エピローグ(これで終わりとは言っていない)
瞼を開けた。
本物の肉体の瞼を。
暗い室内。白い壁紙の天井がぼんやりと見えた。
東京都渋谷区円山町にある単身者用ワンルームマンションの一室。その片隅に備え付けた安物のベッドの上で俺は目覚めた。
上半身を起こす。頭の中で念じる。
だが、いつものメニュー画面は表示されない。
ベタだが頬を思い切りつねってみた。
あの世界にいた頃よりも僅かに痛い――気がする。
「帰って、きたのか?」
この家にいるのはもちろん俺だけだが声に出した。
返事はない。
枕元で充電していたスマホを手に取る。懐かしさすら感じるその端末の画面に触れると、スリープモードが解除されて液晶画面に現在日時が表示された。
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20XX/1/1 00:01
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俺の感覚ではその年は一年前のものだった。
同じく枕元に置いてあったリモコンで天井のLEDランプをつけ、ベッドから降りる。パソコン用のディスプレイが二つ並んでいるデスクまではわずか1歩。だいぶガタがきているデスクチェアに腰を下ろすと、スリープモードにしておいたパソコンを起こしてTwitterを開いた。
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†ぢゃぎ†@×××××
『みんなと冒険した一年間のこと、ぜんぶ夢だったの!?』
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NC@×××××
『つーかやっぱ命がけとかいうの大嘘だったじゃねえか! 田神ィ!!』
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N・滝口@×××××
『1年前に戻ってるの、なんで??』
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soku@×××××
『ラスダンでボス部屋行く前に時間来て終わったんだが、最後クリアしたやついたらどうなったのか教えてくれよ』
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絶対領域@×××××
『ああああああああああああああああ!!!』
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ボディ@×××××
『ラスボス倒したかった。無念だ』
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ヒューマ@×××××
『ヨシヤが全部悪い』
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魔術師やるお@×××××
『俺はまぁこんなこったろうと思ってたよ、うん。だって田神だぞ田神』
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にいな@×××××
『ってか空ヤバくない?』
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あの世界にいた二十二万のプレイヤーがいっせいに書き込んでいる。ここだけでなく、他のSNSも似たようなものだろう。
年始ということもあって季節物のワードがトレンドの多くを占めていたが、その中にあの世界絡みの言葉がいくつも食い込んでいた。MMORPGだった頃はサービス開始時くらいしか話題にならなかったのに、皮肉なもんだ。
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【日本のトレンド】
「#あけおめ」
[夢]
[イクリプス・オンライン]
[十二の月が巡る大地]
「正月」
[オーロラ]
「謹賀新年」
[アランダシル]
[田神大悟]
[空]
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俺は1分前――あの世界においては1年前に時間を遡行させてあの世界接触点を斬ったわけだが、あの世界での出来事がなかったことにはならないらしい。なんか論理矛盾が起こりそうなものだが、もしそうなら大賢者が言ってただろう。
