ep.86 懐かしい響きだ
とうとうこの時がやってきた。間接的な因縁ではなく元凶の一つとの直接対決。
前と同じ顔ぶれで謁見の間を訪れると、司祭ルドルのそばに恰幅の良い男がいた。
「ようこそ、破壊の勇者の末裔よ」
猶予なく最初に言葉を発した彼こそが司教ビザール。安らかな表情とは裏腹に得体の知れないものを内に秘めた捉え所のない人物。その肉体は壮年期のまま変わっていない。
「口にするのも懐かしい響きだ。何百年前のことだったか……」
あご髭を弄りながら話す彼に気後れする様子はなく落ち着いている。ふとエスカのほうにも目を向けた。
「そっちは……アガスティアか。ふむ。よく見れば当時の面影がある」
「あっ、はい。アガスティアより参りました第二王女のエスカと申します」
「ふっ、相変わらず甘ったれた顔をしているな。やはり血は争えないか」
「えっ……あの……」
険がある言い方にエスカは思わず戸惑いを見せる。
「あとは……ふん。興味がないな」
ビザールはその大きな鼻を鳴らす。クロハとオルベールに関しては触れることすらなかった。
「あの、もしお気に障ったのなら、申し訳ありません」
取り繕いながらも少し慌てた様子でルドルがやんわり謝罪した。横目で何度も父のほうを確認しながら。
「ああ、どうかお気になさらず。私が、少し驚いてしまっただけで」
エスカは両手を胸の前で小さく振って、ぎくしゃくし始めた雰囲気に収まりをつけた。
「して、要件は何だ。まさか再会を祝すために来たわけではあるまい」
「お前は今も七賢者なのか?」
「如何にも。今なお私がテペランの名を冠する七賢者だ」
センリの素朴な疑問に堂々と回答するビザール。つまり彼は大戦時の旧七賢者でありながら現七賢者でもあるというまさに生ける伝説。教徒から崇められるのも不思議ではない。
「それは都合がいい」
センリが喉の奥で嘲笑した。ビザールがわずかに眉を動かす。
「ここでお前を殺し、幾ばくか無念を晴らす」
尋常ではない殺気が蔓延る。瞬刻、迸る漆黒の煌めきが利き手を中心に渦を巻いて収束する。魔術師なら誰もが気づくこの異様な波動。例に当てはまらない特殊な魔術系統。
「構わん。いいだろう。殺したければ殺すがいい。できるものならな」
ビザールは軽く両手を広げて挑発した。息子のルドルは達観していてなぜか止めに入る気配がない。エスカたちは場の迫力に圧倒されて動けずにいた。
「ならお言葉に甘えて」
踏み込んだ直後に消える姿。次に現れたと思えば軽やかな身のこなしで男の心臓を一突きにした。情け容赦なし。周囲は思わず息を呑む。ルドルを除いては。
「……ぶ、ふッ……」
ビザールは口から大量の血を吐いたあとに痙攣した。間を置かずに身体が崩れ落ちていく。おどろおどろしい光景の中、最後には破壊の渦に呑まれながら一片も残さず完全に消滅した。
あっけない最期を迎えた生ける伝説。この先どうなってしまうのかとアガスティアの面々は固唾を呑んで見守っている。
何も言わずセンリがルドルへ目をやると、彼はどういう訳か諦めの表情で返した。
不意に。近くで扉の開く音がした。玉座のうしろにある小部屋から。
「――気は済んだか?」
出てきたのはなんと破壊したはずのビザールだった。
「どうした。死人でも見たような顔をして」
さきほどと何ら変わらぬ姿で戻ってきたその男はあっけらかんとした面構えで口もとを緩めた。これまで通り耳飾りが反応していることがただの替え玉ではない証。
「……なんだ、これは」
センリを筆頭にアガスティア一行は困惑している。
「知らないのか。この私が何と呼ばれていたのかを。まあ、無理もない。遠い昔の話だからな」
