第二十九話 冒瀆の森
レイマンとエリサベータの婚約から数ヶ月、遂にエリサベータのデビュタントである。彼女を王都へ送る為にレイマンはヴィーティン領まで迎えに来ていた。
「レイ様!」
正面玄関でレイマンを出迎え、破顔したエリサベータは白を基調にしたエンパイアラインのドレス姿。白は清廉な彼女をより清楚に見せた。
「わざわざお迎えに来て頂きありがとうございます」
「可愛い婚約者の為ならなんでもないさ」
レイマンは近づいて来たエリサベータを軽く抱きしめると両頬に優しく接吻する。
「私、本当に嬉しくて……」
「そこまで喜んで貰えたら婚約者冥利につきるよ」
「それにエスコート役まで買って頂き感謝の言葉もありません」
「何を言うんだ。エリサのエスコート役は誰にも譲らない。これは婚約者の特権だ」
「特権ではなく義務なのでは?」
レイマンの物言いが可笑しくエリサベータはくすくすと笑った。
「エリサを見たら男達の申し込みが殺到しそうだからね」
「まあ!私のエスコート役などお父様以外には申し出ませんわ」
そう言っていられるのも今のうちだとレイマンは思っている。デビュタントの後は、エリサベータは間違いなく注目の的になる。これから彼女へ殺到する男達の事を考えるとレイマンは気が重くなる。
「エリサを他の男共に見せたくはないな。できればこのままずっと領地に閉じ籠めておきたい」
「レイ様、それは幾らなんでも猟奇的に過ぎます」
「そうかな?エリサを見た男なら誰でもそう考えるさ」
内心渋々であったが、レイマンは表面を取り繕って少し戯けた口調で語りかけながら、エリサベータに上着を掛けて馬車へと誘った。
デビュタントは社交界シーズンに先駆け、冬がやっと終わった初春に執り行われる。北方のヴィーティンはまだまだ風が冷たく寒さが身に染みる。二人だけの車内でエリサベータは寒そうにレイマンに寄り添い、レイマンは身を寄せてきた彼女を温めるため肩をそっと抱き寄せた。
レイマンが御者台の方の小窓から馬車を出すように指示を出すと、直ぐに車輪がゆっくりと回り始める。それに合わせて馬車が緩やかに動き出した。
車輪がガラガラと音を立て、レイマンとエリサベータを乗せた馬車はヴィーティン領から王都へ繋がる街道を走る。
窓から見える景色が流れていく。レイマンにとって初めて見る眺望。残雪で山頂から中腹まで真っ白な山々、森の木々の枝は剥き出しで寂しい。まだ、生命の息吹が弱く、その木の雪が残る幹の陰から小動物達が覗く姿が時折見える程度であった。
春先の北の地はまだ寂しい景観を晒していた。森を切り開いた街道の中に入り、馬車の窓から見えるのは流れる木々だけ。
そんな代り映えのしない眺めの中、きらりと光りがレイマンの目に入った。次第に木々の間からきらきらと瞬く光景に暫く見入っていると森が切れ、湖が姿を現し湖面に反射した陽光がレイマンの目を刺激する。
「小さいが綺麗な湖だね」
そんなレイマンの呟きを拾って、エリサベータはレイマンの肩に預けていた頭を起こして彼が見ている窓の外に目を向けた。
「あっ……ケーリッツ湖ですね。はい……そう……ですね」
歯切れの悪いエリサベータにレイマンは訝しみ、エリサベータの顔を窺えば、表情が少し曇っているように感じた。
レイマンが視線を車外に戻せば、その小さな湖畔にひっそりと佇む教会が目に入った。そして、その教会の裏手に見える湖の対岸に平野が広がり、その奥にある森が見えたのだが、その異様にレイマンは眉を顰めた。
「あれは?」
この湖の周辺は雲一つない晴天でありながら、遠くに見えるその森の上空だけ何故か暗雲が立ち込めていたのだ。
何処か不気味で、不吉な印象を与える黒い雲の塊に、レイマンは言い知れぬ不安が胸で騒めく。
「あれは……『冒瀆の森』です」
「あれが……」
エリサベータの告げた名前にレイマンは眉を顰めた。それは彼も知る有名な森であったからだ。とても悪い方向で。
この『冒瀆の森』には、名前の由来となった『冒瀆の魔女』が住んでいる。御伽噺にも出てくるその魔女は、遥か昔この国が興る前からその森に住んでいたらしい。
数々の昔話にも登場しするこの魔女はとても恐ろしい存在であった。今もまだ夭い姿を保つ彼女は漆黒の髪と深淵の瞳という不吉ながらも美しいく、しかし恐ろしい魔法と呪いの力を使うという。
曰く、美しき令嬢達を『冒瀆の呪い』をもって次々と醜女に変えて、数々の不幸をばら撒いた。
曰く、数多の英雄、勇者が『冒瀆の魔女』を討ち果たさんと森へと分け入り、帰って来た者は誰もいなかった。
曰く、魔女の暴虐を静める為に王が発布し、国を挙げて森へ軍を差し向けたが、兵達の大半が森の土へと還った。
彼女については、この国の有史前から土着している人々の口伝も伝えられている。白き救世の魔女は王侯貴族達の裏切りにあい、復讐に燃える『冒瀆の魔女』となったと……
だからだろうか、彼女は時折、森から出て来ては美しい令嬢に呪いを振り撒くのである。しかし、森に手を出さない限りはそれ以外の事をしないため、『冒瀆の森』は禁忌の領域として誰も手を出すことがなくなった。
「近づかぬが宜しいでしょう……」
「そうだな……」
デビュタントへの気の重さもあるのだろうか。
レイマンには冒瀆の森の上にかかる黒い雲の塊が不吉な前触れのように思えた。




