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第三十四話 青天の霹靂

 ファルネブルク家の嵐を乗り切った後のレイマンは殺人的な忙しさではあったもののまさに順風満帆であった。


 彼はレイマン・ファルネブルク・ドゥ・ナーゼルを名乗り、今まで行っていたナーゼルの統治の他に、不在のファルネブルク侯爵の代りに執務を取り仕切ることになったのだ。


 こうしてナーゼル領主とファルネブルク侯爵代理を兼務し、仕事に追われる忙しいながら充実した日々を送った。


 その忙しさのせいでエリサベータへの結婚の申し込みが先延ばしになったのは痛恨事ではあった。しかしさすがにファルネブルク侯爵の継承者となったレイマンの婚約者に手を出す愚か者はいない。だから、早くエリサベータと結婚したいという願望は強いもののレイマンに前のような焦りはない。


 それに愛しい婚約者はレイマンの為に王都に在住している。レイマンはどんなに多忙であってもエリサベータとの逢瀬(おうせ)の時間は無理矢理にでも捻出した。


 更には二人の仲を周知させる目的で王都の社交界にも頻繁に顔を出していた。


「エリサはいつも綺麗だが、今日のドレスの青色は特に良く似合う」

「ありがとうございます。青色は好きです。レイ様の色ですから」


 相手(パートナー)の瞳や髪の色のドレスを着用する事の意味は相手に染まる事を示唆している。それを公の場で身に付けるのは自分の想いを皆の前で告白するような大胆な行為である。


 貞淑なエリサベータにしてはかなり大胆な行為だった。自分でも自覚があるのだろう、レイマンの瞳の色のドレスを着ていると告白した彼女は首の上から顔まで真っ赤にしてしまった。


「私はエリサの青の方が好ましいと思うよ」

「レイ様……」


 夜会の場でお互いの青い瞳を見詰め合う二人の仲は有名になっており、強く想いあう二人の間に割って入るような無粋者もいなくなった。


 (むし)ろこの頃に注目されていたのはファルネブルク侯爵家やエリサベータよりもアグネス・ハプスリンゲ公爵令嬢であった。


 その理由はエリサベータと共にクロヴィスの双玉と呼ばれる美姫が、未だに結婚どころか婚約者もいなかったからである。


 様々な憶測が飛び交った。誰か想い人がいるとか、身分差の禁断の恋だとか、不治の病だとか、実はもう死んでいるだとか……荒唐無稽(こうとうむけい)な数々の噂が貴族の、特に貴族令嬢達を喜ばせているようだ。


 尤もアグネスはナターシャとは頻繁に会っている様子で、この最高爵位の令嬢と最低爵位の令嬢はどうにも馬が合っているらしい。気兼ねない付き合いをしたいようで、アグネスはナターシャと会う時はエリサベータ以外を呼ぶことがないとのことだ。


 そのエリサベータは王都での孤児院の慰問などの活動は控えていた。ヴィーティンやナーゼルの様な長閑(のどか)な田舎とは異なり王都内で貴族令嬢が出歩くのはかなり危険だからだ。