1年ぶりに見るディスプレイ。1年ぶりに触るインターネット。とはいえ実際の経過時間は一分であり、浦島太郎みたいな気分にはならない。
さて、どうしたものかなと思っているとスマホが震えた。音声通話の着信。画面に表示されていたのは数少ない登録済み連絡先だった。
受話器マークをタップすると聞こえたのは、寝起きの脳には爽やかすぎるイケメンの声。
「やぁヨッちゃん、あけましておめでとう」
「おう、おめでとさん」
「無事に勝ててよかったね」
「どこかの誰かさんの献身的な犠牲のおかげでな。一番大事なとこで気絶したままだったのは残念だったな」
「いや? あの後どうなったかは全部見れたからいいよ」
口を閉じ、天井を見上げて数秒考える。
「“大賢者への請願”か」
「そう。君が魔力の海でやったことも大賢者様の視点での記憶をもらったよ」
「そりゃよかったな。出血大サービスじゃねえか」
大賢者は最終フロアで気絶して倒れているコイツの額に指で触れてなんかをしていたが、あれが記憶を付与――というか共有だったわけだ。確かにゾンが願いそうなことではある。
「ひょっとして大賢者がそうしてくれると読んだ上で気絶したのか?」
「まさか。そうしてくれたらいいなとは思ってたけど」
「読んでたってことじゃねえか! ……つーか試練も終わったから聞くけどよ。アンタいったいいつから出題と答えを読めてたんだ?」
「だいたい理解できたのはヴィブティちゃんが見立て占いしてるのを見た時かな」
「ああん? ああ、第九試練の極地法の時か」
そういやあんときこいつはヴィブティの見立て占いを興味深げに眺めながら『これは面白い』とか言ってた。俺と同じくオカルトなんて信じない性質の癖にだ。
ヴィブティもヴィブティであんとき占いをするのをやけに渋っていた。いつもはノリノリでやってた癖にだ。あれはゾンに見せると一気に全部バレかねないという懸念からだったのだろう。大賢者がゾンをそれだけ高く評価していたということなのだろうが……ホント、どんな脳みそしてんだコイツ。
「俺の方がずっとたくさんヒントもらえてたはずなんだけどなぁ」
「僕はそのヨッちゃんからヒントもらってたからね」
「そうか? なんか言ったか、俺」
「例えばだけど、ヨッちゃんは田神大悟や灰谷都羽……あとはヴィブティちゃんなんかを悪人判定してなかっただろ?」
「まぁ確かにそうだし、その辺が黒ではないと分かるだけでもだいぶ大きなヒントにはなるが……俺それ口に出してねえよな」
「ヨッちゃんの態度見てれば分かるよ」
「そういうところがキモいんだよ!」
電話の向こうでゾンが笑う。
「大賢者様の試練への回答は君に任せていいかなと思って気絶したけど、まさか最後はミューちゃんに丸投げとはね。その点だけは意外だった」
「最初は俺もそんなつもりはなかったんだけどな。2周目の世界の主役はひょっとするとアイツだったのかもな」
あの女子高生も今頃は目覚めてネットでも見ているのだろうか。そういや電話番号やSNSのアカウントを交換してないので連絡を取る方法がない。ゾンに頼めばどうとでもしてくれるとは思うが。
「そうそう、ヨッちゃん。カーテン開けてごらん」
「あん?」
単身者用のクソ狭ワンルームなので窓もすぐそこだ。通話をつないだままデスクから三歩歩いて言われるがままカーテンを開ける。2メートル先に見えたのは最近そこにできたばかりのビジネスホテルの黒い外壁。が、これを見ろということではないだろう。
真夜中だというのにやけに明るい。
掃き出し窓を開けてベランダに出る。真冬の外気で体が震える。身を乗り出して見上げると、ビルとビルの合間の狭い空が見えた。
明るい。
天頂に大きな穴が空いている。その穴の中では虹色にグラデーションする美しいオーロラのような光が揺らめていた。
あれは世界蝕によって空いた穴だ。
「蝕の終わりだよ。魔力の海で君が二つの世界を断ち切るのに使ったあの剣の残滓が光の粒子になって霧散しているんだ。SNSを見る限り、あの穴と光を認識できているのはあの世界から帰ってきた僕たちだけみたいだけどね」
「ふーん」
目を凝らすと蝕の穴の中、魔力の海の向こうに小さな光点が見えた。今後二百年は交わることのない異世界――本物の十二の月が巡る大地。
「ホントは向こうに行きたかったんだよね?」
「まぁ、な。でもアンタのことだ。俺がちゃんと帰ってくるところまで読めてたんだろ」
「そりゃもちろん。ヨッちゃんがレンカちゃんやミューちゃんがいるこの世界を見捨てるとは思えなかったからね」
「……まー……それに一応、アンタもいることだしな」
