ep.107 とぼけたふりはもういい
あのあとセンリたちは街外れの協力者を訪ねた。それは意外にもエルフの男だった。話によれば掟を破って森に帰れなくなり、街に隠れ住んでいるとのこと。
何の掟を破ったのかについては一切話さなかったが、森に行くために必要な物資を提供してもらった。それを運ぶ馬車の荷台も。
ルドルとの関係を尋ねると、彼は共犯者だと答えた。それをセズナが問いただすと彼は本当のことを喋った。水面下で諜報工作をして司教の意に逆らっていたという。
驚くべきことに彼は元フォルセットの構成員で、庇護のもと匿うことを条件に仕事を引き受けていた。聞けば館の最初の襲撃を斡旋したのも彼だという。
準備が整い次第、いざ街を出て森へ向かった。時間に余裕がなく速度も必要なことから馬は魔術で作りだした。ルドルが御者として使っていたものと同じ。森まで一直線に、御者の任を交替しながら手綱を引く。
道すがらセズナが話した。弟から託されたものを。単語だけ聞かされていて意味が分からなかった『素体』と『成熟体』のことについても明らかになる。
ビザールがその意識を移すには融和のために血縁者の肉体が必要だった。ところが魔術師としての限界は器に大きく左右される。それ故に使える魔術が制限される場面もあったという。
それは生命の神秘か、あるいは神の領域か。いくら七賢者の血縁といえども常に優れた魔術の才を持って生まれるとは限らなかった。むしろ退化していくことに焦りを覚えたビザールは彼ならではの新たな方法を編みだした。
まず魔術師同士を掛け合わせて『素体』と呼ばれる生命を創り、そこから成長させて選出した者を血縁者の肉体と交配させた。手間がかかるがそうすることで質が劇的に改善され、辛くも納得のいく『成熟体』を比較的高頻度で生産できるようになった。
詰まるところ館とはビザールのための人間牧場だった。耳飾りが反応していたのもそれぞれが血を引いていたとすれば辻褄が合う。
知ってより嫌悪の感情が湧く不死身の仕組み。ここまで腐っているなら快く手を下せるとセンリはある意味心の内で喜んでいたようだが。
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そうして森に到着すると、踏み入ってすぐに異変が飛びかかってきた。辺りに瘴気が充満していて、前は見かけなかった魔物が跋扈している。
「……様子がおかしい。まずは集落へ急ぎましょう」
不気味に暗がる森。光明は消え、植物はしおれて、動物は逃げ惑う。花畑を通れば大事なミモルの花が不憫にも枯れていた。
かつて訪れた集落はまさに厳戒態勢だった。取り囲む侵入避けの柵はさらに厚く刺々しくなり、武装した戦士たちが目を光らせている。
「セズナっ!」
そう声を上げて駆け寄ってきたのはハヴァマだった。
「ハヴァマ……! 無事でよかった」
「お前こそ。無事で本当によかった」
再会を祝して2人は抱き合い、互いに背中を軽く叩いてから離れた。
「フィヨルダ様は?」
「ご無事だ。だが、こんな時に陣痛が始まってしまった」
喜ばしい不運にハヴァマは細いため息をつく。
「何があっても守り抜くのよ」
「当然だ。中へは畜生の1匹も通さん」
「でも私たちは通してよね。ヴァフスルー長老に会いたいの」
「長老に?」
「ええ。……そういえば、あなたは彼の後継者じゃなかった?」
「正確に言えば筆頭候補としてだが。まあ、このままいけばそうなるだろう」
「あなたもついてきて。いいから」
有無を言わせずセズナはハヴァマを同行させた。
集落の中に入り、長老を探す。エルフたちは未曾有の出来事に戸惑いつつも、迎撃体制を整えた上で普段通りの生活を送るよう努めていた。こういう時に結束の強さが遺憾なく発揮される。
