旅立ち
修行を初めてから一年が経とうかという頃、恵菜はユーリエの家の近くにある森の中を一人で探索していた。
どうやら食料集めをしているらしく、時折目の前にある植物を少し確認してから採取している。
初めの頃は、目の前の植物と図鑑に書かれた内容とを見比べながらでないと不安で、恵菜は森の中を探索する際には図鑑を手放せなかったが、今では自分の目だけで食べられるものかどうかを見分けられるようになっていた。
「うん?」
しばらくは植物ばかりを集めていた恵菜だったが、ふと何かが近づいてくる気配を察知する。
気配がする方向に目を向けると、異世界へ来てすぐに襲われたフォレストウルフが唸りながら出てきた。
他にも潜んでいるかもしれないと思い、恵菜は周囲の気配を探るが、目の前のフォレストウルフ以外の気配は感じられない。
どうやら、この一体しか周りにはいないようだった。
それを確認した恵菜は、目の前のフォレストウルフに集中する。
「悪いけど、あなたのご飯になるつもりはないからね」
以前の恵菜はフォレストウルフ相手に逃げる事しかできなかったが、今の恵菜はあの頃とは違う。
恵菜の体からは余分な力が抜け、いつでも魔法を撃てる体勢でフォレストウルフを真っ直ぐ見据える。
恵菜のその姿を見て、フォレストウルフは戸惑っていた。
フォレストウルフは、森の中では狩りをする側の存在である。
今まで目の前に現れてきたものは、全て一目散に逃げていくものばかりであり、フォレストウルフはそれを追いかけるだけだった。
しかし、今目の前にいる存在は逃げ出すどころか、こちらに対して戦う意思を見せている。
その未知の体験に困惑し、フォレストウルフはどうすべきか分からないでいた。
そんなフォレストウルフの躊躇いを見逃さずに、恵菜はウィンドカッターを放つ。
フォレストウルフは慌てて横に跳びながら回避するが、着地すると同時に飛んできたアクアランスで貫かれた。
恵菜は牽制でウィンドカッターを放ち、回避したところにアクアランスを打ち込んだのだが、フォレストウルフは何が起きたのか分からないまま動かなくなった。
恵菜はフォレストウルフが死んでいるのを確認し、持っていたナイフで解体を始める。
模擬戦での初勝利から少し経って、ユーリエは恵菜に魔物との戦闘にも慣れておく必要があると説明し、森の中で食料を集めがてら魔物と戦ってくるという訓練をさせるようになった。
最初は不安があるだろうということでユーリエが同伴して行ったのだが、日本にいた頃は生物を傷つけるどころか殺すことすらなかった恵菜にとって、魔物との戦闘は非常につらいものがあった。
しかし、魔物は人を襲う脅威であり、魔物との戦闘は旅をするのなら避けられないというユーリエの説明を聞いて、これから先必要な事だと自分に言い聞かせながら、何度か吐きそうになりながらも魔物を狩り続けていった。
一度は感情を失った殺戮マシーンになりかけたが、何とかそれを回避し、今では魔物を倒してその場で解体できるようになっている。
因みに、仕留めた獲物を解体することもユーリエから習ったものだ。
解体時、「魚を捌くのと同じ……魚を捌くのと同じ……」と、もはや完全に危ない人にしか見えないように、ぶつぶつ呟きながらも解体技術を習得しようとする恵菜の目の端には光るものがあったが、今ではこの作業も慣れたものである。
「……よし、できた~」
解体を終えた恵菜は、必要なものといらないものに分けて、地面に掘った穴の中に必要ないものを埋める。
こうして後処理をきちんとしておかないと、血の匂いにつられて他の魔物が集まってくるのだ。
今日の森での訓練で必要な事を終えた恵菜は家に戻ることにした。
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「ただいま、ユーリエさん」
「おぉエナ、おかえり」
恵菜が戻ると、ユーリエは棚を整理しているところだった。
恵菜は今日の成果をユーリエに見せる。
「もう図鑑を持たなくてもこれだけ採ってこれるようになったかい。それに、魔物との戦闘も解体も問題なさそうだね」
「ユーリエさんに散々教えられましたからね……」
そう言って恵菜は遠い目になる。
あの頃の記憶の一部は、もはや心の片隅に閉まっておきたい程だ。