「はぁ? アッハッハ! どしたの急に!」
なんかツボだったのかゾンがゲラゲラ笑い始めた。電話の向こうで腹を抱えて笑ってるのが目に見える。
いや、確かに今のはだいぶハズかった。ちょっとテンション上がって変なこと口走ってしまった。忘れてほしい。
そのうち天頂の穴は小さくなっていき、やがて完全に塞がった。
これのために俺たちは丸一年戦ってきたわけだ。いや、実際はそんな自覚があったわけではないが。
寒気に限界が来たのでベランダから部屋に戻って窓を閉めた。
ベッドに腰掛け、エアコンを少し強くする。
「これからもっと大騒ぎになるよな。二十二万の人間がいっせいにイカれた妄想みてえなことを言いだすわけだが、それが奇妙なくらいに統一感があるわけだから。あの世界へ行ってない大多数の人間は普通は信じねえだろうが、かといって口裏合わせた上での悪戯と切り捨てるには大がかりすぎる」
「そだね。それにハルハやヤギヌマみたいな一部の黒が失踪してるのが判明するのも時間の問題だろうしね。今、連れていかれた黒ネたちの縁者のSNSを見てるんだけど、寝てる間に同居人の体が急に消えたって大騒ぎしてる人もいるよ」
「あ? なんでそんな連中のアカウント知ってんだ?」
「大賢者様が流し込んでくれた記憶の中にあったのさ。彼女はあの世界の管理者権限持ちだったから、プレイヤーの魂に接続していくらでも個人情報を引き出せたから」
なんか渡しちゃいけないやつに、渡しちゃいけない情報が渡ってしまった気がする。……が俺が気にすることでもない。
「ま、今後のことで頭抱えなきゃいけねえのは俺じゃねえ。国かどっかのお偉いさんだ」
「だといいけどねぇ」
なんか含みのある言い方。
一抹の不安を覚える。
「近いうちにヨッちゃんちに遊びにいくよ。対面で今回の件の話もしたいしさ」
「おー、来い来い」
「あ、それともう一つ。先に謝っとく。ごめんね。それじゃおやすみ」
「あ?」
通話が切れた。
眉根を寄せてスマホの画面を凝視する。最後によく分からんことを言いやがった。これも正直いい予感はしない。
「あっ」
全然関係ないことだが、一つ気づいた。
悪人か善人か判定できる俺のあの特技。アレについてはそもそもゾンに話したことはない。というか信じてもらえると思ってないので誰にも話してない。
あの天才はマジでどこからどこまで理解してるのか。まぁ次会ったときにでも聞けばいいだろう。
大きなあくびをしてから、ベッドにダイブして枕に顔を埋める。
リモコンで電気を消す。
すぐに寝れそうな気がしていた。
――が、数秒もしないうちにまたスマホが震えた。そのままの格好でため息をついてスマホを握り、着信を取る。
「んだよ、ゾン」
「…………」
返事がない。
おかしいなと思ってスマホの画面を見るとそこに表示されてたのは知らない番号。
きっかり3秒考えて答えに行きつく。この沈黙、非常に覚えがある。
「おいレンカ、用がねえなら切るぞ」
「ヨシヤ」
聞こえたのは案の定、感情の希薄なあの女の声だった。
コイツにも聞こえるように深々と嘆息する。さっきのゾンの謝罪の意味が分かった。人の電話番号を勝手に漏らさないで欲しい。
「帰ってきてくれてありがとう。世界を救ってくれてありがとう」
「別にお前のためじゃねーよ」
「それでもいいの。ありがとう」
素直すぎる返事を聞くと、なんか俺がいじめでもしてるような気がしてきた。
うつ伏せの体勢から寝返りを打って仰向けになる。
「いやまぁちょっとはお前のためでもある。……お前のためでもあった。だからって礼は要らんけど」
通話の向こうでレンカが息を呑むのが気配で分かった。なんかまた要らんことを言ったような気がする。さっきのゾンに対してもそうだったが、気分がハイになってるからかもしれない。気をつけないといけない。
「……あ、こっちも一個お礼言うの忘れてたわ。最後漂白してくれてありがとな」
「いい。それこそ私が好きでやったことだから」
沈黙。
たぶんもう要件はないのだろう。レンカが通話を切ろうとしているのがなんとなく分かった。
「あ、最後に一つ」
「んだよ」
「……好き。じゃあね」
「はぁ!?」
切れた。
たぶんこちらの返事も待たずに切れた。
暫時頭が真っ白になってフリーズしてしまったが、体が自然とリダイヤルボタンを押していた。
すぐにスマホから女の声がする。感情がまったくこもっていない女の声が。
『おかけになった電話番号への通話は、おつなぎできません』
着信拒否されてた。
「何がしてえんだよ、あの女!」
本気で意味が分からず、スマホを毛布に叩きつけた。
え? マジでなに?
