第12話 空がかわりに泣くなら
悲しいのに涙が溢れないのは、心の奥のずっと奥にある後ろめたさが理由だろうか。
一人で歩く。さっきまで由依と二人で歩いていたからか、あんな事があったからか、一人で歩くのがこんなにも寂しいなんて……
マンションのエントランスに人影が見えた。
「はる?」
「理佐……、どうしたの?」
「……なんとなく会いたくて」
「……エスパーなの?」
「え、…なにが?」
「なんでもない」
「……何かあった?」
「なにも。でも、ちょっと疲れてるかな」
「ごめん、疲れてるなら帰った方が――」
「良いよ、寄って行きなよ」
「うん、ありがとう」
二人並んで歩く。
「はい、紅茶」
「ありがとう、これ美味しいよね」
「前に好きって言ってたから、ずっとその紅茶置いてる」
「覚えてたんだ。嬉しい。あ、そうだ。選抜練習の日程だけど」
「うん」
「基本的に月・水・金・土日」
「毎日かと思った」
「コーチ達やスタッフの予定もあって、さすがに毎日は厳しいって」
「そっか。時間は?」
「十三時~二十一時」
「……さすが夏休み。場所は?」
「うちの大学だって」
「……そっか」
「はる、頑張ろう!」
「ん? 頑張ろう?」
「私もマネージャーとして参加するの」
「そうなの? 初耳」
「今日コーチから誘われたの」
「そうなんだ、理佐がいると心強い」
「でしょー」
「ふふっ、よし、頑張ろう」
「うん、頑張ろう」
「じゃ、そろそろ帰るね」
「送って行こうか?」
「大丈夫」
「そっか、じゃ気を付けてね」
「うん、また明日」
「また明日」
理佐が帰ったことで部屋に一人。テレビの音しかしないこの部屋は、住み慣れた自分の部屋のはずなのにどこか寂しくて落ち着かない。明日からの練習に備えて今日は早く寝よう。
今日のことは、忘れよう……
「はる」
「おはよう、理佐」
「おはよう」
「部は隣のコートか」
「皆、選抜羨ましがってるよ」
「有り難いです」
「それに選抜練習は非公開」
「助かる」
「キャーキャー言われないもんね」
「そんなにニヤニヤして言わないで。ちょっと部室行ってくる」
「忘れ物?」
「うん、テーピング」
「早く戻っておいでよ」
「うん」
「……」
部室から声が聞こえる、誰か居るのかな?
「……はる…」
えっ……由依? 由依に気付かれないようにそっと近づく。
「人のロッカーの前で何してるの?」
「っ、えっ、はる……」
バンッ。壁ドンならぬ、ロッカードンをしてみた。因みに両腕でドンってしてみた。
「逃がしません」
私のロッカーの前で、私の名前呼んでるって、そんなに好きでいてくれてるの?
「どいてよ」
「だめ」
「……なんで」
「私のロッカーの前で何してたの?」
「……何もしてない」
「由依?」
「本当に何もしてない! ただ」
「……ただ?」
「はるのロッカー見たら、昨日のこと思い出しただけ……」
「……」
「ごめん、気持ち悪いよね」
「そんなこと思わないよ」
「……なんで」
「由依だから」
「……」
「テーピング取りたいんだ。ロッカー開けて良い?」
「……うん」
そう言って由依から離れる。由依もロッカーから離れる。
「……はる」
「明日、時間ある?」
「……」
「話したい、ちゃんと」
「……何を?」
「私のこと。ちゃんと由依に話したい。もう、私と会うの嫌?」
「嫌な…訳ないじゃん」
「ふふっ、良かった」
「ねぇ、なんでそんなに普通なの」
「ん?」
「だって、私昨日振られたんだよ? それなのになんではるはそんなに普通なの? 私と居て気まずくないの?」
「気まずくないよ」
「……なんで」
「由依だから」
はるはそう言いながら優しく微笑んでくれた。
「じゃ、あとで連絡する。由依も練習頑張ってね」
「うん、はるも頑張って」
「うん、ありがとう」
もうはるとこんな風に微笑みながら話せないって思ってた。だから、はるのロッカーを見つけて、好きなんて言わなければよかったって後悔してた……
言わなければ、ずっと傍に居られたのにって。それなのにはるは、、気まずくないよ、由依だからなんて言って。私だから良いの? 私じゃなかったらもう二度あんな風に微笑んでくれなかったの?
