ep.113 何もしてくれない神様なんかよりも
エスカにじっと見つめられてセンリは言葉を返す。
「別に構わんが。あいつには俺から声をかけておく」
「だそうです」エスカが視線を戻す。
「……感謝します。日程はのちほどお伝えいたしますので、どうぞお待ちください。他にご用件がなければ、お部屋のほうでごゆっくり、とはいかないでしょうが」
ルドルは終盤苦笑いをしながら、
「疲れた体をお労りください。こちらもできる限りのことはさせていただくつもりですので、どうか」
配慮を兼ねた遠回しなお開きの合図を出した。
ふっと緊張状態が解けたことにより、溜め込んでいた疲れが溢れ出したアガスティアの面々は暗黙の了解で帰り支度をした。そこでルドルがハッとして声を上げる。
「あっ、最後にもう一つだけ。そこのあなたに」
「む? 我のことか?」
彼が呼び止めたのは意外にもクロハだった。
「やはり、あなたも私と同じだったんですね。前々から気にはなっていたのですが、私よりも薄いせいか判別に困っていました。ですがこうして今、ようやく分かりましたよ」
「……まこと失礼ではあるが、貴殿の申しておる意味が我には分からぬ」
文字通りクロハはポカンとしている。その顔を見てルドルは何かを察した。
「分からないのならそれで結構です。ですが、これだけは覚えておいてください。あなたは望まれて生まれてきたことを」
「……おおう。そうであると我も信じておる」
ぎこちない表情だがちゃんと答えたクロハに向けて、ルドルは同じくぎこちないながらも口もとを緩めて何も言わずにうなずいて見せた。
これにて会合は解散となり、各々が用意された部屋へと戻った。今回はセズナにも部屋があてがわれたが、当人は不満を見せるわけでもなく満足しているようにも見えなかった。
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国を発つまでまだ日にちがある。腰を据えて本を読むよりも街の様子のほうが気になって、センリは城からこっそりと抜け出した。
街に出てすぐ、ビザールと鮮烈な攻防を繰り広げた戦場が視界に入る。日が浅く未だにくっきりとその大きな爪痕が残されていた。溶解して腐臭を放つ嘆きの塔を中心に、大地の波に巻き込まれた家屋や建物の一角が顔を覗かせている。
地区を隔てていた壁の一部が崩れたことによって色の違う正装が入り交じり、現場はひどく混み合っていた。
「……神よ。健やかなる心をかの地へと導きたまえ」
瓦礫の前で跪いて祈りを捧げる大勢の教徒。逝った被災者たちが極楽へ到達できるようにと最後の一押しをしているようだ。
その傍らでは復興作業が淡々と進んでいて、終末図と遜色ない凄惨な光景にもかかわらず比較的落ち着いた態度で接している。こういう時、心に固い地盤があると地滑りを起こしにくくなるのだろう。そこに他の一般的な国家との違いが見て取れた。
「――お兄ちゃんもお祈りしてっ!」
そんな様子をただ眺めているセンリに向かって男の子が怒った声を投げる。
「悪いな。俺は教徒じゃないからお祈りはしない」
白髪眼帯の男が振り向くと、彼は睨まれたと思って肩を震わせた。
「お祈り……しないの?」と、明らかに声の調子が下がっている。
「ああ」
「どうして……? お祈りしたら、きっと神様が奇跡を起こしてくれるのに……」
「……神様か。お前たちがその手に奇跡を祈るというなら」
センリが右手を前に出すと、向こうの巨大な瓦礫群が独りでに浮き上がった。
「俺はその手で奇跡を手繰り寄せる」
指を横へ滑らせると連動して瓦礫が宙を移動し、何もない場所に落下した。
「おおっ! 祈りが通じたぞっ!」
「ああ、神様っ! ありがとうございます!」
そのおかげで瓦礫群の下に埋もれていた人々が次々に救出されていく。神ではなく人の手によるものとも知らずに。
手近な奇跡を見せつけられた男児は尊敬ではなく畏怖の眼差しでセンリを見上げる。初めて教典以外の書物に触れたような顔をして。
「神様じゃなくても奇跡って起こせるの……?」
「起こそうと思えばな」
「じゃあ、僕もいつかあんなふうに?」
「神様ばかりに頼らず、自分の力で頑張ってみせろ。そうすればいつか奇跡は向こうからお前のもとへやってくる」
「……お祈りするだけじゃダメなんだ」
