ep.99 お前もか
援護のために館側の人間は崩壊した箇所へ向かう。それを好機到来、言うなれば神のお告げだと受け取ったフォルセットが攻勢に出た。気を取られて油断した彼らの命を矢継ぎ早に刈り取っていく。
狂信者集団の恐るべきはその精神力。仲間が倒れても全く動じず。どれだけ痛めつけられようとも立ち上がり、目的のためなら人の尊厳を踏みにじることもいとわない。現に目の前で見せしめのための行為がおこなわれている。
捕まれば一巻の終わり。ある者は原形を留めぬほど八つ裂きに。ある者はじりじりと火炙りに。またある者は首に縄をかけられて引きずり回され、他にも内臓抉りと称して解体されていく者の絶叫がよく響いていた。
「あいつら、正気じゃねえ……!」
「クソッ! 話が違うじゃねえかよッ!」
「もう片方のやつらを誘導してあいつらにぶつけろッ!」
「狂信者どもめ……ッ!」
彼らの意図した通り、館側の士気が一気に落ちていく。嬉しい誤算。けれど今度はフォルセット側が館内部への侵入を試みる。中にはまだルプレタスやヌヴェルたちがいるのだ。このまま顔を合わせれば同じ目にあうかもしれない。
「セズナッ!」
センリは彼女の名を呼んだ。そして片手で荒く手招いた。ついてこい、と。
庭の掃除はあらかた落ち着いた。潮時と見てこれから館内部に侵入し、ルプレタスたちと合流する目算。
気づいたセズナが糸を断ち切って応える。その間センリは戦場を走りながら合図の指笛を高らかに鳴らした。一緒に戦っていた青年団が戦闘を中断して一斉に駆け寄る。
揃って館のほうへ。正面玄関の扉はすでに壊されている。
センリは落ちていた短剣を器用につま先で蹴って弾き上げ、足を止めることなく手にした。倒壊の危険がある内部では下手に大きな魔術は使えない。
「まだ戦えるな」
服の裾で血をぬぐい、指先で遊んで感触を確かめる。扱い慣れた短剣は手によく馴染んだ。
「遅くなりました」
直前でセズナが合流してそのまま館の中へ。当然内部の地図などないので魔力の波動や勘を頼りに進むしかない。センリが先導して他がついていく。
近代的な外観からは想像もつかない古雅な内装。基礎は木造で何度も改修・増築した跡が見られる。人々を収容するための小部屋がずらりと並んでおり、その大部分はすでに扉が開け放たれて空になっていた。
他にも薬物が保管された部屋や拘束具の置かれた部屋、すえた体液の臭いがする部屋もあった。どれも年季が入っていて館の長い歴史を感じさせた。優に百年は経っている。
通りすがり出会った敵を倒しながら青年団が残された人々を救出する。そのたび挟み込むようにして列を組み直してから彼らの安全を確保した。
「早くしろ。もたもたするな」
昔のセンリなら紛れもなく独善的に顧みない状況。だが今回は自身の計画に参入させたとあって、捕らわれた人々を助けたいという彼らの思いにも相応に耳を傾けていた。
「行くぞ」
あるいはエスカが感じたように少しずつ変わってきているからだろうか。
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続けて探索していると、窓の外に青年団の姿が見えた。救出した人々を連れて裏手から林のほうへ向かっている。そこにルプレタスやヌヴェルの姿はない。違う班のようだ。
どこを探しても彼らがいないことを不審に思っていた時、団員の1人がセンリにこう告げた。この館には地下があると。直前で救出した者に教えてもらったらしい。
おおよその場所を聞き出して地下へと向かう一行。老朽化した長い階段を下りていく。薄暗くなるが明かりが灯されているので視野に問題はない。
「……嫌な雰囲気」
セズナがぽつりとこぼした。他の団員もそれには同意見。地下特有の臭いだけではなく何か別の本能に訴えかけてくる不快な空気。
「……ぁぁ、ゥぃ……」
聞こえた不気味な声。一段下りるごとに音量も数も増していく。
「――ぁあァぅキぃぇぁあァッ」
最後の段。それを下りて彼らが目の当たりにしたのは、生ける屍の極楽浄土だった。上階よりもさらに狭い部屋に閉じ込められた元人間たちが呻きながら、鉄格子を掴んで上下左右に揺らしている。
辛うじて人の身を保っている者ですら歯や舌を抜かれていたり目玉をくり抜かれていたりしていて、もはや完全に自己は崩壊していた。
