ep.47 変わった名だな
始め住民からは刺々しい奇異の目を向けられたが、腕の木札に目がいくや否や目を丸くして落ち着いた態度へと早変わりした。
時折、通行人が自然に接近して腕の木札が本物かどうか確認していたが、当の本人は意に介さず、といった様子で。
「なあ、そこの兄ちゃん」
「…………」
「あんただよ、あんた。黒髪の」
センリはふと足を止めたが「なんか買ってくれよ」と言われたことで客引きと確信。無視して進む。が、
「な、なあ、待ってくれよ!」
男が立ち塞がった。歳はセンリよりも少し下くらいだろう。
「邪魔だ、どけ。それとも秘宝の在り処を示した地図でも売ってくれるのか?」
「ああ、悪い。俺ここ生まれで両親も早くに亡くなってるから、そういう語りぐさみたいなやつないんだわ」
「なら何を売れる?」
「俺自身さ。体は鍛えてるから使い走りでも護衛でもなんでもいけるぜ」
「馬鹿馬鹿しい。聞いて損した」
「た、頼むよ! 子供も生まれたばかりなんだ!」
すがりつく男を振り払ってセンリは先へ進む。後方で落ち込む男が嘆く。
「はあ……やっぱり一発逆転に賭けるしかないか」
「一発逆転……?」
賭博の話だと思ったセンリは気になって振り返る。その反応から男のほうはセンリが同じく困窮している仲間だと思った。
「なんだあんたもこっち側だったのか。ならそう言ってくれよ」
男は気さくな態度で再び歩み寄ってくる。
「そうさ。この貧しさから抜け出す一発逆転の方法があるのさ」
「興味あるな」
持ち金のほとんどを古書の購入に回しているので常に金欠気味。なおかつ賭博を好むセンリがこの話を逃すわけはなかった。
「ここじゃ大きな声で話せねえから、とりあえず俺の家に来いよ」
「いいだろう」
男に誘われてセンリは彼の自宅へと赴いた。
「ただいまー」
そこは徒歩数分の街区内にある今にも倒壊しそうなあばら屋だった。その中から男の妻が現れた。
「おかえりなさい」そう話す彼女は男よりも若い。
「ただいま」
「うしろの方は?」
「ああ、こいつは俺の連れだ」
そう言って家の中に入っていく男。取り残されたセンリに男の妻が声をかける。
「あの、どうぞ中へ。狭いですが」
「邪魔する」
彼女の言う通り家の中は狭かった。廊下は1人分の幅しかなく、ところどころに隙間があり、そこから風が流れ込んでくる。雨風の雨だけならどうにかこうにか凌げるだろうか。
雰囲気的に居間と呼べる場所に男はいた。椅子に座ってくつろいでいる。
「とりあえず座れよ」
そう勧める彼に対して、
「名前くらい名乗ったらどうだ」
センリは立ったまま言葉を返した。
「ああ! すっかり忘れてた。悪かったな。ここにいるやつみんな顔馴染みだからいちいち名前を聞く習慣がないんだ。俺の名前はサンパツ」
「変わった名だな」
「父ちゃんも爺ちゃんもその前もずっと同じ名前さ。なんでも初代が勇者様の髪を切ったとかで名付けてもらったらしいけど。意味はよく分からん」
「確かにな」
意味は分からないがセンリはその名前に不思議と親しみを感じていた。
「――で、そっちは?」
「センリ」
「ふーん。あんたも変わった名前だな。……っと、例の話だったな。えっと」
ちょうどその時、赤子の泣き声が聞こえてきた。奥からサンパツの妻が赤子をあやしながらやってくる。それを今にも折れそうな一家の大黒柱が一瞥して。
「……このまませこせこと働いてもきっと一生こんな暮らしだ。だから怪しくても一発逆転の話にはもう飛びつくしかないんだよ」
「その様子じゃ何の援助もないみたいだな」
「俺たちみたいな非正規民には国からの助けもないし、地区外に出ても正規民のやつらに石を投げられるだけさ。まともな仕事になんかありつけやしねえ」
「だいたいの事情は分かった。そろそろ本題に入れ」
急かされてサンパツはばつが悪そうに頭をかいた。
「悪い。つい愚痴っちまった。その一発逆転の賭けってのはいわゆる貴族の隠れ娯楽だ。貧困区から人を集めて催しものをやる。もしもそこで楽しませることができたら大量の投げ銭がもらえるって話だ。誰も戻ってこられないって不気味な噂もあるけどな」
「趣味の悪い娯楽だな」
「だけどもうそれしかないからな。俺は行くぞ。なんたって出発は今晩だからな」
「今晩、か」
「お前はどうする? そっちも金には困ってるんだろ?」
金に困窮した仲間だと思われているセンリは彼に問いかけられる。
「……その醜い面を拝みに行ってみようじゃないか」
もはや金への興味というより、どんな顔をした連中がそんな遊びをおこなっているのかのほうが気になって仕方がないセンリ。
「よっしゃ! なら今晩ここに来てくれ」
サンパツは古びた紙の切れ端に描いた簡素な地図をセンリに手渡した。
「あなた、本当に行くつもりなの……?」
サンパツの妻は心配そうにしていた。言葉の節々から行ってほしくないことが伝わってくる。
「ああ。ちょっくら行ってたらふく稼いでくるよ。お前とこの子のためにも」
妻子の前で見せた彼の笑顔は第三者のセンリでも分かるほどに無理をしていた。
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その晩。地図を頼りにセンリが集合場所まで行くと、サンパツが待っていた。闇に紛れていてその姿ははっきりしない。
区内にまともな明かりはほとんどないので肉眼の慣れが必要だ。
「こっちだ」
そんなことは日常茶飯事なのかサンパツは気にも留めず先へ進んでいく。ぬかるんだ地面のピチャピチャという音だけが周囲に響いて、不気味さを醸し出している。
雫のような灯火が揺らめいて見えた。
「あれだ」サンパツが少し振り返る。
よく見れば大勢の人々が並んでいて、その奥には迎えの馬車があった。
「さて、魔が出るか蛇が出るか」
闇夜に浮かぶ馬車の呼び込み灯は大口を開けて餌を待つ化け物の目のようで、そこへ伸びる人間行列はさながら自らを食してもらうべく歩んでいるように見えた。
順番がやってくるや否や焦った様子の案内人が2人を押し込むようにして空いている馬車の荷台に詰め込んだ。中にはすでに人がいるのでぎゅうぎゅう詰めだ。座れるだけマシと考えたほうがいいかもしれない。
天井から垂れ下がった小型のランタン。ようやく互いの顔が判別できるほどの明るさの中でセンリが鋭い殺意を放つと周囲から人が離れていった。お気楽なサンパツを除いては。
「なんだかお前の周り空いてるな」
ちょっとした幸運が起きた程度にしか思っていないサンパツはセンリの隣で幸先が良いと嬉しそうにしていた。
ほどなくして馬車が動き始めた。破けた覆い布の隙間から変わりゆく景色が見える。性急に街を離れていく様子は夜逃げのようで。案内人の雰囲気からも察するにこの娯楽が危ない橋を渡る、世間からもひた隠しにしたいものであるということは明白だった。
「……どこまで行くんだろうな」サンパツが呟く。
「さあな。だが夜明けまでには着くだろう。いくらお忍びでも遠すぎると不便だからな」
センリの言う通り馬車は夜明けの直前まで走り続けて目的地に到着した。