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(二) 風の日々

 ユキには、両親がいない。そのことは、ユキ本人が教えてくれた。

 小さい頃に旅立ってしまった。サンも、まったく同じ境遇だった。

 以来、二人は実の姉弟のように互いを支えてきたし、どれだけの月日が流れようとも、その距離が変わることはいっさいなかった。

 姉弟であり、幼馴染であり、肉親であり、親友。

 それが二人の関係であり、その関係を一言でいい表す言葉を、ぼくは知らない。

 だが、きっと、この世でもっとも美しい関係があるとすれば、それだ。

 そうに違いない。

 

   〇


「サンは、巫女を目指さなかったの?」

 三人の共同生活が始まった三日後、ぼくは尋ねた。

 よく晴れた日の、午後。風玉の起こし方を一通り学び、野原で小休憩しているときだった。

「やだよ。面倒くさい」サンは、芝生に寝転がっていた。「巫女なんて仕事、よっぽどのお人好しか暇人じゃないと続かん」

「私がお人好しで暇人だというの?」その隣に座るユキが、頬を膨らませた。「撤回しなさい」

「ユキは、お人好しで暇人で、なにより、まっすぐなバカ」

「なんですって」

「まあまあ」ぼくは、苦笑した。「ぼくは、素晴らしいことだと思うけどな。巫女を目指すって」

「ありがとうございます」ユキは、心から嬉しそうだった。「巫女は、医者と違って、だれかを肉体的に治療することはできません。また、科学者と違って、なにかを生産することもままなりません。ただ、迷える者、悩める者の心にそっと寄り添い、精神的な救済をほどこす。その人が立ち直る、手伝いをする。巫女は見返りを求めませんが、素晴らしいという気持ちを抱いてもらえるのは、本当に名誉なことです」

「うん、本当に」ぼくは、素直に頷いた。「素晴らしいなんて言葉じゃ、きっとたりないよ」

「まあ、ユキは巫女見習い、だけどな」サンは、かたくなに認めなかった。

「それでも、私は諦めません」ユキは笑った。「一人前の巫女になるのが、私の夢です」

「夢か」

 ぼくは、空を見あげた。気まぐれ的にちぎれている雲以外、澄み渡る青空を邪魔するものはなかった。

「サンの夢は?」ぼくは、気になって尋ねた。

「腹いっぱい食って、寝ること」サンは、つまらなさそうにいった。

「あいかわらずね」ユキは、ため息をついた。

「悪かったな、あいかわらずで」サンは、大きな欠伸をひとつした。「つまりもう、おれの夢は叶ってるんだ」

「それも素敵だよね」ぼくは、素直にそう思った。「当たり前のことを、当たり前にする。すごく素敵なことだ」

「おまえは、なんでも肯定してくれるな」サンが、ごろりと寝返りをうった。「へんなの」

「うん。きっと、ぼくが、肯定されたがりなんだ」ぼくは、咄嗟に思いついたジョークを口にした。

「よく分からねえ」サンは、不思議そうな目で、じっとぼくのことをみつめていた。

 サンの仕事は、国のなんでも屋さんで、頼まれればどんな仕事も請け負った。風玉の特訓以外やることのなかったぼくも、たびたび仕事を手伝った。

 たとえば、屋根のペンキ塗り、料理の買い出し、牛馬の餌やり、留守番、子守り、等々。サンは、口は悪いが手際がいいので、みんなから頼りにされていた。売り言葉に買い言葉で、憎まれ口の応酬は日常茶飯事だったが、本気で嫌っている人はひとりもいなかった。

 ある日、花園の植物の調子が悪いというので、サンに依頼がまわってきた。

 国の東側にある花園で、所有者がいうには、数日前の大雨からいまいち元気がない。その日は、ぼくがこの世界に『落っこちてきた』日だった。ぼくたちは、すぐさま現場に向かった。

 桃色と黄色の花が縦横無尽に咲き並ぶ、立派な花園だった。しかし、たしかに所有者のいうとおり、花弁は萎れ、活気を失っていた。雨の水を抜き、肥料も整えた。だが、なにかがたりていなかった。

「風だな」サンは、即座に原因を見破った。「風を感じない。風車が壊れてるんだろう」

 風車は、花園のすぐ隣に併設されていた。一見すると、規則通り回っているし、なにも異常は感じなかった。だが、サンがいうには、羽が一枚、雨にやられて撓んでいる。そのせいで角度が変わり、風が花園全体に行き届いていない。

