第二十三話 赤髪令嬢と紅玉姫
レイマンが成人の儀を終えてちょうど一年が過ぎた。
十六歳となったレイマンは執務で忙しい日々を送っていた。
もともとカランツの仕事を輔翼していたレイマンだったが、成人したことでこの一年はカランツより仕事や権限を委譲されつつあるのだ。
その為、日々を忙しく過ごしていた彼にとって、公務でもない限りは王都へ赴く暇はなかった。当然、今年の成人の儀に関わりはない……はずだったのだが、レイマンは今その王都にやって来ていた。
「はぁ、気が重い」
思わず溜息が出る。
「しかし、エリスのお願いを引き受けたのだから、ここは責任を持って当たらねば」
そう、レイマンは公務ではなく、エリサベータから懇願されてここに来ている。
その頼まれた内容と言うのは……
『今年ナターシャがデビュタントなのですが、彼女のお父様のスタンベルグ男爵様が体調を崩されて、付き添いが出来ないそうなのです。ナターシャは一人で大丈夫だと言い張るのですが、彼女の性格を考えるとどうにも心配で……そこでお願いなのです。ナターシャのエスコートをして貰えないでしょうか』
そう顔の前で掌を合わせてお願いするエリサベータの可愛い姿に、レイマンの理性は一瞬で陥落し、軽率にも二つ返事で引き受けた。
つまり、彼はナターシャのデビュタントの付添人として、彼女と一緒に王城の真珠宮へとやって来ていたのだ。
だが本来、デビュタントの令嬢のエスコート役は親族か婚約者が務めるものである。レイマンとナターシャはただの幼馴染であって、血縁的には縁も所縁もない。下手をするとナターシャの婚約者と見做される可能性もある。
「私は何故あの時もっと良く考えなかったのか」
その為、レイマンは気鬱になり、会場入りの前の男爵家や子爵家の子女達が集う待合室で彼は項垂れていた。
「全く何時までもグチグチと」
そんな様子のレイマンに、ナターシャは呆れた目を向けた。
「こんなとびっきりの美人をエスコート出来るのよ。もっと喜びなさいよ」
レイマンの前でドレス姿を見せつける為に、ナターシャはくるりと華麗に回るとふわりとスカートが舞う。その可憐な仕草に周囲の貴族子弟達の視線は釘付けになった。
レイマンは自分で言うかと思わなくもなかったのだが、悔しいことに事実ナターシャがこの会場で一番の美人に間違いがなかった。
しかも、デビュタントは全員純白のプリンセスラインのドレスの為、ナターシャの見事な赤髪は人目を惹く事この上ない。これから向かうデビュタント会場の中で最も目立つだろうことに疑う余地はない。
「はぁ、確かに美人だ。ナターシャがこの会場で一番綺麗だよ」
「ふふふ。ありがと」
気安く軽口を叩き合う二人は自然と顔が綻んだ。
成人となったレイマンとナターシャ。美男美女が明るく笑い合う姿は人目を惹くのは必然で、礼服の姿の凛々しいレイマンに近くのデビュタントの令嬢達が頬に朱を注ぎ、白い楚々としたドレスを纏ったナターシャの美しい笑顔を見た成人したばかりの令息達が顔を赤くした。
やがて案内人が来るとレイマンは会場までナターシャをエスコートする。この美麗な男女はその穏やかな微笑も相俟って目を惹き、通路で行き交う人々はみな振り返って嘆息した。
傍から見ればお似合いの恋人同士に見えるのだが、実際にはそれほど艶っぽい関係ではない。
この二人は五年弱で随分と気安い関係になっていた。エリサベータも含めて交遊する幼馴染だ。しかし、その間柄には遠慮がなく、さながら同性の戦友や喧嘩友達といった方が近い。
ホールに入場すれば秀麗な二人はいっきに注目を集めたが、レイマンはもとより勝気な令嬢のナターシャも特に臆する所はなかった。二人は悠然と会場の中を進んで行く。その堂に入った様相が更に衆目を集める要因となったが。
「これはエリサの危惧していた通りだな」
「危惧って?」
「ナターシャが会場で揉め事を起こしそうだ」
「何よ!私そこまで粗暴じゃないわ」
レイマンの発言にナターシャは口を尖らせた。
「ナターシャが大人しくしていても、周りが放って置かないさ」
レイマンに見てみろと促され、ナターシャは一緒に周囲を見回せば、貴族子弟達がさっと視線を逸らした。
「ナターシャは今宵で最も注目されている美しい華だ。だが、身分が最も低いから不逞の輩に目を付けられないとも限らん。私から離れるなよ」
「私、自分の身くらい自分で守れるわよ?」
自分の忠告に嘯くナターシャにレイマンは大きく溜息をついた。