 護衛を付けても良いのだが、指名された騎士達に手数をかけるし、物々しく訪問先に迷惑を掛けかねない。他人に難儀をかけるようでは慰問の意味がない。


 代りにエリサベータはレイマンの手伝いをするようになっていた。


「ご令嬢が政務をなさるのですか!?」


 エドガルトは驚いたが、その彼よりも書類の整理などは(むし)ろエリサベータの方が上手く、自分は無能なのかとエドガルトは自信を喪失しかけた。


「エリサは優秀だからな。だけど余り無理はしなくていいんだよ?」

「無理なんて……私はただ少しでもレイ様のお側に居たいだけなのです。これからもお手伝いをさせて頂けないでしょうか?」


 可愛い婚約者の可愛いお願いに否応はない。レイマンは二つ返事で快諾するだけであった。


 時間も遅くなればエリサベータを送り届ける義務をレイマンが他の者に任せる筈もなく、彼女のお手伝いの後には必ずレイマンが馬車に付き添ってヴィーティン邸まで赴いた。


 正面玄関(エントランス)の扉の前で、エリサベータはレイマンに頭を下げた。


「申し訳ありません。お手伝いを申し出ておきながら、お手数をお掛けしてしまい」

「私も同じだよ」

「あ!」


 レイマンは流れる様にエリサベータの体を引き寄せて自分の胸の内に収めた。


「私もエリサと少しでも一緒に居たいからここまで来たんだ」

「レイ様……」


 エリサベータは初めての時のような抵抗を全くせず想い人の胸にしな垂れた。その柔らかい温もりをレイマンは体全体で受け止め堪能すると右手をエリサベータの頬に添えた。エリサベータはその手に自分の手を愛おしそうに重ねた。


 レイマンはエリサベータの柔らかい頬の感触を右手で確かめながら、彼の親指は彼女の下唇をなぞり、少しずつ内側へと侵入して行く。


「レイ様……いけません」

「エリサ……」

「またツェツィアに叱られます」


 エリサベータに(たしな)められ残念そうに手を離すと、レイマンは彼女の額に軽く口付けを落とした。


「そうだね。今日はもう帰ろう。お休みエリサ……」

「レイ様……お休みなさいませ」


 エリサベータも繋がっていた手を名残惜しそうに離し、一礼すると屋敷の中へと姿を消した……



 この後もレイマンは侯爵としての執務とナーゼルの統治という二足の草鞋(わらじ)にも精力的に取り組みながらも、エリサベータとの逢瀬も決して疎かにしなかった。



 そんな公私共に多忙な日々も気がつけば一年が経過していた……



 エリサベータやエドガルトの手助けもあって、この一年でレイマンは侯爵の仕事とナーゼル領の統治にある程度の目処も付けた。時間に余裕を作る事もできるようになってきている。


 レイマンは十九歳とまだ若輩とは言え『ファルネブルクの嵐』を凌いだ手腕と、これまでファルネブルク侯爵の執務を熟してきた実力は誰も否定が出来ない。


「今度こそ結婚の話を進めても問題無いだろう」 


 もはや何も障害はない。レイマンはそう確信した。


 後はファルネブルク侯爵家を継いでエリサベータと結婚すれば何もかもが上手くいく。レイマンはそう信じて疑わなかった。


あの玉(・・・)も既に準備が出来た。後はエリサに結婚を申し込めばいいだけだ」


 椅子から立ち上がると何と無しにレイマンは窓から外を眺めた。ちょうど木枯らしが吹き抜け枯葉が空を舞う光景に、季節はもう秋から冬へ変わろうとしていることが窺えた。


「もう冬も近いんだな」


 屋敷の庭に(そび)える木々から紅葉(こうよう)もすっかりと落ち、幹と枝だけの淋しい姿を晒しており、見上げればどんより暗い曇り空と相まって不吉な様相を見せていた。


「嫌な空だ」


 禍々しい雲が太陽を隠し、辺り一帯が昏く沈んでいた。厚く灰色がかった雲が空を低くし、圧迫感を与える。レイマンの胸に何か胸騒ぎの様な切迫感が生まれた。


──何だ?胸がざわつく……


 レイマンは言い知れぬ焦燥感に(さいな)まされた。


 その時、扉が勢いよく開かれた。


「大変です兄上!」


 執務室に突然やって来たのは五歳下の同腹の弟ヴェルリッヒだった。


「ヴェル、そんなに慌ててどうした?」

「あ、姉上が!姉上が!」


 己を慕う可愛い実弟ヴェルリッヒがもたらした報告は、一年前にもたらされたファルネブルク家のお家騒動の時よりもレイマンには衝撃的な内容であった。

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