これまでも謎の言動をする奴だったが、ちょっとこれは群を抜いている。というか最後のひと言、俺の聞き間違えだったか?
隙とか鋤か?
そんな鈍感系主人公じゃあるまいし。
だがしかし、どういう感じの『好き』なんだ?
「マジでわかんねえよ!」
絶叫し、頭を抱えてベッドの上でのたうち回る。
ゾンに電話してレンカの他の連絡先を聞いてみるかとも考えたが、揶揄われるだけな気もしたのでやめた。
そんな感じでベッドの上で悶えること数分。
なんだか馬鹿らしくなってきたので心を虚無にして寝ることにした。そもそもベッドで寝ているときにあの世界に連れて行かれたのだ。この肉体そのものは睡眠の体勢に入っている。
枕に頭を乗せて体の力を抜けば、俺の脳はすぐにまどろみに落ちて行った。
しかし熟睡はできない。
あんな体験をした直後なのだ。当然といえば当然である。
あの世界での体験が次々とフラッシュバックする。
あまりにも奇妙で刺激的な体験の数々が。
体感、一時間ほどそうしていただろうか。
ふいにインターホンが鳴って脳を叩き起こされた。
「誰だよ、こんな時間に」
舌打ちをしてベッドから起きる。しかし心当たりは一人しかいなかった。俺と同じく東京に住んでいるあの男。近いうちに遊びに行くとか言ってたが、それにしたって早すぎる。
「おいゾン。そっこー来るならそう言えよ。アンタ昔から好きだよな、こういう茶番……」
あの意外と茶目っ気のあるイケメンがニヤニヤ笑って立っているのを想像しながら玄関のドアを開ける。
が、そこにいたのは別人だった。
フリーズすること数秒。相手はそんな俺の様子を楽し気に見ていた。
「……なんでここが分かった? ……またゾンが……いや、そうか」
大賢者はあの世界の管理者権限持ちであり、プレイヤーの魂に接続していくらでも個人情報を引き出せた。もちろん俺のこの家の住所も。
“大賢者への請願”でそれを聞いたのだ。
そして目覚めてすぐに、神奈川にあるという家からここまで来た。たぶんバイクかなんかを使ったのだろう。ハチャメチャ寒そうで頬を真っ赤に染めている。
「カレー。中辛でいいですよね?」
野菜や肉が詰まったスーパーのビニール袋を両腕に下げ、にっこり笑うミューがそこにいた。
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・Tips
【イクリプス事件】
20XX年末に日本全土で起きた集団幻覚事件。
その一年前にサービス終了したMMORPG『イクリプス・オンライン』のプレイヤー(正確にはゲームのアカウント取得者)約二十二万五千人が『ゲーム内世界に閉じ込められ、デスゲームを強いられた』と口を揃えて証言し、SNSや各種メディアで大きな話題となった。
日本政府はゲーム画面に仕込まれていた潜在洗脳映像による集団幻覚であると発表して鎮静化を図ったが、被害者を中心にこの説明に納得しない者は多い。
また、のちに同ゲームのプレイヤー数十名が同日に失踪していたことが判明し、この事件との関連が疑われている。
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【あとがき】
読者の皆様こんにちは。作者のティエルです。
エピローグというタイトルでしたが、あと1話あります。
どうか最後まで応援よろしくお願いいたします。
2026/03/02
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