ep.104 剣戟ノ掌
事態は急速に動く。ビザールの姿が消え、停止していた波が息を吹き返した。
視界が暗転。そう感じられたのは気づけば接近していた巨体が日の光を遮っていたからだった。そこから繰り出される渾身の一撃によりセンリは弾き飛ばされる。
魔術障壁越しに覚えた痛み。防御した腕の骨が確かに軋んだ。
体勢を整えて着地しようとした時、すでに背後から迫っていた土塊の大波によって呑み込まれた。すかさずビザールは胸の前で両手を合わせる。すると一点に向けて全ての波が押し寄せた。一重、二重、三重に続々と覆い被さっていく。
「母なる大地へ還るのだ」
ビザールが頑と告げる。生きたまま土葬された男の体に何重もの圧力がかかった。完全に押し潰されるのを防ぎつつ冷静に機を見計らうセンリ。不意に操作が緩んだ瞬間を狙って一時的に波の所有権を奪い、横穴を開けて脱出した。
波から飛びだしてきたセンリに向けて、ビザールは下から上へ手をはらって鋼鉄の如き風刃を飛ばした。衝撃波による爆発音が幾度も鳴り響き、進路上の空と地を抉り取る。
初撃。センリは身をよじって回避した。その後、連発される同質の刃を華麗に転回しながら避けていく。爪先が触れただけでも腕ごと持っていかれる破格の威力。休ませる暇は一分も与えてくれない。
合間に波が再始動し、足場の大地そのものがうねりを打った。
須臾にして気を取られたセンリ。避けた直後に反転して戻ってきた狡猾な刃により、
「――ッ」
右腕が肩先から断ち切られた。されど焦らず逆の手で回収し、
「――堕天に告ぐ。鍛造せし復仇の矛、向けるは天獄。受けるは聖鉄の裁き」
落ち着いて攻撃をかわしながら相手を視界に捉えて詠唱した。眼帯に血が滲み、隙間から垂れ落ちる。
そして、ここぞという好機に急停止。切断された腕を口に咥え、残った手をビザールに差し向けた。
「――ッ!」
獣の如く唸れば、瞬間的に展開される大きな魔方陣。その中心から光り輝く巨大な破邪の剣が撃ち出された。
気づいたビザールは威力減退のために風刃を放ち、回避行動に移る。ところが仇討ちは必ず達成すると言わんばかりに、剣が弓なりに進行方向を変えて急加速した。
想像を上回る機敏な動きに七賢者は虚をつかれた。出っ張った腹に剣が突き刺さり、勢い止まらず遠くへ拘引する。
その間にセンリは積み上げられた瓦礫群の裏に身を潜めた。そこで切断された右腕を治癒魔術で接合していると、向こうからセズナが瓦礫を乗り越えて駆け寄ってきた。
「私にやらせてください」
セズナは指先から魔術の糸を垂らし、それで傷口を丁寧に縫合した。外側だけでなく内側も。迅速に繊細な感覚が戻ってくる。
「ルドルは花を枯らしに行きました」
彼女の言葉通り、弟はまだ鼓動している花に止めを刺していた。儚く萎んで全ての花弁が一様に枯れ果てる。併せて清めの油を撒き、退魔の火を放った。
「もう一度、アレを倒せますか?」
「ああ。だが何を考えている?」
「次を倒せばしばらくは時間が稼げるはずだと弟が言っていました。その間に急いで『本体』を叩きにいきましょう、とも」
そう言ってセズナは腕の接合部を軽く叩き、治療が完了したことを伝えた。
「……やはり本体がいたか」
ずっと考えていた不死身のからくり。どこかに本体がいることは最初から疑っていた。分からなかったのはその居場所。人目につかず安定した環境であることはまず間違いないと睨んでいた。
「それはどこに」いる、と言おうとしたが間に合わなかった。
ビザールが戻ってきたのだ。腹から引き抜いた剣を手のひらの中へ圧縮しながらズブズブと沈めていく。
「弟を守れ。ここで死なれては困る」
センリはそう言い残して瓦礫群の裏から表へと姿を現した。刹那、ビザールは手のひらから血色に侵蝕された剣を目にも留まらぬ速さで撃ち出した。
センリはとっさに右手を前へ。掌から爆発的に溢れ出した漆黒の煌めきが周囲の音を消し去り、空間を歪める。そして向かってきた剣を存在ごと破壊、霧散させた。
「一気に方をつける。――伝承刀・影打」
唯一残された勇者の印。全てを破壊する異次元の刃を解き放った。腕を取り巻く崩壊した魔素の残滓が解けた包帯のようにたなびく。
