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第三十一話 ファーストキス

 エリサベータと婚約して二年が過ぎた。


 この二年の間もレイマンは彼女と変わらぬ関係を続けていた。しかし、その当たり前の小さな積み重ねが順調にお互いの想いを深めていき、絆を強くしていくものでもあった。


 二人の恋は真夏の炎天下の如く灼熱の様に一気に過熱する激しいものではなく、初めて出会った麗らかな春の様に優しく包み込むような日差しを受ける温かなものであった。


 だからこそ、その恋はゆっくりとだが確実なものとなり、二人のお互いの想いは確かな愛へと昇華していこうとしていた。


「レイ様。本日はありがとうございました」


 この日もレイマンはエリサベータとの逢瀬の後に彼女を屋敷まで送り届けていた。


「近頃は街道の開発事業でお忙しいのではありませんか?」

「エリサの為に時間を作るのは当然の事だよ」


 レイマンはエリサベータの頬に手を添えた。そのレイマンの手にエリサベータは愛おしそうに自分の手を重ねた。


「ですが私の為にご無理をなさっているのではないかと思うと……」


 レイマンがナーゼルの施政でいそ多忙の身であることを知るエリサベータの顔に愁いの色が浮かぶ。いつも他人の身を案じるエリサベータが堪らなく愛おしい。


「エリサ!」

「あ!」


 レイマンは彼女の身体を引き寄せると、その細い腰に腕を回した。


「レイ様……このようなことをなさっては……」


 エリサベータは驚き、両手でレイマンの胸を押し退けようとしたが、レイマンは腰に回した腕に力を籠めて離そうとはしなかった。


「好きだよエリサ」

「あっ…んっ!」


 レイマンが耳元で囁くとエリサベータの顔は一気に上気した。


「レ…ィさ…ま……私達は……まだ……」


 レイマンを制止する言葉を投げながら、しかしエリサベータの手の力は抜け、彼女はその胸に頭を預けた。レイマンの匂いに包まれエリサベータは離れ難くなり、手でぎゅっと彼の胸の辺りを握った。


「エリサ……」


 その愛らしい仕草にレイマンは堪らずエリサベータの額に唇を落とす。レイマンの鼻腔をエリサベータの花の様な甘くも優しい芳香が刺激した。


 エリサベータは額に感じるレイマンの唇の温もりにびくりと体を震わせた。レイマンが右手でエリサベータの顎を持ち上げ上を向かせれば、その美しい青い瞳は幾らか潤んでいるように見える。


 見詰めあったままレイマンは顔をゆっくり寄せて行くが、エリサベータは少し体を強張らせながらも、逃げる事も避ける事もしなかった。やがてレイマンはエリサベータの瑞々しい薄桃色の唇に自らの唇を軽く重ねた。


「んんっ…はぁ」


 エリサベータの可愛らしくも(つや)のあるよがり声に重ねた唇を僅かに離せば、愛らしい口から甘く切ない溜息が漏れ聞える。


「愛している。誰よりもエリサの事を」

「私もレイ様を一番……は……んぁ……」


 情愛に潤んだ瞳、濡れてぬらりと光る唇。彼女のそれを見てレイマンは欲情を抑えることができずにその愛おしい唇を求めた。だから何度も何度も離しては重ねた。


 二人だけの静かな空間に唇を離す度にちゅっちゅっと微かなリップ音が響く。自ら発せられる淫靡な音にエリサベータは羞恥で顔を赤くした。


「だ、め……ん、やっ…レイ……さ……ま……」


 エリサベータの制止が(むし)ろレイマンの欲求を加速させ激しさが増した。


「あぁ、ん、はぁ……」


 唇を離すたびに彼女の口から熱く(なま)めかしい吐息が漏れ、レイマンは収まりがつかなくなり、右手を彼女の頭の後ろに回し力強く引き寄せ愛らしい唇に吸い付いた。


「あっ!んん…」


 そのレイマンの強引な行為に驚いてエリサベータは大きく瞳を見開き喘ぎ声を発したが、レイマンは腰に回した左腕も、後頭部を支える右手も力を緩めることなく、彼女の唇を強く吸い続けた。


「ん!んんんっ!」


 首を振ろうとしたり、両手でレイマンの胸を押し退けようとともがくエリサベータ。そうやって暴れたせいで綺麗に結い上げた髪が崩れ、彼女の見事な銀の髪が数条さらさらと流れて美しく輝く。


 抵抗していた彼女も徐々に観念し、目を閉じると自らも腕をレイマンの背に回して自分の身を全て委ねた。


「ん……ん、ん……ん!」


 静かな正面玄関(エントランス)にエリサベータの小さな喘ぎ声だけが響く。二人は唇に感じるお互いの温もりにどんどん夢中になった。


 エリサベータは愛しい男性の背中に回した手に力を籠め必死にしがみつく。


 レイマンは力を入れれば壊れてしまいそうな彼女の華奢な身体を離すまいと強く抱き締める。


 二人はもう想いを止めることは出来なかった。


 次第に二人の唇はより深く、より強く結び付き、それでももっともっとと更に深く結び付きたいという欲求を押し留められずより激しさを増そうとして……


「ごほん!んん!ごほんごほん!」


 そして、清艶さと淫靡さが少し交ざった静かな空間を咳払いが打ち壊した。二人が慌てて咳払いの主を振り返れば、そこにはエリサベータが信頼する侍女が仁王立ちで二人を睨んでいた。


