ep.119 おやすみなさい
帰国の途に就く日になって城内は一層のこと慌ただしくなった。世間は未だ不安定で、司教が死んだことを知るや知らずや直下の兵たちは命令を遂行するべく街をずっと徘徊している。これも崇拝の功の為せる技だろう。
出発の際にルドルが見送りにやってきた。
「街を出て安全を確認できるまではしっかりと護衛をさせます。ですがくれぐれもお気をつけて」
「はい。そちらもどうかお気をつけて。到着次第すぐに文をお送りするので、今後の話はそれからということになります。もし要望があればその時におっしゃっていただければと。私にできることであれば支援は惜しみません」
「感謝します、エスカ王女。みなさんが無事に帰り着くことを祈ります」
別れの挨拶が済んだところでセズナが彼の前に姿を現した。
「…………」
「…………」
2人は言葉を交わさずに目で思いを交わした。セズナはうなずいたあと背を向けて今度はアガスティアの面々へ向き直る。
「あの、セズナさんは森へ帰られるんですよね?」
エスカが聞くと、セズナは首を振って否定を示した。
「いいえ。私も旅に同行します。元々そのつもりで森を出たわけですし」
その発言に周囲は驚いた。誰も知らされていなかった彼女の密かな決心だったからだ。森で別れる際にハヴァマは気づいていたようだが。
「すると、今後は我らアガスティア隊とともにあるわけですか。ふむ。これは頼もしい」
真っ先に返事をしたのは意外にもオルベールだった。エルフたちから授かった新たな力に謝意があるからか突拍子がなくとも歓迎の態度を示していた。近くにいた他の騎士団員も上に同じく。
一方でクロハはミモルの花を煎じて飲んだような苦々しい表情だった。しばらく付き合ってみて嫌いではなくなったものの好きでもないのでどうしたらいいか反応に困っているようだった。
「目的は何だ? 旅にでも出たくなったのか?」
センリが淡白に聞くと、セズナは今まで見たことのない穏やかな顔で、
「あなたのことがもっと、もっと知りたくて」
呪縛から解放された爽やかな声色のままに返した。今度は頬をほんのり紅に染めて、
「たった一度だけでは、その奥までたどり着けませんから」
扇情的な視線を彼に投げかけた。
2人の間に何かあったのだと察する乙女たち。当然ながら内容を聞くのはためらわれた。
「悪いが、もうこりごりだ。目の次に、耳までくれてやるつもりはないからな」
意外にもセンリはため息をついてくたびれた表情を見せた。
親密な交渉の中でのエルフの高揚した声は特殊な音波を発するとされている。同種なら興奮を高めるための好材料になり得るが、こと異種間においては耳を劈く金属音のようだとその界隈ではしばしば囁かれていた。
反応を受けてセズナはむっとした顔になり拗ねてしまった。顔を背けたがやっぱり気になって彼の顔を窺う何ともいじらしい振る舞い。異性を騙す仕草を自然にこなす強敵の出現に女たちは恐れおののいた。
「のう、主よ」
嫉妬を含んだ声の調子でクロハが問いかけると、
「馬鹿やってないで急ぐぞ」
センリは一息吐いて後頭部をかきながらさっさと馬車のほうへ歩いていった。それを追いかけるクロハ。じっと見送るセズナ。そして余裕を持って静かに笑んだあと隊に指示を出すエスカ。
「行きましょうか」
いよいよアガスティア隊が動きだす。護衛団を引き連れてまずは街から脱出するために。
「お達者で」
たった一言。去りゆく馬車に向けてルドルが言った。居心地の良い森を抜け、異種族に交じって冒険の旅に出ようとする勇敢な姉に向けて。
「――さあ、私たちも馬鹿をやってないで急ぎましょう。やることは山積みですから」
男の言葉を借りてルドルが振り返れば、彼を心から頼りにしている部下たちがくすっと笑って返事をした。
###
敵に知られぬようこっそりと街を抜けたアガスティア隊は止まらずに行進し、エルフの森方面ではなく、港方面へと進路を取った。内陸部よりも情勢が安定しており、流行り病がそれほど広まっていないとの情報を得たからだ。
森の呪いも広大な海の前には無力でしかなく、からっとした潮風に流されてしまうのかもしれない。
「されば今度は海を渡るわけですか」