 ぼくたちは、大人たちの力を借りて、壊れた羽と新品の羽を交換した。もちろん、重工機械の類は使わない。重たいものは、風玉で包んで丁寧に運んだ。不思議なもので、風玉で包んだ物体は、どんなに大きなものでも風船を持ちあげるみたいに難なく運べた。さすがに、大きすぎるとバランスがとりづらく、複数人で持ちあげなくてはいけなかったが、機械に頼らず人手で運べた。

 新調した風車の風は、なるほど全然質が違った。瞼を閉じると、そのまま風に溶けて、消えてしまいそうだった。心なしか、すでに花も調子をとり戻していた。

「さすが、サンだね」ぼくは、風を感じながらいった。

「よせよ、褒めてもなんもでねえ」サンは、鼻をすすった。「腹減ったから、帰ろうぜ」

「あいかわらずだね」

「あいかわらずが、オレサマだ」

 ユキの仕事にも、立ち会ったことがあった。

 寺院の内部、クレア・フラハ大聖堂で大巫女の講演会が開催された。その付き人(姉巫女)の、さらに付き人(巫女見習い)として、ユキも目まぐるしく働いていた。仕事内容は、主に、姉巫女の身の回りの雑務である。ユキのいっていた「心の救済」は、まだ見習いなので、任されていなかった。

「疲れてると思って、ちょっと差し入れ」会堂裏で一休みしていたユキに、ぼくは顔をだした。

「ああ、アメさん。きてくれたんですね」ユキは、ぼくの差し入れたお菓子を、幸せそうに食べてくれた。「すごく美味しいです」

「頑張ってるんだね。でも、頑張りすぎはダメだよ」

「お気遣い、ありがとうございます。でも、私、一日でも早く巫女になりたいんです」

「どうして、クレア・フラハ寺院で修行しようと思ったの?」ぼくは、いつも茶化すサンがいないので、普段聞けなかったことを聞いてみた。

「私自身、巫女に救われたからです」ユキは、やはり幸せそうに答えてくれた。「私には、幼い頃より両親がいません。そのせいで、ずっと、自分はひとりぼっちだと、心を閉ざしてきました。そんな私に、救済の手をさしのべてくれたのが、いまの大巫女様でした。当時は、階級がひとつ下の、姉巫女でしたが。ともあれ、その経験があり、私もまた、人を救う巫女になろうと夢をもちました」

「なるほど」

「サンは、私が見習いになってから、初めて出会った少年です。サンもまた、私と境遇を一とする身。放ってはおけませんでした。やっと、口をきいてくれるようになりましたが、憎まれ口ばかりで、なかなか素直になってくれません。ひとえに、私の修行不足だと痛感しています」

「いや、きっと、サンはユキのことを信頼しているよ」ぼくは、本当にそう思った。「そんなこと、この世界にきたばかりの、ぼくでもわかる」

「そうだといいんですが」ユキは、困ったように笑った。「ここだけの話、私はサンのことを、本物の家族のように思っています。私はサンを支えているつもりですが、その裏で、私もまたサンに支えられているのです」

「たぶん、サンも同じことを思ってるよ」もちろん、お世辞ではなかった。

「そうだといいんですが」再び、ユキは困ったように笑った。「アメさんは、本当に優しいんですね」

「ユキが、優しいからだよ」

「どういうことですか?」

「優しい心をもっているから、人の優しさに気づけるんだ」

「それ、素敵ですね」ユキは、くすくすと笑った。「私なんかより、アメさんのほうがよっぽど巫女に向いてます」

「その、アメさんって呼びかた、やめてもいいよ」ぼくは、挑戦した。「普通に、アメでいい」

「そうですか?」ユキは、生真面目に復唱した。「アメ」

「やっぱり、ちょっと、恥ずかしいな」

「私もです」ユキは、照れたように笑った。笑いのバリエーションが、本当に豊富な女の子だった。

 夜は、ユキの家に三人で帰った。サンの家もべつにあるが、滅多に帰ることはない。実際、帰るつもりもないらしく、サンは自分の日用品を大量に持ち込んでいた。

 ぼくたちは、三人で食卓を囲んだ。ランプの心もとない灯りのもと、とりとめのない雑談を交わしながらとる夕食が、ぼくは大好きだった。

 ユキの手料理は、いつでも繊細で、温かかった。

 この日々が永遠に続くのも悪くない。そう、ぼくは考えるようになっていた。

 記憶は、いっこうに戻ってこなかった。

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