ずるい、ずるいよ。はる――
まだ私の心臓掴んだままなんてずるいよ……
コートに戻ればはるは、選抜メンバーやコーチ達に挨拶したり体育館やトレーニングルームの施設説明で忙しそうだった。
「私も頑張ろう」
「一通り自己紹介は終わったな。じゃ、早速練習始めるぞ」
「「はい」」
選抜の代表コーチを務めてくれるのは、光栄な事に日本代表監督経験のある土田さんと澤部さん。強面だけど、指導は丁寧で一人一人のプレイスタイルに合ったアドバイスをくれる優しい人だった。
「五十嵐、もっと手首曲げて打て」
「はい」
「内側に曲がる癖があるな……」
「左に傾く事があるなとは思ってたんですけど、手首が原因だなんて」
「一度シュートフォーム見直すぞ」
「はい」
「うーん、まだ曲がってるな」
「……」
「ボール持たずに素振りで感覚掴め」
「はい」
「手首さえ直ればお前はもっと上に行ける」
「えっ……」
「努力じゃ補えないセンスだ。お前にはそれがある」
「あ、いや、そんな」
「俺が言うんだ、間違いない。学生の選抜なんかじゃなくて、日本代表を目指せ」
「……はい」
日本代表、そんなの夢のまた夢だ。
バスケは好きで大学までずっと続けてきた。でも、いつまでできるんだろう。実業団に入りたいと思った事はない。ずっと【今】しか考えてなかったんだ――
「将来……か」
何となくもやもやが残ったまま初日の練習は終わってしまった。
「お疲れ様」
「お疲れ」
「コーチに気に入られたね」
「いや、できないから指導してもらっただけだよ」
「でも、はるのこと褒めてたよ」
「えっ?」
「あいつはセンスの塊だし、バスケしてる時の顔が他の奴とは違う。もっともっと上手くなるって」
「うーん」
「どうかした?」
「いや……、いつまで続けるのかなって思って」
「……はる? どうして?」
「ずっと【今】しか考えてなかった。けどさ、先輩たちって引退した後はスーツ着て就活してバスケから離れてる。バスケしない事が当たり前になってる。いつか自分もバスケをしなくなるんだろうなって思ったらいつが辞め時なのかなって……」
「そんなのまだまだ先だよ」
「明日怪我するかもよ?」
「縁起でもないこと言わないで」
「うーん」
「私は、はるがバスケを続ける限りマネージャー続けるから。それが大学じゃなくても、どこでも」
「どこでも?」
「そう、どこでも」
「いや、どこよ」
「秘密」
「なにそれ」
はるが辞めたら私も辞める。はるが続けるなら私も続ける。大学卒業して実業団に入るなら私は、その会社に就職できるように必死に頑張るから。私はずっと、はるを傍で支えるって決めたの。
でも、このことは教えてあげない。「私の就職先とはるのチームが同じなんて、さすが私たちだね。」って、必然を偶然にしたいから……。
「明日は、部の練習も休みだから」
「うん、練習表さっき確認した」
「明日何するの?」
「由依と会う予定」
「最近仲良いよね」
「そう? 前から良いよ」
「ふーん」
「理佐は? デート?」
「うん、海行きたいんだって」
「夏って感じだね」
「日焼けしたくないから本当は嫌」
「相変わらず愛輝に冷たいね」
「そうかな?」
「まぁ、上手くやってるなら良いけど」
「どうなんだろうね……」
「……まだ、本命いるの?」
「……いるよ」
「告白しないの?」
「今の関係壊したくないからしない」
「そっか、無理しないでね」
「うん、ありがとう」
「じゃ、また明後日」
「うん、またね」
一度部室に着替えや荷物を取りに戻る。あれ、まだ電気ついてる。
「由依?」
「……」
「由依? ……寝てる? 由依、由依起きて」
「うぅん」
「由依風邪引くよ?」
「うぅん……はる?」
「うん、起きて」
「……眠い」
「駄目だよ、起きて」
「無理」
「無理じゃない、起きて」
「起こして……」
「はぁ……」
由依の両腕を引っ張って上体を起こそうとした時、
「うわぁ」
「痛い」
「ごめん、支えきれなかった」
「……」
「ごめんってば」
「……」
「ってか、由依そんなに痛くないでしょ」
「……まぁ」
由依を勢いよく引っ張ったはいいが、支えきれずそのまま後ろに倒れて尻もちを着いてしまった。由依は、そんなはるの上に乗っているからきっと、いや全く痛くないはず。