あまりに酷い腐臭の間へと割って入り、粘っこい糸を引く石床の上を一列で歩いていく。先頭のセンリ以外は鼻をつまんで、住人に掴まれないよう身を縮こまらせている。
「――きゃあッ!」
呻きに交じって女の甲高い悲鳴が聞こえた。駆けつけると、驚くべき光景が目に飛び込んできた。
「がッ、か、あッ……」
ルプレタスが太い腕に胸を貫かれていた。持ち上げられて地に足がついていない。
「ルプレッ!」とヌヴェルが金切り声で叫ぶ。
人の気配を感じて攻撃者が振り向く。覆面を被っていて顔は見えないが、その太い腕の筋肉から男と推定される。
覆面の大男はわずかにたじろぐそぶりを見せてすぐルプレタスから腕を引き抜いた。そのまま逃走を図る。
「逃がすかッ」
センリがとっさに動いた。掌を上に、指をクイッと上げる。すると男の逃走先に何重もの硬い土壁が出現した。ところが、
「ルプレをッ! お願いしますッ!」
必死なヌヴェルに袖を引っ張られて注意が逸れる。男は隙を突いた。その太い腕を魔術で強化し壁を破壊。一気に穴を開けて間を置かずそこから軽やかに逃走した。
取り逃した。しかし今悔やんでも仕方がないとセンリはすぐに気持ちを切り替えてルプレタスのほうへ向き直る。
不衛生な床に寝かされた息も絶え絶えの青年。腹部に穴が空いており止め処なく血が溢れ出てくる。
「期待はするな」
そう言ってセンリは彼の腹に手をあてがい、最大限の治癒魔術を使った。眼帯の裏がずきずきと痛み、眉間にしわを寄せる。
「お願い……!」
ヌヴェルが彼の生を強く祈った。これまで冷静に生死を見守っていた他の団員も不屈な彼のこんな姿に対しては少なからず動揺していた。
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「――はぁッ」
長い沈黙の中、唐突にルプレタスが息を吹き返した。治療の甲斐あって傷は完全に塞がっていた。急速かつ無理に自己治癒力を高めたことでまだ意識が朦朧としているが、どうにか持ち堪えたようだ。
「……よかった」
ヌヴェルはほっと胸を撫で下ろした。そしてセンリのほうへ顔を向けた。
「ごめんなさい。私のせいで、取り逃してしまって。重要な人物かもしれなかったのに」
「……ここにいるやつらはもう手遅れだ。上に戻るぞ」
彼女と目が合ったが、センリは何も責めずに次の指示を出した。それをセズナは意外そうな表情でじっと見つめていた。時に迷いの入り混じった息遣いをして。
全く動けないルプレタスは他の団員が物理と魔術の両方で支えながら連れていく。途中、理性なく暴れる成れの果てたちがたまたま引っかかった髪や服を引っ張って団員を引きずり込もうとしたが、センリが睨みを利かせると、
「キぃぇぁあァッッッ!!」
彼らは恐ろしいものも見たとでも言わんばかりに悲鳴を上げて後ずさった。
階段を上がるにつれてだんだん焦げ臭くなってきた。元の階に戻ると辺りに黒煙が立ち込めていた。誰かが館に火を放ったのだ。この仕業はまず間違いなくフォルセット側の人間がやったものだろう。
「急ぐぞ。崩れる前に」
そう言っている間にも後方で柱が崩れ落ちた。列の先頭をゆくセンリが魔術で風を纏って煙を左右へ流しながら、団員が救出した人々を庇いつつ、倒壊間近の館を脱出した。
外に出て振り返れば、真っ赤に燃え盛る館の情景が瞳に映り込んだ。フォルセットの襲撃でも陥落しなかった悪逆非道の長い歴史が焼け落ちていく。
それを呆然と見上げる者がいた。頭からすっぽりと被った正装のせいで顔は見えない。
不意にそこへやってきたセンリたちと鉢合わせる。合流地点へ向かう途中だった。
「誰だ」
センリが声をかけると、その者は振り向きざまとっさに腕で顔を覆い隠した。わずかに覗く目が見開かれる。
「……どうして」とその者の口が動いた。
どうやらさきほど取り逃した覆面の男ではないようだ。センリが一歩前へ歩み寄る。
「…………」
相手は一歩後ずさったが、そこで踏みとどまった。逃げられないと悟ったのか、あるいは何か意図があるのか。自身の顔を覆い隠していた腕をゆっくりと下ろした。
その正体に青年団は目を洗われる思いで強張った。ただセンリだけは驚かずに鼻からため息をついて、こう言った。
「ルドル司祭、お前もか」