センリは踏み出して接近を試みた。言うまでもなくその危険性を理解しているビザールはむざむざ当たりにいくような真似はしない。寸前のところで掌から逃れ、一定の距離を保ちながら反撃の機会を窺っている。力のことを理解しているのかいたく冷静だった。
「どうした。届かぬか」ビザールが冷笑する。
短い力の有効距離。やはりどうしてもあと一歩が足りない。このままではじり貧に陥るというのにセンリの目は鋼の如く揺らがなかった。
苛烈な戦いの中で先に勝機を見つけたのはビザールだった。露骨な好機は無視して今なら確実に殺せるという時機に今、仕掛けた。
しかし予測が一転した。殺す間際、漆黒の煌めきが掌から急速に伸びたのだ。
「――剣戟ノ掌――」
わずか一瞬だけ剣状に象られた破壊の力がビザールの首もとから斜め下に走った。
一刀両断。剣筋の残像を描く。切断面から矢継ぎ早に蝕む破壊の渦に呑まれて、
「そん、なッ……はッ……ずは……」
驚く化け物の身体が一気に崩壊し、次元の彼方へと消滅した。
「むざむざとそれを置き去りにしていたと思うか?」
センリは相手の言葉をそっくりそのまま返して手をはらった。
力の形状変化。使えるのは夢現のごく短い間だけ。あえて使わずに温存していた奥の手だった。
祖先を知るビザールはその本来の力が失われていることにとうに気づいていた。戦いの最中にも見定めて、もはやそれしか使えないと判断していた。だからこそ、掌の届く範囲にだけ注視していて、まんまと逆手に取られたのだ。
センリは破壊の力を取り払って踵を返した。先にセズナとルドルが待っている。急いで合流してから詳しい話を聞く。
「まずはご無事で何より」
ルドルが生還を喜ぶ。決断したからか、迷いのない振り切った顔をしていた。
「いいから本題に入れ。もたもたしている暇はないんだろ?」
「はい。これからすべきことは父の本体を倒すことです」
「どこにいる?」
センリが問うと、ルドルははっきりとこう言った。
「『森』です。姉が住むエルフの森にいます」
「森だと……?」
まさかの答えにセンリは驚いた。
「ですが詳しい場所は知りません。現地に行って探し出すしか方法はないでしょう」
「だと、時間との戦いになるな」
「ええ。放っておけばまたアレが復活します。それに父のことです。対策を施していないわけがないので森に行けば間違いなく何かが起きるでしょう。唯一の安心材料はいつどこで蘇っても主たる意識は常に1つということです」
つまり幾千人のビザールを同時に相手にすることはない。それは最初に殺した時から薄々分かっていたこと。事実として人型の時も化け物の時も現れるのは常に1体だった。
「私は蘇生の器となる『成熟体』を潰して回り、さらに時間を稼ぎます。知っていることは全て姉に話したので移動中に彼女から聞いてください」
「分かった。あと、まだ手もとに使える兵は残っているか?」
「兵、ですか。ほとんどは父の支配下で私が動かせるものはそれほどいません。しかもこの状況で信頼できる者となればかなり限られます。何故に?」
「アガスティア隊は今、近隣の町に潜伏している。が、もうすぐ追っ手に嗅ぎつけられるだろう。撃退するだけの力はあるはずだが、加勢はあったほうがいい」
察しの通り、館の襲撃に合わせてアガスティア隊は計画的に避難していた。何気ない街の散策も避難経路を確認する作業の一環だったのだ。折を見て合流するつもりだったが現状それが困難になった。だから彼なりに案じたのだろう。
「分かりました。信頼できる者たちに声をかけてみます。他にも可能性がある者たちへ」
ルドルは言伝や正確な場所を聞いてから手持ちの紙に書き記した。
「気をつけて」
「分かってる。姉さんも気をつけて」
別れの挨拶を交わしてルドルはその場を離れた。置き土産に街外れの住所が走り書きされた紙片を残して。彼が言うには、そこに住むのは信頼の置ける人物で大なり小なり手を貸してくれるはずとのこと。
「私たちも急ぎましょう。まずは協力者のもとへ」
セズナが言った。センリは小さくうなずき、彼女とともに街外れへ向かった。
決戦は、エルフの森にて。