ep.87 世界そのものを憎んでしまったら
街に出かけたセンリとセズナ。行く場所は決まっている。あの寂れた地区にある新解釈派の教会だ。
過激派の脅迫に屈せず開け放たれた扉から中に入ると、ちょうど掃除をしていたトロレが大きく眉を上げた。
「あら、あなたはこの前の」
眼帯白髪の奇妙な男を見間違うはずもなく。助けてもらった恩もあり彼女は以前よりも親しげに歩み寄ってきた。
「ここ、気に入ってくれたのかしら?」
「頑なに門戸を開き続ける新解釈派は珍しいと思ってな」
報復や襲撃を恐れて扉を閉めている同派の教会もある中でここはかなり気骨のあるほうだった。直前にあのような出来事があったにもかかわらず。
「無茶かもしれないけれど、ここで誰かが頑張らないといつか潰えてしまうから」
そう言う彼女は疲れた様子で無理をしているようにも見えた。ルプレタスのように何があっても揺るがない芯を持っているというわけではないようだ。
「前任の管理者は逃げだしたのか?」
話題がそれに及ぶとトロレは悲しげに目を伏せた。
「……前任者は私の夫。逃げだしたのではなく、死んだのよ。志半ばにして」
「死んだ……?」
「ということになっているけど。行方不明になったあとに遺体が見つかったとだけ報告が来たわ」
「それは誰からだ?」
「確かお城のほうからいらっしゃった使者の方だったかと」
「……それは、きな臭いな」
てっきり過激派による犯行だと思っていたセンリにとっては再考させるきっかけとなった。これはただの抗争ではなくもっと複雑な、裏に大きな陰謀が渦巻いていると。
「私のもとに残ったのは、このお揃いのブローチだけ」
正装の胸もとに付けられた留め針式の飾り。おとぎ話に出てくる世界樹の枝を題材にした鋼の金具に小さな緑色の宝石が埋まっている。劣化により少し錆びているが今でも大事にされていることがひしひしと伝わってきた。
「ご想像の通り色々と疑わしい点はあるわ。けど私には何もできない。できるのは夫が残したこの教会を、帰ってくるかもしれないその日まで守り通すことだけ」
悲しげな瞳の奥に映る小さな希望。それが今の彼女を成り立たせているようだった。
「もちろん私だけでは心細いけど、ルプレタスやヌヴェルのような頼もしい青年団のみなさんがいるから心強いわ。定期的に見回りや警備を買って出てくれるからとても助かっているの、本当に」
話したそばから彼らはやってきた。年齢層の若い集団で気さくな雰囲気。軽く手を振りながら教会内に入ってくる。
「おばさん、来たよー」
「ああ、今日もありがとうね」
トロレに挨拶を済ませた彼らの目線はすぐにセンリたちのほうへ。
「あれ、お客さん? 珍しいね」
この国で正装を着ていない者が教徒じゃないことは丸分かり。それも教会にいるならなおさらのこと。
「話し中なら終わるまで外で待ってるよ」
「あ、そうね。ありがとう」
彼らは気を遣って教会のすぐ外で待機した。
「いい子たちでしょう? みんなまだ若いけどしっかりしてるわ」
「新解釈派はほとんど若年層なのか?」
「いいえ。でも最近になってますます増えているわ。たぶんあのせいで……」
「あのせい? もっと詳しく」
センリは手帳を取り出した。それを興味ありげにセズナが横から覗き込む。
「……ええと、当時青年団の中心人物だったルプレタスのお兄さんが原理主義派の武装勢力フォルセットに殺された事件のことよ」
「……フォルセット。初耳だな」
「フォルセットは過激派の中でも特別危険視されている集団で、同教内や他宗教、無宗派を問わず武力を以ってドゥルージ教原理主義派への改宗を強いているの」
使える情報だとセンリは聞きながら手帳に書き記している。
「名前は知らずとも関連した事件を一度くらい耳にしたことはあるかもしれないわ。彼らは国外にも出没しますから。武力布教のために」
それを聞いた時、センリの中で妙な胸騒ぎがした。
「特徴としては……そうね。常人には理解できないくらい勇者の一族を敵視しているところかしら。この世に存在しているかどうかも分からないのに」
