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第三十六話 冒瀆の呪い

 エリサベータの身に凶事が降り掛かったと知ったレイマンは、取るものも取り敢えず馬車に飛び乗りヴィーティン邸へと駆け込んだ。


「エリサ!」


 彼は馬車を飛び降りると屋敷内に押し入り、家人達が押し留めるのを無理矢理に払い除けてエリサベータの部屋へと押し掛けた。


 部屋にはナターシャが既に来訪しており、エリサベータの肩を抱き、慰めているところであった。


「レイマン様!女性の部屋に無断で入って来るとは何事ですか!」


 突然乱入してきたレイマンをナターシャは鋭く一喝した。レイマンは彼女の刺すような視線ときつい叱責に一瞬たじろいだが、それでも部屋を出ることはしなかった。


 いや、出来なかったというべきだろう。エリサベータの余りに変わり果てた面貌を見て、あまりの驚きで体が動かなかったのだ。


「レイ様……」


 突然の登場したレイマンに驚き、思わず上げたエリサベータの顔。


 その涙で濡れた顔の左半分は変わらず玉貌であったのだが、反対の右半分があまりに酷い悪相と化していたのだ。


 きめ細やかな雪の如き白い肌が、どす黒く変色し顔の造形を変えてしまう程に痘痕(あばた)が沸き、滑らかで銀色に煌めく髪はくすんで艶を失い、輝く蒼玉の如き美しい瞳は不安と絶望で光を失っていた。


 自分の変わり果てた姿を見られたとエリサベータは慌て顔を隠したが、その異様な面貌はレイマンの目に焼きついて離れなかった。それ程の衝撃的な異貌。


 左は至上の美、右は最悪の醜、窮極の美醜が並ぶ惨憺(さんたん)な異相は、見る者により嫌悪感を呼び起こした。


「レイ様……お願い……見ないでください」


 か細く呟きレイマンを拒絶する声は昔のまま可憐であったが、声音は暗く深く沈んでいた。その意気阻喪(いきそそう)した最愛の婚約者の前でレイマンは何も出来ず茫然と佇んでいた。


 悲嘆に暮れ、すすり泣く愛しい婚約者を前にしてレイマンは掛ける言葉を失っていた。そんなレイマンにナターシャは激しい憤りを覚えた。


「レイマン様!何もされないのでしたら出て行って下さい」


 ナターシャの怒気を含んだ声にレイマンは我に返った。


「違う!私はエリサの事が……」

「近づかないで!」


 一歩前に進みエリサベータ達にレイマンは近寄ろうとしたが、ナターシャの鋭い叱責が飛んだ。


「分からないのですか?」


 低い声で非難するナターシャの厳しい視線にレイマンは立ち止まった。


「エリサは傷ついているのです。この様な仕打ちは女性にとって耐え難いもの。それを男性、しかも愛する方に見られるなど如何程の苦痛と思われているのですか」


 そう言われれば男であるレイマンには最早エリサベータの為にしてやれる事など何もない。悔しさでレイマンは歯をぎりりと音がなる程に食い縛り、拳を振るえる程に強く握り締めた。


「エリサが落ち着くまでそっとしておいて下さい」


 ナターシャはエリサベータが現状を受け入れる精神状態になるのを待って欲しいと願っただけだった。だが、この言葉が後にレイマンとエリサベータに距離を作ってしまい、二人の仲を引き裂く事になるとは、この時のナターシャには思いもしなかった。


「エリサ……君にかけられた呪いはきっと私が解いてみせる」


 レイマンはそう言い残して去って行った。力なく小さくなったレイマンの後ろ姿をエリサベータはただ黙って見詰めた。


「レイ様……私は……」


 エリサベータは鏡に映る王国の男達を惑わす左の美貌と、魔女によって変えられた醜悪な右の醜貌を見比べた。


 左は元のままの芙蓉の顔(ふようのかんばせ)。白磁器の様に白く滑らかな肌に艶やかに輝く美しい銀髪。目は長い睫毛と宝石の煌めきも(かす)む青い瞳。蒼玉姫(せいぎょくき)と言われるだけの絶世の美貌がそこにある。


 しかし右半分は呪いで酷い有り様に変貌している。肌は黒く変色し、銀髪はくすみ、その瞳は輝きを失い蒼黒く曇っていた。その黒ずんだ肌には幾つもの(おぞま)しい痘痕(あばた)が噴き出て、顔の形を醜く変えていた。


 容姿の美醜など何の意味があるのか?

 人は等しく老いる。その美貌もいつかは(かげ)る。

 為人や品性といった内面こそ人として価値を決める。


 エリサベータはそう思っていた。

 今でもそう思っているはずだった。


 だけれども……


 レイマンにこの醜い顔を晒す事はとても苦痛だった。

 愛しい人から拒絶される事に恐怖した。

 この醜顔を隠したくて仕方がなかった。


 レイマンへの恋心を知ってしまったエリサベータは、彼がこの醜い顔に落胆しないか、この醜い顔を嫌悪しないか、そればかりが頭の中を占めた。


 生まれて初めて自分の顔の醜さに(おのの)いた。自分の顔が醜く変わってしまった事を嘆いた。


 エリサベータは自他ともに認める美貌の持ち主だった。それに驕りがあったのだろうか?

 美醜など関係ないなどと言えたのは、自分が美しかったからではないのか?


 この美と醜の対照がその事実をエリサベータに突き付けているようで、一掃に彼女の心を(さいな)む。


──私は顔よりも心の方が醜い……


 エリサベータは呪いで変わり果てた顔よりも、自分の内にある黒く汚く穢れた心根に嘆き悲しんだ。

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