ep.97 開戦だ
穏やかな時間はあっという間に過ぎて、日が暮れてきた。買い込んだ食材を手に宿舎へ帰る途中でセンリが不意に口火を切った。
「そういえば、この病がどこから来たかについては話したが、どのように来たかはまだ話してなかったな。何か心当たりはないのか?」
セズナへ向けた言葉。彼女はしばし沈黙のあと、
「確かなことは言えませんが、森から出ていった動物が原因かもしれません」
俯き気味に答えた。その様子を見るに以前から疑問に思っていたのだろう。
「なるほど。つまりその動物が病の種を保有していて、人里近くに移住した結果、変異してヒトにも感染するようになり広まっていったというわけか。まあ、筋は通っている」
そこで話を聞いていたオルベールが口を挟んだ。
「ふむ。仮にそうであれば、問題となるのはなぜ森の動物たちは出ていったのか。何か理由があるはずです」
「森に住んでいた頃、何か変わったことはなかったですか?」
エスカが聞くと、セズナは考えを巡らせた。
「……昔に比べると、森に迷い込むヒトが増えたような気がする。あとは……、もしかしたら、禁足地のせいかも」
何度かためらったが彼女は最後まで言い切った。
「禁足地?」とセンリが聞き返す。
「それはですね……」
あまり答えたくないようだが、鋭い眼光に気圧されて重い口を開いた。
彼女が言うには、エルフの森には禁足地と呼ばれる立ち入り禁止区域が点在しているそうで。身内であっても足を踏み入れれば掟破りとして死罪になる。
では内側には何があるのか。それは珍しい動物の住処であったり、貴重な植物の群生地であったり、森の神を祀る神聖な場であったりと様々。中には地面から瘴気が噴き出す場所や一度落ちたら抜け出せない底無し沼もあるという話だ。
それを聞いている時にセンリはふと眼帯に手をやった。なぜかその奥が疼いたのだ。だいぶ馴染んできて通常の魔術を使用しても気にならなくなるほどに。あの奇妙な夢ももう久しく見ていない。
「…………」
日が経っているので鮮明には覚えていないが、何か引っ掛かりを覚えているように見受けられた。
宿舎に戻って食事を終えたあと、引き続き大食堂を借りて購入した品々の検証が始まった。魔素に敏感なセズナが一つ一つその舌で試していく。単体では微妙でも組み合わせによっては相乗効果を生むのでそれも考慮していた。
「どうでしょうか?」
「……あんまり。惜しいのもあるけど、どれも単体では花の代替にはならない」
「そうですか……」
エスカは小さくため息をつく。
「あとは組み合わせ次第。でも私は料理ができないから。ヒトの食材も詳しくないし」
「あ、それは私がやってみます。料理は好きですから」
「そう」と興味なさげにエスカを見やる。
「あの、もしよろしければ手伝ってもらえませんか? 作った料理の味見をしてもらってその感想をぜひ」
セズナはちらりとセンリのほうへ視線を投げた。合った瞬間、彼の目は「やれ」と言っていた。
「分かりました。……ですがそこまでしてやることなんでしょうか」
「これが完成すれば隊の人だけではなく多くの方を救うことができるかもしれません。もちろんエルフのみなさんにも新しい選択肢として使ってもらえれば」
「……理解できません。あなたにそこまでする義理はあるんですか?」
純真な姿勢を貫くエスカを信じられずセズナは苦言を呈した。されど彼女は穏やかに微笑んで返した。
「誰かを助けたいという気持ちに理由は必要ですか?」
そこに本物を感じたヒト嫌いのエルフは以後彼女に何も言えなくなってしまった。
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それから時は過ぎ去り、計画の実行当日となった。
下準備は綿密で順調に進み、暗躍していた青年団員がフォルセットについての有力な情報も得ていた。館への最初の襲撃は失敗に終わってほぼ全滅の状態だったようだ。この事実は追い風と言えるだろう。
「いよいよですね」
「ああ。揃い次第ここを発つ」
集会所にてルプレタスとセンリが言葉を交わしている。唯一何も知らないセズナは怪訝な表情で視線を彷徨わせていた。けれどいよいよ我慢できなくなって。
「あの、私たちはこれから何をするんですか?」
「何って。館へ襲撃をかけるのよ」
ヌヴェルが答えると、彼女は意表を突かれて動揺した。
「ちょっと待ってください。本気ですか?」