ガタゴトと揺れる馬車の荷台でオルベールが言った。今この場にいるのはセンリとエスカだけ。クロハやセズナは万が一に備えて前後の馬車で待機している。たった3人のみの空間。初期の旅を思わせる懐かしい組み合わせだった。
「ええ。当分は陸路ですが、港からは船で海路を。本来の帰路よりもだいぶ遠回りにはなりましたが、紛争に巻き込まれることも病に脅かされることもなく、アガスティアまで進めるはずです」
何度も確認したのだろう。エスカが自信を持って答えると、
「本当に大丈夫なんだろうな?」本を読みながらセンリが問うた。
「急ぎではありましたけど、ルドルさんが証明用の書状をくださったので大丈夫かと」
船はルドルにお願いして事前に手配してもらっていた。が、現地に着いてみないことには分からないのがこの世の常。
「ではここで一つ、優雅な船旅と洒落込みましょうか」
「優雅になればいいがな」
オルベールのそれが冗談だと分かった上でセンリは皮肉交じりに返した。
「これまでずっと陸路でしたから正直なところ少し楽しみでもあります。船の旅は」
光り輝く蒼の海を想像しながらエスカは内心わくわくしている様子。
「――しかし、この隊もだんだんと変わってまいりましたな。クロハ殿に加えて、エルフのセズナ殿を迎え、騎士団にも新顔が増えました。こうなれば次もまた新しい誰かを迎え入れたいところではあります。たとえば前衛を任せられる屈強な戦士のような」
領主イーロンたちとの戦いで戦力不足を痛感したアガスティア隊。強大な敵対勢力を前にするとセンリ抜きでは厳しい状況へ追いやられてしまう。
「屈強な戦士……。となれば、セリアンあたりか」
獣人の種族、セリアン。その産声は戦いの雄叫びとされ、エルフが訓練を受けて戦士になるならば、セリアンは生まれながらにして戦士である。強靭な肉体を持ち、戦闘に関わる能力やセンスが非常に高い。実はこれまで何度も見かけたことがあった。
「おとぎ話だと、かつての勇者たちは生まれも身分も種族も問わずに多種多様な仲間を引き連れていたとあります。もしかしたら、この隊もいつかそういうふうになるのかもしれませんね」
期待が膨らみ、エスカがふふっと笑うと、センリはパタンと本を閉じた。そして傍らの古びた画帳を手に取った。七賢者ビザールが残した歴史の糸口。
「…………」
勇者たちに物語があったように、魔族の王にも物語があったはずだとセンリは思う。でもそれはおそらく闇に葬られた。世界にとって不都合なものだったから。
旅の中で同志を募り、ともに戦って魔族の脅威を取り払い、人々を救う。この道はかつての勇者たちが辿った道に近しいと言えるだろう。それはつまり同じ末路を辿ってもおかしくはないということ。
「センリさん? どうかされましたか?」
「……なんでもない」
「そうですか? あまり顔色がよろしくないみたいですが」
「少し、揺れに酔ったのかもしれない」
「そういう時は、ちょっと横になるといいかもしれません。どうぞ、こちらへ。私の膝を枕にしていただければ」
言われるままセンリはエスカの膝に頭を乗せてみた。人肌の柔らかい感触が後頭部を浅く包み込む。見上げた先には、どこか満足げな表情の彼女がいた。
その実、歴史は繰り返すのかもしれない。不完全な人間だからこそ。たとえその行く末が悲しく哀しいものであったとしても。
「気分はどうですか……?」
「……悪くない。このまましばらく眠らせてもらう」
「はい。じゃあ、おやすみなさい」
けれど今度はきっと、違う結末が見られるはず。
『天地に根差す鋼の呪縛』編、完結。
まずは遠路はるばるここまで読んでくださった、堅固な鋼の忍耐力を持っているであろうあなたに感謝を。
その中でも温かい感想、ブックマークや評価をしてくださった方々に最大限の感謝を。とても大きな励みになっています。
次の章は現在執筆中で、今回の章と同様に仕上がり次第、投稿していきたいと思います。
内容としては以下のこのような要素でお送りする予定です。
航海の旅。不穏な影。聖地。大展望台。獣の戦士。全身鎧。魔族。戦争。勇者(?)。王の残滓。
乞うご期待。
最後に。改めてここまでお読みいただきありがとうございました。
たくさん応援していただけたら嬉しくなって、そのぶん筆が踊るようにスイスイ進むと思います。
それでは、また。