「……なに?」
「えっ、いや、どいてくれないの?」
「いや」
「えぇー、重い」
「はぁ?」
「全然軽いです」
「当たり前」
本当にどいてくれそうにないから上体だけ起こして座り直す。由依は、私の太ももの辺りに座って向き合う状態に。
「なんで部室で寝てたの?」
「……待ってた」
「なにを?」
「……」
「由依?」
「もうっ……はるを待ってたの! 分かってよ、ばか!」
「えっ、あ、ごめん」
「もういいよ、鈍感」
「ごめん。でも」
「でもなに?」
「自惚れだったら恥ずかしいじゃん、そんなに自分に自信ないし……」
「はぁ?」
「……」
「はるさ、もっと自覚した方がいいよ」
「なにを……」
「モテるってこと」
「そんなことないよ」
「はぁ…、じゃさ、練習の度に来るあの沢山の観客は何? うちの学生じゃない人も来てるよね?はるの取ってる講義って人多いよね? あの中に何人部外者居ると思う? それにバレンタインのチョコ何十個貰った? 毎日毎日マネージャーが何通のラブレターを代理で受け取ってると思ってんの?」
本当、鈍感過ぎてムカつく。
「あれは違うよ」
「……何が違うの?」
「あの人たちは、私を代用品にしてるだけ」
「……えっ」
「男と違って浮気しない、女の気持ちが分かる、男みたいにガキじゃない、中性的なところがいい」
「……はる?」
「キャーキャー盛り上がるのに丁度良いんだよ私は。あの人たちは、そうやって盛り上がるのを楽しんでるだけ。【彼氏代用品】だから、本気で好きなんて言ってくる人は居ない。モテるとは違うんだよ」
「そんな……」
「結局 、【一番】は他に居るんだよ、皆」
「そんなことは――」
「由依だけだよ。ちゃんと私を好きになってくれたのは」
「えっ…」
「ツンデレで不器用だけど、純粋で真っ直ぐに好かれてるって伝わってくる」
「……」
「そうやって照れるのも可愛いよ」
「うるさい」
「そのツンデレもね」
「……振ったくせにそんなこと言わないでよ」
「いや?」
「いやだ。諦めきれなくなる……」
「私は、由依が思ってるほど綺麗な人間じゃないよ? 心の中で酷い事思ってるし、昔好きだった人の事引きずってるし、キャーキャー言う人嫌いだし、由依が知らない黒い部分沢山あるよ?」
「そんなの私もだから。素直になれないし、口悪いし凄い嫉妬するし、すぐ怒るし…」
「それ全部知ってる」
「……私もはるの好きな人知ってる」
「えっ…」
「麻衣さんでしょ」
「……」
「図書館で会った時、なんか嫌な予感した」
「……嫌な予感?」
「うん、この人にはるを取られるかもって」
「……」
「その後、一也さんが来て良かったって思った」
「……」
「はるが麻衣さんと離れたって分かって、安心した。ライバル減ったって思った。最低だよね」
「きっと私が由依でも同じ事を思ってたよ」
「はる、やっぱり私まだ」
「好きだよ」
「えっ…」
「昨日帰ってからも、今日もずっと由依の事気になってた。皆は、疑似恋愛で私を見てくるのに由依はちゃん好きって思ってくれてるって。そう分かったら由依の事意識しだして。でも、まだ麻衣のことを」
「いい。それでもいい。まだ麻衣さんを忘れられなくても今はそれでもいい。これから少しずつでも私を見てくれれば、それでいいから……」
「こんな私でいいの?」
「はるじゃなきゃだめなの」
「…ありがとう」
「ねぇ、ちゃんと言って?」
「…好きだよ。私と付き合ってください」
「はい」
はい。そう返事をした由依は、今まで見た事が無いくらい可愛らしく微笑んで、耳まで真っ赤に照れていた。
ごめんね。こんなに綺麗な君を汚してしまって本当にごめん。全ては麻衣のためなんだ。今、麻衣の幸せを邪魔する可能性があるとすれば、それは私自身。大切な人の幸せを自分が壊すなんて、そんな事絶対にしたくない。麻衣の幸せのためにもこの気持ちを一日でも早く消すべきなんだ。そのためなら、大切な友達の好意だって利用するよ。
ねぇ、由依。早く私を由依でいっぱいにしてよ。
まるで自分の中に悪魔が居るみたいだ。ごめんね。本当にごめんね。
でも、これで良かったんだ。きっと間違ってなんかいない。