「それが心配なんだよ」
ナターシャは真っ白な肌のせいもあり、華奢な美少女然としているのだが、其の実かなり活発である。軟弱な貴族子弟くらいが相手なら、本当に自分の身を守れそうなのだ。
しかし、それは拙い。如何に正当防衛であろうと、令嬢が令息を倒してしまえばやはり外聞が悪い。これは目を離すとエリサベータの懸念が現実のものとなりそうだとレイマンは心配した。
その憂慮は直ぐに現実のものとなる。そして、その兆しが起きた。
去年と同じように、楽団の音楽が急に止み俄かに会場が沸いた。そう今年もアグネス・ハプスリンゲが来場して来たのだ。これが事件の第一段階であった。
ハプスリンゲ公爵にエスコートされて入場してきた彼女は昨年よりも女性らしい丸みを帯びており、僅か一年で更に美麗に、より妖艶になっていた。
艶のある長い黒髪を綺麗に結い上げ、菫色のドレスを身に纏う姿は成熟の艶姿そのものである。先程までレイマンとナターシャの二人が会場の注目を独占していたのだが、アグネスが入場した段階で衆目は全て彼女に持っていかれた。
「彼女は今年も来たのか。いったい何が目的なんだ?」
「ふわぁ!すっごい美人さんね。エリサとタメを張っているんじゃない?レイマン様の知り合い?」
「まあ知り合いと言えば知り合いだが……」
「へぇ、あんな絶世の美女とお近づきなんだ……これはエリサが知ったらご機嫌斜めになりそうね」
ナターシャは揶揄っているだけなのだがレイマンは大慌てだ。
「な!彼女はこの王都では知らぬ者の居ない有名人だ。別に勘繰られるような仲ではないぞ」
「ふーん、どうだか?」
ナターシャに胡乱気な目で見られてレイマンは憮然とした。
「まあ、エリサに告白を決意して一年。未だに進展の見られない意気地も無ければ甲斐性も無いレイマン様に浮気なんてできないか」
「悪かったな意気地も甲斐性も無くて」
レイマンがエリサベータへ婚約を申し込もうと去年の成人の儀で決意していながら、未だに告白が成功していないのだ。その為、ナターシャに相談したのだが、全く功を奏さない。今はこうやって軽口の材料とされる始末であった。
暫くはレイマンとナターシャの二人で軽口を叩き合っていたのだが、次第にアグネスが近づいて来るのを見てナターシャは眉を顰めた。
「本当に親しい仲ではないのよね?」
「彼女とは去年の成人の儀以来だが……」
やがて、アグネスは二人の前まで来るとにこやかな笑顔を向けた。
「お久し振りでございます。ナーゼル様にはお変わりなく?」
「ご無沙汰しております。一年お会いせぬ間にハプスリンゲ嬢はまた一段と美しくなられた」
「まあ!ありがとうございます」
レイマンとアグネスの遣り取りを見ながら、ナターシャはアグネスの紅い瞳に恋慕の炎が灯っている事に気がついた。
「此方のとても綺麗な方は?」
不意にアグネスの矛先がナターシャに向き、その声音に僅かながら棘が隠しきれていないと感じた。
「ご挨拶が遅れました。私はスタンベルグ男爵の娘ナターシャと申します」
ナターシャは一部の隙も無い跪礼を披露したが、内心ではアグネスが自分を牽制しに来ていることを感じて辟易していた。
「これはご丁寧にありがとう存じます。私はハプスリンゲ公爵の娘アグネスと申します」
にこやかに挨拶を返すアグネスであったが、どうにもナターシャに対して警戒している節がある。
──この方は間違いなくレイマン様を好いているのね。
ナターシャは隣のレイマンをチラリと盗み見た。
──だけど……
「ナーゼル様はどうしてこちらに?」
「彼女の付添ですよ」
「付添に?ご婚約されておられたのですか?」
「いえいえ。彼女の父であるスタンベルグ男爵が体調を崩されまして、それで代理を頼まれたのです」
「ですが随分と気安いご関係に見えますが」
「まあ、幼馴染でして。腐れ縁と言うやつですよ」
そう言って朗らかに笑うレイマンだったが、アグネスの微笑はどこか固い。
──この朴念仁は全く察していないのね。
ナターシャはレイマンの余りの鈍さに呆れ果て、健気にナターシャを牽制しようとするアグネスが可哀想になってきた。
──エリサの恋敵なんだけどなぁ。
ナターシャは何となくこのアグネスを嫌いになれない。寧ろ彼女とは気が合いそうな気さえする。出来れば仲良くなりたいのだが、親友の恋愛事情もある。
仕事は敏腕な癖に色恋沙汰に疎い幼馴染を眺めながら、さてどうしたものかとナターシャは思案した。