「これなら、もう旅に出ても心配なさそうだねぇ」
「! それって」
遠い目をしていた恵菜は、ユーリエの言葉に正気を取り戻す。
「あぁ、エナの修行は今日でおしまいさ、良く頑張ったよ」
「本当に……本当に修行は終わりですか?」
未だに信じられないのか、恵菜は恐る恐る確認する。
「食べられるものの知識を得た、魔物の解体までできるようになった、そしてあたしが勝てなくなるくらいに強くなった、そんなエナが修行を終われない理由が見当たらないよ」
苦笑いしながらユーリエはそう言うが、恵菜は修行が終わったということで頭がいっぱいのようだ。
こちらの世界に来てから一年近くの間、ずっとこの場所で修行を続けていた恵菜は、やっと夢だった旅に出られることに期待が膨らむ。
「良く今まで頑張ったね。もう私が付いていなくても、十分一人で生きていけるよ」
「!」
ユーリエのその言葉を聞き、恵菜は重大な事に気づいてハッとする。
そう、修行が終わり恵菜が旅に出るという事は、恵菜がユーリエの元を離れるということだ。当然、修行に付き合ってくれたイルカとも会えなくなる。
「エナがいなくなると寂しいとは思うけどね。いつかは別れが来る、そういうもんさ」
当たり前のことだとユーリエは言い聞かせるが、恵菜の視界は次第にぼやけていく。
「いろんな場所を見てみたいんだろう? この世界を楽しんでおいで」
そう言われて、堪えていた恵菜の感情が溢れ出した。
「うぁ……ユーリエさあぁぁぁん!」
大粒の涙を零しながら恵菜がユーリエに飛びつき、ユーリエは困ったような顔をしながらも受け止める。
「こらこら、そんなんじゃこの先思いやられるよ」
「でも……でもぉっ……!」
この先、いろんな場所で一期一会な出会いがあるだろう。
当然、別れを惜しむこともあるだろうが、それで一々メソメソしていては旅をするなんて言っていられない。
しかし、約一年程度の付き合いだったとはいえ、恵菜にとってその内容は濃密過ぎるものだった。
ユーリエもそれを理解してか、恵菜が落ち着きを取り戻すまでの間、静かに頭をなで続けていた。
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「落ち着いたかい?」
「……はい、ありがとうございます……」
数十分経った頃、いつも通りとはいかないまでも、恵菜は大分落ち着きを取り戻していた。
ユーリエは恵菜が落ち着いたのを確認し、恵菜を椅子に座らせて自分もその向かい側に座る。
「さっきも言ったけど、今日でエナの修行はおしまいだよ。もうどこに行っても立派な一人前の魔術師さ」
そう言われて再び泣き出してしまいそうになる恵菜だが、なんとか堪えて感謝の思いを伝える。
「ユーリエさん、今までありがとうございました」
「あたしはただ手伝いをしてあげただけさ。エナが頑張ったからこそ、エナはここまで成長できたんだよ」
「それでも、ユーリエさんがいなかったら私は頑張ることすらできなかったと思います」
「嬉しいことを言うねぇ」
そうして二人は笑いあう。そして、ユーリエはこれからの予定を尋ねる。
「さて、修行が終わったということは、エナは旅に出るんだろう? いつ出発するか決めているのかい?」
「まだ決めてないですけど、出発できるならすぐにでも」
本当はしばらくここにいたかったが、旅に出るのを先延ばしてこのままユーリエの家に留まり続けていると、離れる時に躊躇ってしまいそうだと考え、恵菜は早めに出発することにしたのだ。
「それなら、明日にでも恵菜が出発できるように準備しないとねぇ。少し待っといで」
そう言ってユーリエは二階へ上がっていき、しばらくして何かを抱えながら下りてくる。
ユーリエが持ってきたものは、マントや靴などといった魔術師の装備品だった。
「これはあたしが若いときに使っていた装備さ。それなりに良い素材を使ってるからね。少し大きいかもしれないけど、動きの邪魔にはならないと思うよ」
「そ、そんな大事なもの受け取れませんよ」
「どうせあたしが持っていても使わないものだからねぇ、装備も使われる方が嬉しいだろうさ。修行の記念品としてもらっておくれ」
最初は受け取ることを躊躇っていた恵菜だったが、ユーリエにそう言われて受け取ることにした。
