観察
室内に入った三人は、沢山の本が並ぶ図書室を通り過ぎ、陽当たりの良い応接室へと移動した。
前回と違う部屋へ通されたアシュリーは、戸惑いの表情を浮かべたが、そこはダニーが上手く言い包める。
「こちらの方がゆっくり話が出来ると思いましてね、勝手ながら場所を変えさせて貰いましたよ。それに、今日はリアムが是非貴女に食べさせたいと、ウインズステラのチョコブラウニーを買って来た物で、先ずはお茶でも飲んでから話をしましょう」
それを聞いてパアッとアシュリーは顔を輝かせた。
ウインズステラのチョコブラウニーと言えば「行列に並んででも手に入れたい」と王妃が言うほど、その味と舌触りの虜になった貴族は多い。
アシュリーも王都にいる間に、一度位は食べてみたいと思っていたが、いつ行っても行列が出来ていて、半ば諦めていた代物だった。
ワクワクと期待に満ちた表情を、隠しもせず表に出すアシュリーの姿に、ダニーは違和感を感じる。
フム。さっきも思ったが、この令嬢はやはり変わっている。普通の令嬢ならば、淑女たるもの感情を露わにするのは、はしたないとするものだ。まあ、領地に引き篭もっていたという点から、そんな事を気にする環境ではなかったのだろうが、不思議とそれが新鮮で、逆に好感が持てるな。ただ、フレッドのタイプかと言えば‥やはり違うとしか言えないが。
「さあ、貴女はここへ。ダニーはそっちの席でいいな」
ダニーが考えを巡らせている間に、二人掛けソファへ令嬢を座らせ、リアムはちゃっかりその隣に座る。
そうして運ばれて来たお茶や話題のチョコブラウニーを自ら並べ、甲斐甲斐しく令嬢の世話を焼き始めた。
呆気にとられるダニーではあったが、令嬢を観察するには好都合ではある。
嬉しそうにチョコブラウニーを口へ運ぶアシュリーに、ダニーは話題を切り出した。
「ところで、先程貴女の言っていた、領地の事情とはどんな事でしょう?」
口に入れたブラウニーの美味しさに、思わず手を頰に当てたアシュリーは、返事を返そうとして慌てて飲み込み喉を詰まらせる。
すると、すかさずリアムが紅茶を渡し、アシュリーの背中をトントンと叩いた。
おいおい‥何を見せられているんだ私は?
リアム、紅茶を渡すのはよしとして、フーフーまでしてやるのか!?
いや、確かに火傷しない様にフーフーは必要だな。
しかしあのリアムがフーフーって‥
「ふ〜!危なかった。あ、何かすいません、お見苦しい所をお見せしまして。小公爵様、色々とすみません」
いかん、私も危なかった!
フーフーに持っていかれる所だったぞ。
「フフッ‥沢山あるからゆっくり食べるといい。また喉に詰まらせると危険だから、紅茶は私が飲ませよう」
フフッて‥色々と突っ込みたい点はあるが、この際リアムは無視して会話に集中しなければ!
「えっと、領地の事情についてですよね?」
早っ!切り替え早っ!
いや、それにしても大したものだ。
リアムのあの微笑みを前にして、全く自分のペースを崩さない、こんな令嬢は初めてだ。
もしやフレッドもこういう一面が気に入ったのか?
「うちの領地は気候が温暖で、作物が良く育つ事から、殆どの領民が農業に従事しています。でも、どんなに良い農作物を作っても、立地条件のせいで、他への流通が上手くいかないんです」
「フム、確かレイウッド伯爵家の領地は、南西部に位置していましたね。ちょっと地図で確認してみましょう」
言うなりダニーは席を立ち、図書室へと向かった。
昔から何度となく利用している図書室は、ダニーにとっては庭みたいな物だ。
お目当ての地図を棚から取り、直ぐに応接室へと引き返す。
が、扉を開けた途端目に飛び込んで来た様子に、思わず言葉を失った。
なんて顔してるんだリアム!
そして何をしてるんだリアム!
アシュリーの髪を器用に編み込み、うっとりとした恍惚の表情を浮かべるリアムは、ダニーが戻って来た事にも気が付かない。
「あ、早かったですね。わざわざ探して来て頂いて、ありがとうございますっ」
ハッ!一瞬思考が宇宙の果てまで飛んでしまった。
引き戻してくれて、むしろありがとうと私が言いたい。
「ここの図書室には割と詳しいのでね。さて、話の続きをしましょうか」
地図を開いて南西部を探し、二人は会話を始める。
その間リアムはずっとアシュリーのヘアアレンジを続けていた。
リアムを視界に入れない様に、アシュリーとの会話に集中するダニーは、いつの間にか熱心に彼女の話に耳を傾けていた。
整備された幹線道路が少ない事や、一番近い隣の領地との間にある大河の氾濫、それらを解決する策を練る為、ここで専門書を出来るだけ読んでおきたいのだと言う。
今迄読んだ本について聞くと、驚く程の量であり、又、ジャンルも様々な専門書ばかりである。
そこでダニーは、一つ気になった点について聞いてみた。
「貴女は随分と読書家の様だが、最近小説の類いは読みましたか?例えばオスカー・ショーの"陽の当たる窓辺"とか?」
さりげなく聞いたこの作者こそ、フレッドから聞いた二人のきっかけとなった小説家である。
どんな反応を見せるのかと様子を伺うダニーに、返って来た返事は予想外の物だった。
「その小説家の名前は知っていますが、そういった類いを読む位なら、専門書を読みたいと思うタイプなので読みませんね。読んでも頭に入って来ませんし」
ピクリと片眉を上げ、それでも平静を装うダニーは、貼り付けた笑顔のままリアムを見る。
するとさっきまで嬉しそうにヘアアレンジをしていたリアムはその手を止め、困惑の表情を浮かべていた。
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