自分の力
「さぁ、誰から来るんだ?試験はもう始まっているよ?」
アルシエルは人差し指を曲げて挑発してみせる。
しかし誰も襲い掛かってくる様子は無い。
顔色を見れば、警戒する者や戸惑っている者ばかりだ。
いきなり〈魔王〉が相手になるというのだ。慎重になるのも無理はない。
(ここで臆病になるような者に護衛なんて任せたくはないんだけどね。そもそも護衛の必要が無いとも思ってるけど)
名実ともに最強となった〈魔王〉アルシエルに今更恐れるものなど無い。故に護衛の必要性をあまり感じていなかった。
左から右へと一人一人の顔を見渡して最後の一人まで見終えると、今回も期待できなさそうだと小さくため息を吐く。
その瞬間だった。死角から男が襲い掛かってきた。
跳躍し、ナイフで喉笛を掻き切ろうとする躊躇いのない一撃。
だが、アルシエルは目もくれず左腕の篭手で刃を防いだ。
受け止めてから目を向けると、視線の間で金属の火花が散っている。
その向こうにあるのは仮面を付けた魔人の赤い瞳。
平静を装ってはいるが、殺意の篭った目だ。
「なんだいるじゃないか、殺る気があるやつ」
右手のナイフを弾かれるが、すかさず左の拳を顔面に目掛けて打ち抜く。
これもあっさりと躱されてしまった。
アランは続けざまに近接で拳とナイフを叩き込むが全ていなされ、アルシエルには話すほど余裕があった。
「まさか不意打ちだけしかないなんてことは無いよね?」
焦りもせずに微笑むアルシエル。
───今の実力じゃ遊ばれてるのはわかっている。だからこそ油断の隙を突いてやる。
もう一度、左の拳で顔を殴りにかかる。
しかし今度はアルシエルに右手で手首を掴まれてしまった。
「芸がないな」
「そうでもないかと」
アランは拳を開き、魔法陣を紡ぐ。
ゼロ距離での魔法。これならば当たる。
「爆ぜろ!」
体を覆うほどの魔法陣が完成し、発動しようとした瞬間だった。
「───あ?」
ガラスのように音を立てて、魔法陣が砕け散る。
───何をされた?何が起きた?
訳も分からないままアルシエルに目をやれば、向こうも不思議そうな表情でこちらを見ていた。
───何かをされたわけではない?
視界が眩み、下を向くと地面に血溜まりが出来ている。
落ちた一滴の血が自分の鼻や口から滴ったものだようやく気付く。
「……分不相応の力を使おうとするからだ。許容量を超える魔力を使おうとすれば肉体がダメージを負う」
「………」
声が出ない。
アルシエルは「君も駄目だな」とアランを片手で放り投げる。
宙に浮いた身体はカルエスと同様に壁に激突した。そのまま壁に寄りかかるように落ちる。
放り出した足は立ち上がる力もない。
アランは自分の無力さに絶望していた。
────俺はこんなに弱かったのか。
聖剣を持っていた時であれば、最初の一撃は片手で止められる事は無かったはずだ。
拳の打ち合いでも今よりもっと速く強く打てたはずだ。
魔法だって、発動さえしていればこの建物を吹き飛ばすくらいは出来たはずだ。それでも自分の使える魔法では手加減した方だった。
当たり前に出来ていた事が、出来なくなっている。
聖剣を奪われ、力を失ったのだから多少弱くなっているのは覚悟していた。
それでも、旅の中で戦い続けた自分自身の力はもっとあると思っていた。
────それがどうだ。今の俺は魔法もろくに撃てず、膂力もない。並の兵士か、下手すればただの村人と変わらないかもしれない。
自分の力だと思っていた全ては聖剣の力だった。
ならそれを失った後は何も残っていない。
そんな者がどうやって〈魔王〉に一撃を入れられるというんだ。
アランは自分の弱さに打ちひしがれ、やがて気を失った。
◆
夢を見る時に見える光景はいつも同じだった。
魔王との決戦、その最後の瞬間。
一手及ばず、黒炎に呑み込まれる。
お前は弱いと苛むように見せつけられる。
───そうさ。自分が弱いなんてあの時から分かってたじゃないか。
大きな激突音と振動で目が覚める。
目を開けて意識を失ってたことに気づいた。
振動は壁から伝わってきたので左を見てみるが、カルエスが壁に埋まっているだけだ。反対に右を見てみると、知らない誰かが壁に突き刺さり、下半身だけが宙にぶら下がっていた。音の主はそれだろう。
そして目の前を見れば悲惨な光景が広がっていた。
地面にはカルエスの大剣を始め、剣や槍が突き刺さっていたが、それだけでなく人が地めり込んだり倒れたりと死屍累々の光景になっていた。
残る受験者は最後の一人。打ち合っているのは見たところ魔人の男の剣士だ。
時計を見れば残り時間は五分を切っていた。
「行きますよ魔王様!」
男の剣士が先に仕掛けた。正面から突撃していく。
鞘に剣を納め、低い姿勢から抜剣し、高速で切り上げる。
避ける間もなく、アルシエルが防ごうとした左腕に刃が届き、通り抜けた。
「奥義・幻影剣!」
一度目の斬撃は幻。フェイントをかけて本命の斬撃は首元を目掛けて軌跡を描いた───のだが。