「ツ、ツ、ツェツィア!」


 悲鳴に近い声を上げたエリサベータは自分達の状況を思い返し、羞恥に頭に血が上り、首から上の新雪の様な真っ白な肌が真っ赤に染まった。


「あ、あの、その、こ、これは……ち、違うの……」


 自分の侍女にあられもない姿を晒したと、恥ずかしさに両手で顔を覆った。


「レ、レイ様、も、申し訳ありません、私はこれで!」


 そう言い残してエリサベータは逃げる様に屋敷の奥へと走り去った。


 その後ろ姿をレイマンとツェツィアは黙って見送っていたが、エリサベータの姿が見えなくなるとツェツィアはレイマンに非難をする様な視線を向けた。


「レイマン様、貴方はエリサベータ様のご婚約者でありますし、多少の事には目を瞑るつもりでしたが……ご結婚するまでは分別をわきまえて頂きませんと」

「あ、ああ……すまないツェツィア」


 エリサベータの侍女の抗議にレイマンは首肯するしかなく、彼はしゅんと肩を落としてヴィーティンの屋敷を後にした。


 気落ちはしたが、だからこそレイマンは一つの事を決意した。それはエリサベータへの結婚を申し込む事。結婚さえすればエリサベータと接吻しようが誰からも咎められることはないのだ。


──もう結婚を申し込んでも大丈夫だろう。


 エリサベータは十六歳となった。可憐だった容姿はそのままに、その美しさに益々磨きが掛かっていた。レイマンも十八歳。前ナーゼル伯爵カランツの力を借りず既に独り立ちしており、若いながら領主としてナーゼル領を見事に治めていた。


 一般的な貴族としてはまだ未熟な歳と見られる二人だが、レイマンは既に周囲にその実力を認められている。今なら配偶者を得ても問題はないと思われた。


 それにレイマンは焦っていた。その焦燥感が彼女との結婚を急かせる。


 その焦慮の原因はエリサベータのデビュタントにある。デビュタントであれだけ牽制したにも関わらず彼女に数多くの縁談が持ち込まれているのだ。婚約が成立している令嬢に対して、これは通常ならあり得ない婚約者(レイマン)を馬鹿にした所業である。


 だが、エリサベータの美貌がそれだけ男達を惑わせているということだ。こうなると強硬手段に出る愚か者もいないとは限らない。レイマンはやきもきする気持ちを抱えた毎日を送っていた。


 ギュンターに相談した時もさっさと結婚すれば良いと言われており、今回の件でレイマンも遂に決意が固まった。


 因みにギュンターは当初の失敗でナターシャとの仲が進展しないかと思っていたが、最近ナターシャと晴れて婚約を結んでいた。


 意外に思ったレイマンが、後学の為とギュンターにどうやってナターシャを懐柔したのかを尋ねると、真正面から自分の気持ちをぶつけ続けたと返答された。


 ナターシャは直感力が優れているので、素直に自分の気持ちを言葉にした方が良いとの何とも参考にならない方法だったのだが、この二人の場合はそれで上手く行った。


 そのナターシャも色々な意味で王都を騒がせている美少女なのだが、何せデビュタントの印象が強い。エリサベータと違い誰も怖がってちょっかいをかけないので、レイマンとは違いギュンターは焦る事もなく気楽なものだ。


──結婚の申し込むなら、あの玉(・・・)を早く用意しないと。


 エリサベータと結婚……


 まだ結婚してもいないのに想像しただけでレイマンの口元が弛む。かなり浮かれていた。


 しかし、そんな結婚への意気込みに燃えるレイマンに冷や水を浴びせる出来事が起きた。


「お帰りなさいませ」


 家礼のバルトルが玄関先でレイマンの帰りを待っていた。


「ご帰宅早々に申し訳ありません。こちらを……」


 バルトルは封筒を乗せた銀のトレーを恭しくレイマンに差し出す。


──この刻印はエドガルトのものか。


 それは王都よりの報せであった。


 封筒を開封して手紙を取り出し、内容を確認したレイマンは固まった。


 シュタイマンの嫡子となったゲオルクはレイマンの異母兄ではなく、実は義母が別の男と作った不義の子であると発覚したという内容だったのだ。


 当然ゲオルクはファルネブルク家の血を引いてはいない。これはファルネブルク家の簒奪を狙った謀計ということになる。既に王都を騒がす大事件となっているようだ。


「急ぎ王都へ向かう用意を」

「畏まりました」


 取る物も取り敢えずレイマンは王都へと出立したのだった。

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