ep.82 だからあなたは今もあなたでいられる
夕食の時間が終わるや否や周囲は慌ただしくなった。食事の後片づけをしながらやり残した荷造りや設営器具の撤去を進めている。出発が早朝と決まっているからだ。
野営地が寝静まった頃、センリは久しぶりにあの夢の続きを見ていた。
縄で囲まれた区域に踏み込んで狙った動物を追っている。視界の端に光明を捉えながらも無視して獲物の影だけを睨みゆく。
何度か矢を放ってみたものの見た目以上にすばしこくて当たらない。ここまでしてやられるとこちらも意地になって諦めるという選択肢を捨て置いた。
無我夢中で追いかけていると途中で開けた場所に出た。目の前に現れる人骨の塚。積み上げられた頭骨のそばで獲物がじっとこちらを見つめている。
絶好の機会。しかし弓を構えた矢先、獲物は塚のうしろへと回り込んでしまった。
急いで同じように回り込んだが、いない。足跡すら残さず煙のように消えてしまった。
不可解さに驚いて辺りを探していたその時、後方から1本の矢が飛んできた。とっさに身をよじったことで致命傷は免れたが、毒が塗ってあるのか意識が朦朧とし始めた。
霞ゆく視界で逃走を試みる。が、走ってすぐ振り返った時につまずいて転倒した。
「――ッ」
そこで不意に目が覚めたセンリ。疼く眼を眼帯の上から触って確かめる。
身を起こして天幕から顔を出してみるとまだ夜更けだった。気分転換に野営地内を歩いているとセズナに出くわした。てっきり本を返したあと集落に帰ったと思っていたセンリは彼女に声をかける。
「まだいたのかここに」
「……ええ、まあ。一度は集落に帰ったんですけど」
「何をしている?」
「気分転換ですよ。眠れなくて。あなたこそどうしてここに。変な夢でも見ましたか?」
「そんなところだ」
「なら私と一緒ですね。悪夢にうなされて息が詰まったので散歩を」
「エルフも夢を見るんだな」
「もちろん。できれば良い夢だけを見たいものです」
互いにどんな夢を見たのか知る由もない。かと言って踏み込むほどの興味もないので夢の話題は夜の風に流れた。
「彼女たち。あなたに好意を抱いているみたいですね。だからあなたのそばにいる私は妬みを買ってしまったようで」
センリはすぐにそれが誰のことか分かった。
「……実に不思議な話だ」
静かに呟く彼は目を閉じて過去を思い返した。
エスカ。因縁深きアガスティア王国の第二王女。その出会いは無慈悲で粗暴。直接手を下したわけではないと知りつつも裏切った側の人間として不当な要求をしてきた彼女を痛めつけた。
クロハ。クシャナ王国の元王女。暴虐の限りを尽くしていたところを公開私刑にした。複雑な事情はあるが一連の責任を取って国外追放処分となった。
嫌悪されるならまだしも好かれる要素などない、と彼自身は分かっていた。というよりは嫌われることにほぼ無関心だった。悲しくも悪意を向けられることに慣れすぎて、どこかで感覚が麻痺してしまったのだろう。
「さあな。若気の至りだろう」
目を開けて結論づけるセンリ。なぜかその答え方が無性に気になってセズナは彼の手にそっと触れたあと、心の水面へ飛び込んだ。
「――ッ!!」
瞬間、凄まじい感情の奔流に意識の全てが呑み込まれてしまいそうになった。溺れてしまいそうになりすぐさま水中から顔を出す。
「――はッ、はっ……」
息を整えてから暗闇に浮かぶ男の顔を見返す。内に底知れぬ混沌を抱えながらも彼は平然とした顔をしている。
「……たった一筋の光が押しとどめている。だからあなたは今もあなたでいられる」
「…………」
センリの脳裏によぎる遠い記憶の残滓。
『あなたはとても優しい目の色をしているわね』
エスカやクロハと同じ年頃の女が言う。聖女を彷彿とさせる立ち振る舞いの彼女は無邪気でいて包容力にも満ちていた。
そして死ぬ間際、彼女に告げられた最期の言葉が今でも彼の心に焼きついている。
それは奇跡のような慈愛であり残酷な呪詛でもある表裏一体の楔。獣に似た破壊的な憎悪を、慈しむ理性の鎖できつく縛りつける。
あの時。エスカも、クロハも、勢い余って殺していたに違いない。そこに一筋の光がなければ。彼女の面影がよぎるたびに鎖が獣を縛り上げるのだ。強く、捻るように。
「何を見たのかは知らないが、お前には関係のないことだ」
「確かにそうですけど。同情、と言うのでしょうか。心に深く影を落とす者同士の」
彼女自身も暗いものを抱えている。それが何か教えるつもりはないようだが。
「……もうじゅうぶん風に当たった」
飽きて去りゆくセンリの背中にセズナが声を投げる。
「まだ終わっていませんから」
その言葉の意味を知ることになるのは朝を迎えた時だった。
起床して全ての設置器具を撤去したあとに軽い朝食を取ってから出発の合図を今か今かと待ち構える隊員たち。
荷物をまとめたセンリがいざ隊列の定位置に向かうと、途中で視界の端からスッと人影が出てきた。セズナだ。
「おはようございます」
「どういうつもりだ?」
「言ったじゃありませんか。まだ終わっていませんからって。しばらくはあなたのそばで欠けた視野の補助をします。どうぞ何なりと」
「それはつまりアドラシオへ同行すると?」
「はい。だからこんな格好であなたの前に」
そう言ってわざとらしく一回転してみせるセズナ。ざっと見た限りでも旅支度は十二分に整っている。不足はないだろう。
「……勝手にしろ」
「勝手にします」
何を言ってもどうせ勝手についてくる。経験からそのことが分かっているセンリは彼女の意向に任せた。
センリが到着してすぐにエスカやクロハが同行者の存在に気づいた。
「あれ? セズナさん。どうしてこんなところへ……」
言いながらエスカは彼女の格好を見て理由を汲み取った。
「そなたも来るのかえ?」
やれやれといった表情で腰に手を当てるクロハ。
「ええ。お邪魔します」
「よいのか? そなたの大好きな花はしばらく食えぬぞ」
「別の何かで代用します。きっと他にも美味しいものはあるでしょうし。もしも飢えたらその時は……」
意味深にクロハの身体を触るセズナ。
「――っ!」
触られた本人は反射的にビクッと肩を震わせて後ずさった。
「わ、我を食っても美味しくないぞ」
「冗談ですよ」
からかわれていると知りつつも実際の本気度が見えないクロハはただただ手玉に取られていた。からかう立場の人間が何かの弾みでからかわれる立場になってしまうと弱い。
それをくすくすと笑いながらエスカが出発の合図を出した。
異種族のエルフを加えて止まっていた隊がいよいよ出発する。
先の補給地を越えて、目指す鋼の国へ。