アルシエルは二本の指で剣を挟み、止めた。
「騙す気があるなら幻にも殺気を込めろ」
剣身がヒビ割れ、砕け散る。
剣士は殴り飛ばされて地面に転がり、動かなくなった。
「これで全員かな?ミリアーナ、今回の採用試験は───」
「まだです……」
アルシエルが振り向くと、アランが立ち上がっていた。
膝が笑い、立っているのもやっとだろう。
それでも目は死んでいなかった。
「……なんとなく、君は立ち上がる気がしてたよ。でもそんな身体で何ができる?これ以上は流石に命の保証はできないよ」
〈魔王〉の言うとおりだ。こんな体で立ち向かって、次に殴り飛ばされたらいよいよ死ぬかもしれない。
今度命の危機が迫ってもあの時のようなとっさの転移は出来ない。
あの魔法は移動距離によって消費する魔力が増える。また何処かへ転移しようとすればそれこそ魔力の枯渇で死ぬだろう。
それでも、アランが立ち上がったのは勝つためだった。
「……覚悟の上です」
───ここで逃げたら、きっと俺は一生前に進めないから。
自分が弱いからと諦めて逃げ出して何になる。
聖剣を取り戻すためには俺は俺自身の力で戦わなきゃならない。その現実を受け入れたなら、あとは進むしかない。
いつのまにか、アランは試験なんてどうでも良くなっていた。
ただ自分の力で魔王に一撃入れられるか、それだけを考え、飛び出した。
残り時間は、あと三分。
(ただの突撃……?あの様子じゃ魔法も使えないみたいだから当然か……)
距離を詰めてくるアランをアルシエルは待ち構えた。
アランの攻撃は先程とほとんど変わらなかった。
ナイフを使った近接格闘。今度は魔法を使う気はない。
アルシエルは両手でそれを受け流す。掠ることさえない。
「さっきより動きのキレが悪い!もう終わりか!?時間は無いぞ!奥の手があるなら見せてくれ!」
「分かってるよ!」
アランは怒気を込めて叫ぶ。時間は残り一分を切った。
脚や胴を狙えば防がれ、頭を狙っても躱される。
やがて突き出した右の拳が躱され、空を切った。
無防備になったアランの隙をアルシエルは見逃さない。
彼女の拳がアランの顔をめがけて飛び出す。
かろうじて左の掌で受けたが、身体は地面から離れて吹っ飛んだ。
(……今の、打たされた?)
少なくとも満身創痍の身体では、顔に来ると分かっていなければ反応出来ないはずだ。
再び、アルシエルの警戒度が上がる。
───なんて力してるんだあの女は!
飛ばされたアランは足の裏で壁への衝突を受け止める。
左手は折れこそしなかったものの、痺れて使い物にならなくなっていた。
殴り飛ばされた勢いをバネに、アルシエルに向けて真っ直ぐに跳躍する。
衝突する直前、待ち構える彼女目掛けて、ナイフを投げた。
(ナイフは陽動、本命はその次だね?)
アルシエルはナイフを篭手で弾く。
───これで左手は振り抜かせた。残るは右手だけ。
アランは地面に残る足跡に彼女のものが一つもない事に気付いていた。
誰一人としてアルシエルを動かす事すらできなかった、そして彼女も動こうとしないということだ。
だからナイフを投げれば必ず弾くと考えた。
───あとはこの拳で頭をブチ抜く!
歯を食いしばり、眠って僅かに回復した魔力を拳に込める。
だが、動きを読んでいたアルシエルは同じく拳を構えていた。
「悪くはなかったけど、浅いな」
同じタイミングで振り抜けば、アルシエルの方が圧倒的に速かった。
確実に顔面を捉え、頭蓋を砕く──はずだった。
当たったはずの殴った感覚がない。
跳躍し、勢いを止められないアランに躱すのは不可能だ。
なのに拳はまるで幻を殴ったかのようだ。
刹那に何が起きたのか分からなかったアルシエルは次の光景でさらに困惑した。
「えっ!?」
目の前にいたはずのアランの位置が、後ろに下がっていた。
まるで時が巻き戻ったように同じ構えをしている。
「残像……ではないけど掛かったな」
「転移魔法か!」
殺意を込めて騙す。
アランは殴られる瞬間、身体一つ分後ろに転移していた。
転移魔法はその距離に応じて消費する魔力が多くなる。今のアランにとって、ただでさえ高位の魔法である転移魔法は、身体一つ分でようやく死なない程度だった。
「ぐうっ!」
全身が軋む。また許容量を超えた魔法で肉体へのダメージが襲っていた。
───さっきの魔法が失敗したのは、魔力不足とそれによる肉体への痛みで、反射的に中断したのが原因だと思ったが、正解だったらしい。あとはこの痛みを我慢すればいいだけだ。
言うのは簡単だが、それはつまり魔力の代わりに命を削るという事だ。
───なんの代償も無しに勝てるとは思っていない。むしろ安いくらいだろう。
アランは拳を撃ち抜いた。
「くらえ!」
今度はアルシエルが拳を振り抜いたため無防備になっている。
試験を眺めていたミリアーナとエルガーも、確実に当たると息を呑んだ。
だが、まるで同じ動きをするようにアルシエルは左手で拳を受け止めたのだった。
───これでも止めるのか……!
