05:宿
バラの宿。
薔薇という花は、よく家紋に用いられる。
それを名に冠する宿は、家紋を持つ者、貴族御用達の宿という事になる。つまり、このブオトの町に別邸の無い貴族が利用したり、貴族に雇われた者達が貴族名義で逗留したり、または資金に余裕のある高ランクの冒険者が利用したりする。ここはこの町一番のサービスが受けれる宿だ。
その宿の入り口を一人の女性がくぐる。
まず目を引くのが、その美しく流れるような黒髪。次に目を奪われるのがその美しく整った顔、そして見つめると吸い込まれるような黒い瞳。美しいと言うにはまだ少し幼く、可愛らしいと言う程には子供ではない、大人と子供の丁度中間。灰色のローブがその美しい黒髪と抜けるような白い素肌をより一層引き立たせていて、そこに立っているだけで絵になる。もしここに高名な画家がいたのならこの一瞬を絵画として残せるならば、全てを投げ打ってでも筆を取って己の魂を削って作品の完成に没頭しただろう!
入り口を入ったところでぼーっと立ち止まっていると、初老の男性が近付いてくる。
(あれが、セバスチャンだな!)
(あれが、セバスチャンね!)
執事っぽいよね、セバスチャンさん!
確認してないけど、もうこの人がセバスチャンさん確定でいいだろう。完璧な笑顔で、ちょっとウィリアムさんが歳をとったらこうなるんじゃないかなと思える笑顔で話しかけてくる。
「御一人様でございますか?」
「はい、あ、この子も一緒ですけど、大丈夫ですか?」
クロの頭をちょこんとつつく、ぱく! つついた指を食べられた!
「……は、はい、どのようなお部屋をご所望でしょうか?」
(ちょっとクロ君、はなしてよ!)
(ひゃなのだー!)
咥えた指を離さないクロ君。必殺、指をそのまま押し込むの刑!
(むきゅ!)
指を突っ込まれて、うぇってなっているクロの首根っこをつまみローブのフードの中に落とす。
「静かな部屋でお願いします」
「はい、わかりました。最上階の角部屋でよろしいでしょうか?」
「あ、はい。そこで」
「一泊金貨五十枚ですが、よろしいでしょうか?」
あら、お高い。
「大丈夫です。何日か前払いしておいたほうがいいですか?」
事前の予約も誰かの紹介もないので、保障の意味で質問というか提案する。
「何か身分を証明できるものがおありでしょうか?」
身元が確認できれば後払いでいいという事かな?
「えーと、冒険者ギルドのカードでも大丈夫ですか?」
「お客様は冒険者でしたか、以外です。ギルドカードで大丈夫です」
「じゃあ、はい、どうぞ」
ギルドカードに魔力を通し私の必要情報を表示させてから手渡す。表示部分は任意で指定できるので、普段は表示しないでおく後見人の部分を今回は開示して渡す。こんなお高い宿に泊まるのにDランクの冒険者だけでは信用に足りないだろうからね。
――――!!!
セバスチャンさん、ある一点を見たとたん固まる。
「こ、これは...いや、しかし」
驚いてる、驚いてる。後見人にこの国自体の名前が載っているんだもんね、普通にありえないよね。しかもDランクでは通常後見人はつかない。例外としてつく場合はその家系が認めた血縁者の場合のみ、しかも元冒険者のセバスチャンさんならギルドカードの偽造はありえないと理解しているはず。つまり、しかしの意味は先日隣国に嫁いだお姫様以外に血縁者はいなかったはずのしかしになる。
「秘密でお願いします」
経緯や理由まで説明するつもりは無いから、聞いてこないで下さいねの意味も込めてお願いする。
「は、はい。わかりました」
ギルドカードを丁重に返してくる。身分も証明できたので...
「じゃあ、後払いで!」
(踏み倒して逃げるので!)
逃げないけどね! まあ、踏み倒しても文句は出ない気もするけど、それじゃあ横暴な貴族の方々と同じになってしまうからそんなことはしないです。
「かしこまりました。では、こちらにサインをお願いします」
(有名人はつらいな!)
(いや、そっちのサインじゃないから!)
宿帳にサインをする。
「ご案内いたします」
セバスチャンさんの合図に古風な恰好のメイドさんが現れる。部屋に一人メイドさんが付くみたいだ。
「この者が、リン様滞在中のお世話をいたします」
「メルカです。よろしくお願いいたします」
セバスチャンさんの紹介に頭を下げるメイドさん。
「お部屋に案内いたします」
セバスチャンさんを先頭にどうぞと促され歩いていく、宿の主自ら部屋に案内してくれるらしい。
案内された部屋は無駄に広い造りだ、別にいいんだけど。必要なものは一式揃っているね。
「何か、お飲みになりますか?」
メイドのメルカさんが聞いてくる。
見れば、紅茶に緑茶、黒茶もある。コーヒーもあるんだ、凄い品揃えだね。
「じゃあ、紅茶をお願いします」
「はい、少々お待ち下さい」
(リン、我ミルク!)
(はいはい)
フードから飛び出し、テーブルの上にトンと飛び移ったクロ。
「この子にもミルクをお願いできますか?」
「はい。かしこまりました」
手際よく紅茶を淹れていくメルカさん。
「リン様、滞在中メイドは部屋に常駐させますか?」
セバスチャンさんが聞いてくる。
「えと、ごめんなさい。常駐は無しで、用があるとき呼び出す形でいいですか?」
「はい。では、ご用の時はこちらの呼び鈴を押していただければ、直ぐにメルカが伺います」
「わかりました」
「緊急の時は、こちらを押してください。武装した従業員が直ぐに駆けつけます」
うん。なにそれ。
「えーと、ワカリマシタ」
一見判りづらいけど、呼び鈴のボタンになっている。いわゆる隠しボタンの説明までされてしまった。
(特別待遇だな!)
(そうみたいね)
…………
……
「失礼します」
ひと通りの説明と明日の予定を答えたところでセバスチャンさんとメイドさんが退出する。
ベッドに腰掛ける。フカフカだ。
そのまま両手を広げ背中からベッドに倒れこむ。気持ちがいい。
部屋に空間魔法のロックをかける。これでロックを解くまで誰も部屋に入ってくる事が出来ない。
空間魔法は便利だよね。
密閉された空間にロックの魔法をかければ、同じ空間魔法のアンロックをしない限り安全が保たれるし。
転移の魔法なんて、あらかじめ設定した転移先に一瞬で移動できてしまう。
私は空間魔法スキルが最大の五になっているので、転移先設定が四つ出来る。
今そのひとつはローラン王都に設定してあるので、転移魔法を唱えれば一瞬でローラン王都に戻ることも可能なんだ。
クロが胸の上に乗ってきて、こちらに顔を向けて寝転がる。そのまま寝る気満々だ。
うーん、長旅してきたからお風呂とか入りたいんだけど。
クロの体温が気持ちいい...ちょっとだけ、ちょっとだけ寝てから...
Zzz...クロが気持ちよさそうに寝て......
ふよ、
ふよ、ふよ、ぽすん!
「んしょ、んしょ!」
さ、さ、さ!
「じーっ!」
てし、てし!
「とぅ!」
ごろごろごろ!
「んしょ、んしょ!」
「じ、じじーっ!」
ぺろぺろぺろ。
「んしょ! おやすみなのすやぁ~」