新しい扉を開いた。男児はそんな顔をして瓦礫のほうへ向き直り、駆けていった。しばらく様子を見ていると、彼は自分から散らばった瓦礫の掃除を始め、合間にできる範囲で大人たちの手助けをしていた。
センリはそれを静かに見届けたあと、今度は青年団の姿を探した。
以前訪れた集会所はすでに放棄されていて空っぽ。追跡防止のために彼らの形跡はほとんど消されていた。
居所が掴めずに新解釈派の教会を巡っている途中で偶然顔見知りに出会った。
「あなたは……」
そう言って目を丸くしたのはヌヴェルだった。隣に館から救出されたマルシャもいる。
「あいつはいないんだな」
「ルプレのこと? なら療養中だけど……。それよりもあなた生きてたのね。驚いた」
「不死身だからな」
なげやりな返しにヌヴェルは小さなため息をつく。
「嘘ばっかり。化け物退治に行ったって聞いたからてっきり死んだのかと……」
「俺が今ここにいるということは、そういうことだ」
「つまり倒したってことね。でも結局、その化け物って何だったの? 街をあんなふうにしたのと同じようなやつなんでしょ?」
どうやら彼女は化け物が司教だということを知らないようだ。それともただ疎いだけか。
「やつは……人の皮を被った悪魔、いや悪神だった」
センリの言葉に反応してマルシャが「……イーロン様」と呟いた。
「……マルシャ。うん。そう。私も未だに信じられないよ、まさか領主様が過激派に属していたなんて……」
別の町でアガスティア隊を支援していた時に彼らは『イーロン様が逝った』との通達を小耳に挟んだのだ。戦っていた敵集団の中から。
彼女たちはイーロンが過激派集団の人間と捉えていて、館の主だったことは知らない様子。やはりルドルは本当のことを話していないみたいだ。
事実は小説よりも奇なり。言ってしまえば虚構のほうがずっと納まりが良く、事実のほうが逆に現実味がないのだから。彼らが前者で納得していても不思議ではないだろう。
「領主様は亡くなり、司教様は行方不明。そして頼みの綱の司祭様も」
「結局は関係者だった。もう誰も信じられない……」
マルシャは両腕で自身の身体を抱いた。館での忌まわしき記憶が甦って小刻みに震える彼女をヌヴェルが優しく介抱する。悪夢こそ覚めたが、その余韻が冷めるまでには相当の長い時間を要するに違いない。
「他の誰も信じなくていいから、私のことだけは信じて」
「……うん」
「安心して。これからはずっとそばにいるから」
「……うん」
2人だけの世界。挟む言葉などあるわけもなくセンリは何も言わず背を向けた。そのまま立ち去ろうとした時、
「待って。ルプレに会いたいんでしょ?」
ヌヴェルが呼び止めた。センリは足を止めて振り返る。
「ごめん。ちょっと待ってて」
「……分かった」とマルシャ。
ヌヴェルは壇上に向かい、置いてあった筆記具を手にした。何かを書こうとしているようだが紙が見当たらない。
「…………」
ふと視界に入った教典。少し悩むそぶりを見せたあとで彼女はそれを手に取った。開いて頁をめくっていく。
手を止めたその頁には子孫繁栄に関する事柄が記されていた。婚姻はおろか、たとえ恋愛であったとしても同性同士の関係は決して認められない、と。
ヌヴェルはその頁ごと勢いよくちぎり取って雑記用の紙として利用した。簡素な地図とともに住所らしき記号を書いている。
「大事な教典じゃなかったのか?」
「いいの。ここ、必要ない部分だから」
彼女は馬鹿馬鹿しいと言いたげな顔をして、紙をセンリに手渡した。
「ここに行けば会えるわ。用が済んだら捨てずにちゃんと燃やしておいてね」
「ああ。分かっている」
「それと……ありがとう」
意外な言葉にセンリは思わず眉を上げた。
「最初はただの怪しいやつだと思ってたけど、いえ、今でもそう思ってるけど。私たちを助けてくれたこと、すごく感謝してる。あなたがいなければルプレは死んでいたし、マルシャもここにはいなかった」
「ただ利用しただけさ」
「それでもいい。何もしてくれない神様なんかよりも、私にとってはあなたのほうがよっぽど神様してたわ」
言って綻ぶヌヴェルの顔。その奥でマルシャも温かな眼差しを彼に向けていた。
「…………」
そういうものに慣れていないセンリはどこか居心地が悪くなり、紙を握り締めて無言のまま立ち去った。