アランは歯噛みするが、迷っている時間はない。
───このまま押し込むしかない!
アルシエルも、止めたとはいえギリギリだった。
指先が間に合っただけであり、上手く掌で受けられなかったせいで力が入らず、徐々に押されていく。
「くっ……!」
「っ………!」
もう少しで頬に左手ごと当たる。
捩じ込んでやると最後の力を振り絞った時だった。
甲高い笛の音が鳴り響いた。
「そこまで!時間です!」
ミリアーナの静止により、アランは地面に倒れ込む。
「クソ……駄目だった……」
あと一歩、届かなかった。
やれる事は全てやったが、それでも〈魔王〉の壁は高すぎた。
「かなり惜しかった。最後の一手は驚いたよ」
「それはどうも……」
声をかけられたアランは顔を上げると、アルシエルが少し悔しそうな表情をしていた。
「一つ気になったんだが、一番始めに魔法を失敗しただろう?アレはブラフだったのかな?てっきり魔法は使えないのかと」
「ええ、そうです。と、言えたら格好ついたんでしょうけどね。あれはただの失敗です。見苦しい所を見せてしまいました」
「でも結果的に私は君がまさか転移なんて使えるとは思いもよらなかったから、あそこまで追い詰められたんだ。しかし不思議だね君は。魔力は全然無いのに転移魔法は習得しているなんて。私はともかく、大魔法使いとかにならないと習得できないような魔法なのに」
「それはまぁ……色々あったので」
「教えてくれないか。まぁいいや。ミリアーナ、ひとまず今回は合格者は無しという事で……って……」
「魔王様ぁ……」
ふとミリアーナに振り返れば、彼女は今にも泣きそうな顔でアルシエルを見つめている。
「ミ、ミリアーナ……?」
「もう!勝手にやってきて採用試験をめちゃくちゃにして!一人も合格者を出さないってどういうおつもりですか!」
「い、いや……だってあんまり欲しくなくて……エルガーでいいじゃないか……」
「そんなこと言って。エルガーさんはお歳を召しているんですから目を盗むのも簡単だと思っているんでしょう!すぐ城を抜け出して遊びに行こうとしたりするんですから」
「いやいや、エルガーはしっかりしてるよ。まだまだいけるはずだ」
「エルガーさんはもう『ミリアーナさん、夕食はまだですか?』とか聞いてくるお歳ですよ!」
「ホッホッホ。ミリアーナさんそれは言いすぎですよ。夕食はちゃんとさっき食べましたよ」
「ほらもうまだ昼ですし!」
「これは失礼」とエルガーをよそに、ミリアーナは涙目で嘆願する。
「せめて誰か一人は選んでください!どうせまた辞められる前に次を探しますから!」
「むぅ……わかった。では君にする」
まるで既に決めていたかのように、アルシエルはすぐに選んだ。
視線の先に居たのは、アランだった。
「俺、ですか」
「ああ。君は魔力が全然ないし体術もナイフ術も大したこと無いしこの受験者の中で誰よりも弱いけど」
───めちゃくちゃ馬鹿にされているが事実なのでぐうの音も出ない。
「君だけが本気で私を殺す気でいた。だから気に入ったよ」
アルシエルは笑顔でそう言った。
アランは立ち上がり、彼女と目を合わせる。
「もしかしたら本当に寝首をかくかもしれませんよ?」
「そういうのは強くなってから言うべきだね」
「ぐっ……まぁそうですね」
「どうする?」
「……従者の役目、謹んでお受け致します」
アルシエルに跪き、忠誠を誓う。
こうして、アランは〈魔王〉アルシエルの従者となった。
「そういえば君、名前は?」
「アラン。ただのアランです」
「アラン、ね。うん。これからよろしく、アラン。君はすぐに辞めない事を期待しているよ」
アルシエルが右手を差し出し、求められた握手にアランも応じようと右手を差し出した。
「お手柔らかにお願いしま──ん?」
差し出したはずの右腕が途中から折れてぶら下がっていた。
「腕が!?」
「転移魔法やら最後の一撃やらで反動が来てたの、気が付かなかったのか。君程度があれだけやれば腕くらい折れててもおかしくないね」
腕が折れた事を視覚が認識した途端、アランは悶絶しながら地面にのたうち回った後、気絶した。
「彼は本当に面白いなぁ」
医務室に運ばれていくアランを見ながら、「これから楽しくなるかもね」とアルシエルは呑気に笑うのだった。