「試しに着てみたらどうだい?」
恵菜は頷き、貰った装備へと着替える。
着替え終わった恵菜は、自分の姿をあちこち見まわしておかしなところがないか確認していたが、まるで魔女の真似をしているような自分の恰好を見て少し顔が赤くなる。
真似事ではなく恵菜は魔術師そのものなのだが。
「ど、どこかおかしいところはありますか?」
「いや、良く似合ってるよ」
どうやらどこもおかしなところはないようでホッとする。試しに軽く周囲を動き回るが、動きにくさは感じなかった。
「動きやすいですね、これ」
「そりゃそうさ、魔法を付与した糸や皮を使っているから軽くて丈夫なんだ」
ユーリエの説明を聞いても価値が分からない恵菜だが、貴重なものであることはなんとなく分かる。
「こんな良いものを……ありがとうございます」
「いいってことさ」
貴重なものをくれたユーリエに対し恵菜は感謝するが、ユーリエはこれくらいどうってことはないといった感じだ。
実際どうということはないのだろうが、恵菜にとってはとても嬉しいプレゼントになった。
「さて、他にも必要なものはさっさと準備しておかないとねぇ」
「え、これだけでも十分なんですけど……」
「何言ってるんだい、旅には食料や非常用のポーションが必須。それに、エナは無一文だろう? 街に着いてからお金は必要になるよ」
「うっ……」
ユーリエの指摘に言葉が詰まる恵菜。
食料は道中の森で何とかなるかもしれないが、その他は全くと言っていいほどアテがない。
「……すみません、ずっと頼りっぱなしで……」
「なに、子供は大人を頼るもんだよ」
「……ありがとう、ございます」
頼もしいユーリエの言葉に、またしても涙が零れそうになる恵菜だったが俯きながらも感謝の言葉を紡ぎだす。
最初から最後まで世話になってしまったユーリエに対し、恵菜は頭が上がらなかった。
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次の日の朝、ユーリエの家の前には出発の準備を整えた恵菜がいた。
見送りにはユーリエだけでなく、海にはいつものイルカもいる。
旅に出ることを昨日伝えたところ、態々見送りに来てくれたようだ。
因みに、ユーリエとイルカの関係だが、恵菜を助ける以前からの知り合いらしく、偶にイルカが魚を持ってきてくれている。
時々ユーリエが作る食事の中に魚料理があったのはイルカのおかげだったことを、恵菜は最近まで知らなかったため、修行以外にもお世話になっているとは思っていなかった。
ここまで貢献してきたイルカもユーリエと同じように、恵菜の師匠ということになるのかもしれない。
ユーリエと違ってやたらとフレンドリーではあるが。
「イルカさんも、私の見送りに来てくれてありがとう」
恵菜がイルカに近づいて感謝すると、イルカもキューと鳴いて片方のヒレを差し出してくる。
どうやら握手のつもりらしく、恵菜はそれを軽く握る。
「じゃあ行ってくるね、イルカさん」
その言葉に、今度はイルカがバイバイをするようにもう片方のヒレを振る。
もはや人がイルカになったと言われても納得してしまいそうな程、人間らしい仕草をするイルカである。
「もういいのかい?」
「はい、昨日いっぱい遊びましたから、後はお別れの挨拶だけでしたし」
「ふふっ、そうかい」
恵菜はユーリエの方へ向き直り、姿勢を正して頭を下げる。
「ユーリエさん、今までありがとうございました! いつ終わるかは分かりませんけど、いつか旅が終わったら絶対に会いに来ます!」
「あぁ、今以上に成長した姿を楽しみにしているよ」
そして頭を上げた恵菜にユーリエが手を差し出す。恵菜はそれをしっかりと握る。
「いってきます」
「いってらっしゃい、頑張るんだよ」
「はい!」
元気に挨拶をした恵菜は街を目指し、森へ向けて歩き出す。
時折振り返ると、ユーリエとイルカが手を振っているのが見え、恵菜も手を大きく振り返す。
ユーリエとイルカは、恵菜の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
長かった修行も、やっと終わり。
何とか今日中に更新できました。
次話は明日投稿予定です。
行間を調整しました。(2023/7/2)