、とても嬉しいわ」
彼女は最近よく、こういう言い回しをするようになった。
面倒くさいのであろう、コタツから出るのが。
わからなくもない、だがそれは、僕だって同じなわけで。
まあ、用意しますけど。
「あーはいはい、分かりましたお嬢様」
言っておくけど、僕は尻にしかれているわけではない。
これは、僕の愛情表現だ。
こっ恥ずかしい台詞とか、気の効いたことが出来ないから、僕はこうして彼女にサービスするのだ。
「ふふっ、ありがとう。愛してるわよ」
台所へと移動し、ちょうどポットからお湯を出していた僕に、彼女は言う。
愛している。
この言葉は、僕をコタツから出して、コーヒーを作らせているから、ねぎらいで言っている、と普通の人なら思うだろうが。
彼女は素で言っているのだ。
彼女は素直に感謝し、素直に自分の言葉を言うのだ。
ただ、それだけだった。
ただ、問題は…
「ぶっ!なっ!何をっ!」
ポットを動かしている時に言うな!
手元が狂いそうになるのを、必死にこらえた。
最近いきなりこういう事を言うようになったので、嬉しいことこの上ないし、恋人冥利に尽きるのだが、自転車の二人乗りとか、包丁で調理している時とか、どうも手元が狂うと危険な時に言われてしまうのだ。
まあ、僕からもっと言えば、それでよいのだろうが。
「あら?嬉しくなかったかしら?」
そんなわけがない。
それを分かっている上で、彼女はコタツから1ミリも動かずクスクスと笑っていた。
「ったく、調子いいんだから本当に…‥」
台所から戻った僕は、彼女に湯気の湧き立つマグカップを手渡し、自分のマグカップを片手にコタツにあたった。
今度は彼女と対面するような形で、僕はコーヒーをすすった。
「そういえば、ちょっと聞いてくれないかしら?」
コーヒーをすすりながら、彼女は言う。
語気が少し不機嫌そうなので、僕は少し不安になった。
彼女は先も言った通り、ハードスケジュールの中で生きている。
そして彼女は、「定規的な彼女」であり、あらゆるルールを順守して生きている。
だから、普通の人間以上のストレスを感じているだらうし、その気持ちの解放される数少ない場所が、僕であるのだ。
僕はそれが普通だと思っている、彼女の拠り所になっているという事実が嬉しいのだ。
彼女の力になれているというのが、幸せなのだ。
だから僕は、彼女の話なら徹夜でも聞ける。
実際、秋頃に一度そういったシチュエーションはあった。
「え、何かあったのか?」
今回はそんな重大な事態ではないにせよ、彼女の胸中に重みを残しておくと、後で大変なのだ。
重みが残り、彼女の中に小さなストレスが蓄積していくと、彼女は時折、小さな、小さなルール無視をする。
前回のお話(スキマクラブ「定規的な彼女」・コミックス第一巻参照)なんかがその最たる例なのだ、あの時は初めての事だったので、僕は本当に同様してしまったが。
「私、この間バイトした時の話よ、オチはないわ」
そうか、オチがないのか、なら安心して聞けるな。
「ああ、あそこのコンビニ、結構色々な客層が入るからなぁ。けっこう、大変なんじゃないか?」
とりあえず僕は、彼女にストレスの有無を確認する。
彼女は、僕達が通う学校に近い場所のコンビニで働いているため、色々と苦労が多いのであろう。
僕といえば、近所の玩具店で店番をして、ちょびっとだけ稼いでいるだけなのであるが。
「そんなことはないわ、平和そのものよ」
それを聞いて、僕は安心した。
そうか、それならいいんだ。
「それでね、この前お弁当温める時にソース付けたままにしちゃったのよ。そしたら大爆発。それが最後のソースカツ弁当だったから収拾がつかなかったわ」
「え、超凡ミスじゃないっスか計利さん。」
僕は唖然とした。
完璧に見える彼女も、そんな事があるのか。
彼女には失礼かもしれないが、定規と呼ばれてしまう彼女も、やっぱり人間なんだなあ、と思い、安心した。
僕は一時期、彼女が完璧すぎるため、天秤計利は完璧超人の一体かと思っていたくらいだ。
しかし、今回の件で僕は確信した、彼女も一人のただの少女であることを。
なら僕は、もっとやさしくしなければ、と思った。
ミスもする、怒りも、憤りも、泣きもする彼女を、しっかり守らなければ、と思うのであった。
「そうなのよ。それだけ。」
今度は彼女がコタツに潜り亀のようになったため、僕は座ったままこたつにあたっている。
これで、この話は終了である。
この後は、特に変わった事が起こらなかった。
18禁的なアダルト展開とか、接吻とか、いきなり不思議動物に導かれて異世界に迷い込むとか、超人レスリングに参加したりとか、そういった諸々がないため、この話はここで終了である。
オチは特に無い、彼女の宣言通りに。
おわり
因みにスキマクラブはコミック化されていません。