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第十一話 恋の予感

 馬車は予定通り昼にナーゼルの領都に到着した。


 ナーゼルは僻地の一地方ではあるが西地域の中心となる伯爵領である。その領都は田舎ながらもそれなりの規模であった。


 街全体は城壁で覆われており、通過した正門も鉄製の立派なものだった。


「話には聞いておりましたが、立派な城郭都市ですなぁ」


 ヴィーティンの土地しかしらない従者のエトガルが感嘆の声を漏らした。


 ヴィーティンを含むナーゼルを中心とした西方のここ一帯は平和で長閑な地域である。田舎ということもあって大きな都市はあまりない。自領から出たことのないエトガルにとって今まではヴィーティンの領都が最も大きい町だった。


 しかし、ナーゼルの領都はその町よりも遥かに大きい。



──(しばら)くは、ここで暮らすことになるのね。



 エリサベータが窓から街を覗けばヴィーティンよりも人が多く活気があった。良い街だとエリサベータは微笑んだ。


「エリサベータ様。どうやらお屋敷に到着したようです」


 そう言ってツェツィアは車窓の窓帳(カーテン)を降ろした。窓から外を覗く姿を迎えの者に見られるのは、あまり褒められた行為ではないからだ。


 エリサベータもそれは理解しており、苦情を言うこともなく馬車が止まり扉が開くまで、大人しく座席で黙想していた。


 間もなくして馬車の動きが完全に止まったことを察知すると、さすがにエリサベータも少しだけ緊張した。



──レイマン様はどんな方かしら?



 馬車の扉が開くとエトガルの手を借りて、踏み台(ステップ)に足を掛けたエリサベータは、静々と馬車から降り、人生で初めてナーゼルの地に足を下ろしたのだった。


 そのエリサベータが正面を見据えれば、身なりの良い老人と十歳くらいの少年が出迎えてくれていた。


「子爵令嬢エリサベータ・ヴィーティンだね?私はこの地を治めているカランツ・ナーゼルだ。こっちが私の義息のレイマンだ。招きに応じてくれて感謝する」


 老人の方がエリサベータへ声を掛けたので、エリサベータは背筋をピンと張った状態から右足を引き、膝を深く折って少しだけ頭を下げる。童女とは思えぬ見事な跪礼(カーテシー)



「お初にお目文字つかまつります。私はヴィーティン子爵の娘エリサベータ・ヴィーティンと申します」



 跪礼(カーテシー)の姿勢を維持したまま相手の出方を待つエリサベータ。しかし、どうしたことか一向に声が掛からない。


 実はこの跪礼(カーテシー)を維持するのはかなり大変だ。それを揺れ動く事なく、綺麗な姿勢を保つエリサベータは九歳にして体幹をかなり鍛えている事が(うかが)える。


 だからと言ってこの姿勢を維持するのは、幼いエリサベータには辛い。どうしたものかとエリサベータもさすがに困ってしまった。


「ごほん、ごほん」


 カランツの(わざ)とらしい咳払いに、エリサベータは少年が動く気配を察した。



「お、お、お招きに応じて、く、くださり、か、感謝の念に堪えません。え、遠方より、よ、ようこそいらっしゃいましたエ、エリサベータ嬢」



 その挨拶でエリサベータはやっと跪礼(カーテシー)の姿勢から解放され、身を起こして近づいて来た少年を見上げた。



「ぼ、僕はレ、レイマン・ナーゼルです。レイとよ、呼んでください」


──愛称呼びをお許しになるの?私に対する心証は悪くないみたいですね。


「では私のことはエリサとお呼びください」


 エリサベータが優しく微笑むと、レイマンの様子がまた一段とおかしくなった。


──随分と緊張されておられるご様子ですが……


「エリサベータはしばらくナーゼルの別邸に逗留することになっている。仲良くするといい」



 そのレイマンの様子にカランツがやれやれと救いの手を差し伸べた。カランツの態度は呆れるというより可笑しそうな雰囲気で、おそらくレイマンの様子は普段と違うのだろうとエリサベータにも分かった。



「別邸までご案内します」



 貴族令息らしい仕草で、幼いながらも様になっていた。さらりとこういう行動が出来るあたり、やはり普段の彼とは違うのだろう。



「ありがとうございます」



 そう礼を述べてエリサベータは差し出された手に、その手をそっと添えた。彼の手は手袋越しにも熱を持っていることが分かり、その熱量はレイマンがエリサベータを拒否していないのだと彼女に教えてくれた。


 この瞬間、エリサベータはまるで時間が止まった様な感覚を受けた。手を取るレイマンは一枚の絵画の様に美しく、エリサベータの瞳を覗く青い瞳は深く澄んでいた。


 思わずエリサベータもレイマンの瞳を同じ蒼色の瞳で覗き込む。



 じっと見詰め合う二人の間に一片(ひとひら)の花びらがひらりと舞った。

 と、ふわりと優しい風が吹き抜けた。



 可愛らしい薄桃色の花びらを数片ヒラヒラと運んできた暖かな風が、エリサベータの艶やかな白銀の髪を軽く(なぶ)り、彼女のスカートに悪戯をする。


 不意にエリサベータの手をレイマンが少し強く握ってきた。


 大人びていてもまだ恋愛経験に乏しいエリサベータは、不思議そうに茫然とするレイマンを見詰めて小首を傾げた。


 だがこの時、レイマンの後方にある花壇がエリサベータの視界に入った。


 そこには可愛らしい赤いポピーが風に揺られており、それを見てエリサベータはふと予感がした。



 レイマンとは長い付き合いになりそうだと……



 幼いエリサベータは、これが恋の予感だとはまだ気がついていなかった。

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