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第七話 廃公子の初恋

 そして、ヴィーティン子爵令嬢が来訪する日がやってきた。


 他人と会うことに忌避感を抱いているレイマンは、彼女に会うことに乗り気ではなかったが、礼儀としてカランツとともに屋敷の前で出迎えることにした。



「来て貰っているのだ。あまり嫌そうな顔をするでない」

「心得ております」



 (たしな)められたレイマンが女性の好みそうな美しい無感情の笑顔(アルカイックスマイル)を作るのを見て、カランツはその子供とは思えぬ見事な擬態に感心するとともに、彼の他者を受け付けない(かたく)なさに呆れを含む、なんとも言えない苦笑いを浮かべた。



──ふん!貴族の女なんてみんな同じさ。宝石やドレスのことにしか頭に無い、くだらない奴らばかりだ。相手をする価値もない。


 レイマンは王都での貴族令嬢のことを思い出し、そう胸中で吐き捨てた。


──まあ男どもも同じだがな。


 親友の様に振る舞っていた連中も、彼が嫡子の座を追われれば簡単に手の平を返した。


──僕の友はギュンターだけだ。



 この間きた手紙の主を思い出し、冷えた心が少しだけ温度を取り戻す。これから来る貴族令嬢の事を考えて重くなった気持ちを、レイマンは唯一無二の親友を頭に浮かべて自分を慰めた。


 やがて門扉が開け放たれ、そこから鹿毛の二頭立ての馬車が入ってきた。馬と同じ赤茶の飾り気のない、しかし品の良い車体がレイマン達の前で止まる。


 レイマンは再びげんなりした気分に引き戻された。



──まあ、父上の顔を立てられればいいだけさ。



 そう割り切って、愛想の良い笑顔の仮面を貼り付けたレイマンは、令嬢が降車してくるのを待ち受けた。


 だが、馬車の扉が開かれ、踏み台(ステップ)に足をかけた童女を見てレイマンは息を飲んだ。


 簡素だが幼い少女らしい薄い水色の可愛らしいワンピースに身を包み、従者の手を借りて踏み台(ステップ)に足をかけて降り立つ光景は一枚の絵画の様で、レイマンはその少女に見惚れてしまった。


 年齢は自分よりニつ下と聞いているので九歳であろう。まだ幼くはあるが、プラチナの様な白銀の長い髪は(きら)めいている様に見えて美しく、その愛らしく小さな唇は薄桃色で、服から覗く白磁を思わせる白くきめ細やかな肌には染み一つ無く、芸術性の高い一点物の磁器人形を思わせる。


 だが何よりもレイマンの心を掴んだのは、彼女の長い睫毛(まつげ)の下に収まる二つの蒼玉。レイマンを見詰めるその瞳は、今まで見たどのサファイアよりも蒼く、美しく、澄み、輝いていた。その至玉に貴族たちはこぞって大枚を(はた)きそうだ。


 童女とは思えぬ恐ろしい程に美しい相貌。おそらく王都の同年代の貴族令嬢たちで彼女に匹敵するのは、ハプスリンゲ公爵家の珠玉アグネス・ハプスリンゲだけだろう。



──だがハプスリンゲ嬢に相対した時でも、ここまで動揺はしなかったぞ。



 自分の心臓がバクバクと音を立てている。体が思うように動かない。


「エリサベータ・ヴィーティンだね?私はこの地を治めているカランツ・ナーゼルだ。招きに応じてくれて感謝する」


 そんなレイマンの動揺を他所に、カランツはすぐにその少女を歓待した。持て成しを受けて少女はカランツに優美な微笑を向ける。



「お初にお目文字つかまつります。私はヴィーティン子爵の娘エリサベータ・ヴィーティンと申します」



 自分よりも歳下の少女が、目の前で挨拶をする際の見事な跪礼(カーテシー)。その声は凛としていて、童女とは思えない澱みのない明瞭な物言い。


 レイマンは自分の顔が上気している自覚があったが、どうにも己自身を律することができない。心臓が早鐘の様に(うるさ)い。頭が真っ白になって、体がふわふわする。何か良くない病気を(わずら)ったのだろうかとレイマンは真剣に考えた。