「そのために準備してきたわけだから。でしょう?」
ヌヴェルが振り返ってセンリを見る。合わせてセズナが同じ方向へ顔を向ける。
「そんな話は一言も……」
「どうせついてくるだろうと思って話さなかった。それともお留守番のほうが良かったか? 別に今からでも遅くはないが」
「……行きます、けど。そういうことでは……」
計画について何も教えてくれなかったことに対して不服の態度を示す。
ちょうどその時、ルプレタスが横から割って入った。
「準備が整いました。いつでも行けます」
「分かった」
「果たして彼らは来るでしょうか」
一抹の懸念。計画のためフォルセットに接触を試みたが、会えたのは幹部ではなく末端の構成員だった。上に伝えるよう念を押したが、届いたかどうかは分からない。
「来るさ。館と俺たち、両方を同時に潰せる絶好の機会なんだからな。ま、そう思っているのはこちらも同じだが。その時は存分に利用させてもらうさ」
三つ巴の戦いが始まる予感。出発を前にして青年団の顔つきが精悍に変わった。それとは裏腹に、たった一人だけが頭巾の奥で顔色を悪くしていた。
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館と呼ばれる施設は、首都からそう遠くない周囲に何もない林の中にひっそりと存在していた。どこかの町やそれに類した場所にあるとされていたが、利便性のためか余裕の表れか思いのほか近くに存在していた。
一見すると無防備でも実際には強力な魔術障壁で何重にも囲われており、触れようものならすぐさま木々の肥やしになるほどの強固さで、仲間しか出入りできないようになっていた。事実、安易に踏み込んで塵になった者たちの痕跡があった。
この日の襲撃を知らない様子の館は平常運転。至って落ち着いた雰囲気だった。いつも通りの業務をこなしている。
「23番。早く来い」
「…………」
「おい、聞こえなかったのか?」
「…………」
「まったく。しょうがない」
数人がかりで簡素な小部屋から引きずり出される女。抵抗するも意味はなく。
「手間取らせるなよ、23番」
「……私の名前はマルシャ。そんな番号で呼ばないで」
女は名乗り、男を睨みつけた。今にも人を食い殺すような顔で。
「薬が切れかけてるな。あとで投与しておくか」
「覚えておきなさい。みんな殺してやるんだから……!」
「言葉遣いには気をつけろ。その番号の前任者と同じ廃棄処分になりたくなかったらな」
「やれるものならやってみなさいよ。できないんでしょう? 上からの命令がないと自分たちじゃ何もできないんだから。聞いたわよ。この前、あなたたちのお仲間もヘマをして地下送りになったんでしょう?」
マルシャの物言いに男とその仲間は苛立っている。が、許可なしに下手な手出しはできないので堪えている。そんな彼らの顔を見てマルシャは鼻で笑った。
「いつか全てが壊れる日がやってくるわ。覚悟しておくことね」
最後のあがき。そのあとに彼女は別室へと無理やり連行された。
「……そんな日は二度と来ないさ」
男はぽつりと呟いて次の仕事に向かった。
まさかほどなくして彼女の言葉が現実のものになるとは知る由もなく。
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この日たまたま館の外で昼食を取っていた見回りの兵士が妙な物音を聞きつけて庭から林の奥へ。確認のために魔術障壁の近くまでやってきた。
そこで目の当たりにしたのは堅固な障壁が音もなく破れる目を疑うような光景。向こう側から立ち入ってくる謎の集団にその兵士は思わず尻込みをして、とっさに木陰に身を隠した。
先頭にいた男の顔を見ると、なぜか刹那的に視界が乱れてから元に戻った。眼帯をした黒髪の若い男だった。
「準備はいいか」
眼帯の男、すなわちセンリが周囲に確認を取った。青年団は静かにうなずく。
今すぐに知らせなければと兵士は抜き足で踵を返すが、踏み締めた時に落ち葉の乾いた音が鳴ってしまった。亡霊ではない確かな人の気配。
「近くに誰かがいます」とルプレタスが告げた直後、兵士は走りだした。
「分かっています」
セズナが一言。すでに指先から伸びていた魔術の糸が木から木へ飛び移って先回り。高速で男の首を捉え、一思いに断ち切った。
倒れた身体とともに転がった生首を遠くから見てセンリが言った。
「さあ、開戦だ」