ビザールはゆっくりとした足取りのあとで玉座に着いた。本当の領主は自分であると誇示するように。
「不死身のビザール。それがテペランの名を冠する七賢者の私に与えられた異名だった」
治癒魔術の傑物。何度倒れようとも立ち上がる姿からいつしか人々は彼のことをそう呼んだ。
「当時はただの比喩だったが、私はついに死の概念すらも克服したのだ。だから何度殺されようとも同じこと」
「……禁術を使ってか」
その定義は魔術において主に甚大な代償を支払うものあるいは倫理に反するものとされている。死を覆すとなればその両方に該当していてもおかしくはない。
「どんなからくりかは知らないが、さぞかし悪辣なんだろうな」
「よく鳴く鳥だ。おかげで昔を思い出した。あの時も確かこんなふうに言葉を交え、そして一戦を交えた」
「口振りから察するに負けたのか」
「……いいや。決着はつかなかった。途中で邪魔が入ったからな」
彼の脳裏に甦った大戦時のとある記憶。思い出したくないものだったのか渋い目つきをしている。
「ふむ。試してみるか、あの続きを今一度」
周囲に溢れ、弾ける魔力の波。全身の毛穴という毛穴に針をねじ込まれる感覚がアガスティアの面々を襲う。ビザールが本気になる雰囲気を悟ってルドルが両者の間に割って入った。
「お待ちください。これ以上は時間の無駄かと。今はあの件がすぐあとに控えていますし。どうかこの場は」
「…………。……ふん、そうだな」
どうやら優先度の高い用事らしくビザールは出しかけた矛を収めた。虫けらを見る目つきで相手を見下しながら。
歴史的な邂逅は未だ遺恨を残したまま強制的に終了し、アガスティア一行は再び宿舎へと帰された。
本物の七賢者に終始圧倒されてエスカは半ば虚脱状態になっていた。それをクロハとオルベールが支えながら彼女の部屋へ。センリはそのまま自室に直行した。
「おかえりなさい」
扉を開けると部屋で待っていたセズナが声を出した。しかしその様子を見るなり、
「何かあったんですね……?」
すぐに空気を察して問いかけた。
「ああ。厄介なことになった」
「厄介なこと、ですか」
ビザールに会う機会を得たことは知っている。彼の反応から会えなかったのではなく会った時に何かがあったのだとセズナは思った。
「たとえばどんな? 私でよければお手伝いしますよ」
それを聞いて思わずセンリは鼻で笑った。そしてこう言った。
「なら、不死身の男の殺し方を教えてくれ」
思わぬ返しにセズナは硬直した。それから、
「……ごめんなさい。それは私にも……」
どこか憂いのある表情で目を逸らした。
「言わなくたって分かってる」
ベッドの上、乾いた上着が綺麗に畳まれている。センリはそれを羽織って調査用の手帳を手に取り、外出の準備をした。
「おでかけ、ですか?」
「ああ。街へ巡礼にな」
「私もついていっていいですか? このところずっとお留守番なので」
「……好きにしろ」
意味深長な間を置いたあとにセンリは答えた。セズナはスッと立ち上がり頭巾を被って身支度をする。本ばかり読んでいて暇だったのかもしれない。
「……どこかに必ず」突破口があるはずだとセンリは呟いた。
想像よりも遥かに大きく立ち塞がった鋼の壁。だが当然この男がここで諦めるわけがなかった。むしろ殺しがいがあるとすら思っている。
「遅い。置いていくぞ」
「あっ、待ってください。今行きますから」
今度は森のエルフを引き連れて、破壊の勇者の末裔は再びあの味のしない街へと出かけていった。必ず方法を見つけだしてそのはらわたをぶちまけてやる。そんな確固たる強い意志を瞳の奥に秘めて。
この世界に、永遠の人間など存在するはずがないのだから。