肝心の長老は住まう家屋の表に出てじっと空を見上げていた。
「長老」ハヴァマが声をかけると彼はゆっくり振り向いた。
「ヴァフスルー長老。どうかお答えください。……私たちと、七賢者の男が結んだ密約について」
一瞬のためらいのあとセズナが意を決して言うと、横でハヴァマが怪訝な顔をした。
「……はて。何のことかのう……」
ヴァフスルーは目をすぼめて思い出すそぶりを見せた。
「思い出してください。彼からの手紙を私にくれたのはあなただった」
「……ううむ。近頃は思い出そうとするだけでも疲れるわい……」
「この森に彼の本体が眠っているとしたら禁足地しかない。その番人はあなたです」
「……疲れた。ちょっとばかし、休ませてもらおうかのう……」
まるで会話にならない。ヴァフスルーはもたもたと体の向きを変えて、よたよたと家屋のほうへ歩く。
センリはおもむろに小石を拾って投げた。常人なら即死する程度の強さで。
後頭部に直撃する寸前で長老の手が機敏に動いたと思えば、物の見事に小石を捕らえていた。
「とぼけたふりはもういい。繋がりがあることは分かっている」
「…………」
センリが背中越しに言い放つと、ヴァフスルーは握った手を下ろして開いた。小石が滑り落ちて軽い音を立てる。そこから同一人物とは考えられぬ軽やかな動作で振り返った。
「……まさか、このような日が訪れるとは」
思わなかったと言いたげな眼差しでセンリたちを見据える。
「どういうことですか、長老」
いよいよ黙っていられなくなったハヴァマがつい口を出した。そうするとヴァフスルーは一呼吸置いて話し始めた。
「儂らは媚びへつらい、特恵を享受していた」
「なん、ですと……?」
「森をひとたび差し出したのだ。我々には手を出さないと約束する代わりに。そして全面的に服従を誓うことで、見返りに森で暮らし続ける権利を得た」
それを聞いたハヴァマは怒り心頭に発する。責任感の塊のような彼は根本のところから刈り取られたような気分になった。握った拳を震わせながら強く前に出す。
「どうしてそんなことを……!?」
「昔のことだ。お前が生まれるよりもずっと前の話になる。ある時ふらりと現れては、この森をもらう、と脅しつけてきた。抵抗した者は瞬く間に殺され、償いとして主食であるミモルの花も全て枯らされた」
ヴァフスルーは淡々と告げる。あの男の所業は想像に難くない。
「このまま抵抗を続けても皆殺しにあうか餓死するかの二択だと案じた当時の女王様が秘密裏に取引を持ちかけられたのだ。元よりみなが納得するとは思わなかったのだろう」
自尊心が高いとされるエルフ。全面降伏を受け入れるくらいなら玉砕を選ぶ性分なのは火を見るより明らか。それを危惧して密約としたのなら合点がいく。
「真実を知るのは女王と王配、そしてごく一部の者だけ。儂らは先方の要望により禁足地の管理を任された。……その施しとして鋼の産物や生きたヒトを寄越してもらいながら、貴重な素材や食材を独占していた」
集落にあった鋼鉄製の設備はアドラシオ産だった。そうと知るや知らずや日頃からみんな使っていたようだが。
「フィヨルダ様やマズル様はこのことについて何か?」
「まだ知らぬ。正統な継承ではなかったからのう。時が来たら伝えるつもりだった。それに合わせる形でお前に跡を継がせ、隠居する心積もりもあった」
「……何が後継者だ。そんなものを私に引き継がせようとしていたのか……!」
ハヴァマは今にも殴りかかりそうな状態。
「いずれ理解すると思っていた」
「ふざけるな……! 我らの誇りはどこへ消えた……!」
たとえ生存戦略のためであったとしても、結果的に黙って契約を交わし、告げ知らせることなく内輪で既得権益を貪っていた事実は残るのだ。結束が固いからこそ、裏切られた時の衝撃や怒りは計り知れなかった。