 ゴホン、ゴホンっとレイマンの横でわざとらしくカランツが咳払いをした事で、レイマンは己の失態に気がついた。返礼をしていなかったのだ。



「お、お、お招きに応じて、く、くださり、か、感謝の念に堪えません。え、遠方より、よ、ようこそいらっしゃいましたエ、エリサベータ嬢」



 舌が上手く回らず、それが焦りに拍車をかける。レイマンはあまりに酷い自分の有り様に、羞恥で上気したのを自覚した。何とか取り繕わないと、と思えば思うほど悪化する。



「ぼ、僕はレ、レイマン・ナーゼルです。レイとよ、呼んでください」

「では私のことはエリサとお呼びください」



 にこりとレイマンに微笑みを向けるエリサベータの顔は、年齢よりもずっと大人に見えた。その笑顔は朗らかで王都の貴族子女達の無感情な微笑とは全く異なるものであった。


 レイマンはその優しい微笑みに、どきりと心臓を高鳴らせた。



──なんという体たらくだ!



 彼自身も嫡子時代は稀な美少年と持て(はや)され、侯爵家の跡取りとして磨いた洗練された所作も相俟(あいま)って、同年代の令嬢たちから秋波を送られていた。ナーゼル領では修学に励み、同年代の貴族子女の誰にも劣らないと自負してもいた。


 それなのに、歳下の少女にあたふたとみっともない。しかも挨拶を返すのを忘れて、その少女に跪礼(カーテシー)の姿勢を長時間とらせてしまった。大失態である。彼は自己嫌悪に陥りそうだった。


「エリサベータはしばらくナーゼルの別邸に逗留することになっている。仲良くするといい」


 そんな年頃の少年を微笑ましく見ながら、カランツはこのニ人の出会いはきっと好ましい結果をもたらしてくれると予感がした。


 普段は大人びた言動を心掛けているレイマンのカランツの言葉にコクコクと頷くだけしかできない珍しい姿に、周囲の家人たちも微笑ましく見守っていた。



「別邸までご案内します」



 何とか浮つく気持ちを鎮め、姿勢を正して繕うと、レイマンは今ある全ての勇気を振り絞って手を差し出すした。途端、エリサベータの表情が一転した。大人びたたおやかな笑顔がパッと花が咲いたような明るく可愛らしい笑顔に変わったのだ。


 その彼女の変化は、まるで薔薇の様な大輪の美しい花が咲くと予想される蕾から、ちいさな(すみれ)の様な可憐な花が咲いた様で、レイマンの視線は釘付けになった。



「ありがとうございます」



 そう礼を述べてエリサベータは差し出された手に、その手をそっと添えた。彼女の手はとても小さく華奢(きゃしゃ)で、それでもしっかりと彼女の温もりをレイマンに伝えてきた。


 やっと落ち着いたレイマンの心臓が再びドクン!っと大きく跳ね上がり、胸がキュゥっと締め付けられる。自然とレイマンは息を飲み、呼吸ができなくなった。彼女の添えられた自分の手から汗が滲み出るのがわかる。まだ少年のレイマンはする必要のない手袋を気取って身に付けていたのだが、そのお陰で己の手汗をエリサベータに気付かれずにすんだ。全く、自分の幼い虚栄心と手袋に感謝したい


──どうすればいい?この後はどうすればいい?


 レイマンは狼狽(ろうばい)して思考が纏まらない。エリサベータの手を取ったまま固まり、視線は辺りを彷徨(さまよ)う。


 そんな彼の視界に一片(ひとひら)の花びらがひらりと舞った。



 ふわっ 



 優しい風が吹き抜けた。


 暖かな風が可愛らしい薄桃色の花びらを数片ヒラヒラと運んできた。エリサベータの艶やかな長い髪が小さく乱れ、彼女のスカートの裾が軽く(ひるがえ)る。



 風光る季節。



 思春期の少年はその光景に目を奪われ、心を揺らされた。頭の中は何も考えられずに真っ白になり、口は言葉を発するのを忘れてあわあわと戦慄(わなな)き、足は地につかずふわふわと宙に浮いたようにおぼつかない。


 エリサベータの添えられた手を思わず握り締め、彼女が不思議そうにレイマンを見詰めて小首を(かし)げると、その美しくも愛らしい仕草に、彼はボワッと顔が発熱したように熱くなった。心臓は痛い程に高鳴り、体は全く自分の意にそぐわなくなった。


 まだ未熟なレイマンは思う。自分はいったい何の病を(わずら)ったのか?




 レイマン・ナーゼル十一歳の春。これが彼の初恋であった。

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