手帳に書き記すその手が完全に止まった。
「…………。まさかとは思うが、そいつらは堅苦しい言葉を使っていたりするか? 神の裁きだの、聖戦だの、闇の申し子だの」
「ええ、確か。そういう話を聞いたこともあるわ。狂信的でまともに話が通じないとも」
「…………」
今、繋がった。センリは以前アガスティアの王都で原理主義派と見られる謎の集団から執拗に襲撃を受けたことがあった。その時は何も知らずおざなりに対応していたせいで不覚にも犠牲者が出てしまった。
「……そいつらの本拠地はここにあるのか?」
「どうでしょう……。さすがにそこまでは。分散しているという噂を聞いたことがあるくらいで他には何も……」
「……そうか。分かった」
どうやらさらなる調査が不可欠。ルプレタスにもう一度会って話を聞く必要もある。
「――そこまでして守るべきものなんですか? 信仰というものは」
今までずっと黙って話を聞いていたセズナがついに口を開いた。
「譲れないものがあるのさ。人にはな。たった一つ、そこだけはってものが」
「……譲れないもの」
信仰に疎い彼女はその言葉を聞いて意外にもすんなりと納得した。
その後、情報料としてトロレに金銭を寄付した。初め彼女は「結構です」と断ったが、センリが「礼だ」と言って強く押しつけるので、申し訳なさそうな笑みを返して受け取った。
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「なんだか変な気分です。あなたとこうしてヒトの街を歩くのは」
センリの隣に並ぶセズナはふと口もとを緩める。
「悪い意味で言ってるならさっさと帰ってくれ」
「いえ。いい意味ですよ、とても」
否定を示すためにわざわざ目の前に躍り出て注意を引く彼女。実年齢だとおそらくセンリよりも結構年上のはずだが、小さく首を傾げるその仕草は少女のようにあどけなかった。
「馬鹿やってないで行くぞ」
「はい」
街中を歩く異邦人の姿はよく目立つが場所によっては人の多さで誤魔化される。盛り場に足を運ぶとこの国ならではの暮らしが見えてきた。食材や衣料など生活に必要不可欠なものに関して住民同士はほとんど金銭のやり取りをしていなかった。
基本的にみんなで分け合い共有する社会体制のようだ。そこに宗派は問われない。だから最低限の暮らしは保証されているようで物乞いの姿はあまり見られなかった。
「ずいぶん楽しそうじゃないか」
「そうですか?」
軽やかな足取り。振り向きざまに淡い空色の瞳が揺れる。
「ヒト嫌いのわりには」
「そうですけど。ヒトそのものは否定しませんよ。それ自体に罪はありませんから」
不思議な物言い。ヒトの存在を受け入れながらもヒトという生き物を嫌う。
「そういえば聞いたことなかったな。お前がヒトを嫌う理由を」
「……それは今お話しするようなことではないので」
セズナは拒絶を示し、急に冷たい態度になった。やはり聞かれたくない話題のようだ。
「話したくないなら別にいい」
察してセンリはそれ以上踏み込まなかった。すると彼女は立ち止まって、
「世界そのものを憎んでしまったら、その世界に住む大切な人まで傷つけてしまうとは思いませんか?」
何かを暗に伝える言い回しでそう問いかけた。
「…………」
彼女を見据えたままセンリは何も答えず。刹那的に浮かび上がった聖女の残影を無意識に心の中で追っていた。
それから真っ直ぐ宿舎に戻るとクロハに遭遇した。彼女はすれ違いざまセンリに目配せをしてから舌を軽く打ち鳴らした。逢瀬の合図のように。
次に会ったのはエスカとオルベール。目が合うなり2人とも静かに微笑んだ。
「血のことですが、ルドルさんから受け取ったのでアガスティアへ送っておきました。センリさんに言われた通りの適切な保存方法で」
「それからこれを」
オルベールから小さな封筒を受け取った。センリは中身をさっと確認して、
「……ざっと見た感じ悪くないな。あとでしっかり目を通す」
返事を待たずにそのまま横を通り過ぎた。やけに納得した様子で。