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貴重な体験

引き続き、恵菜視点です。

 後ろを振り返ってみる。


……誰もいない。


 いや、むしろそれが当然だよね。逆に誰かがいる方がおかしい。だって、ここは地面よりも高い場所なんだから。


 それじゃあ、さっき聞こえたのは? 空耳にしてはやけにハッキリと聞こえたあの声は一体誰が?


 空を飛べる人が私以外にもいて、偶然この場にいる私を見つけて声を掛けたとか? 可能性は限りなくゼロに近いけど、確実にゼロと言えるわけじゃない。

 それでも、周りには誰もいないし、近くに誰かがいる気配も感じない。隠れてるとしても、私に見つかりたくないのなら、そもそも声を掛ける必要がない。


 つまり、さっきの声は人じゃない? だとすれば……魔物?


 あり得なくはない。数日前のガーゴイルみたいに、この世界には空を飛ぶ魔物がいる。それに私が知らないだけで、姿や気配を消せる魔物だっているかもしれない。

 そう思うと、体の内側から不安が一気に溢れ出してきた。


「は、早くここから離れないと……」


 そんな魔物がこの場にいるのなら、いつどこから襲われても不思議じゃない。どこにいるか分からない以上、私の方から攻撃することもできない。


 でも、ここでずっと留まってるのは間違いなくマズイ気がする。


 急いで逃げるために、私はランドベルサがある方角へと体を百八十度回転させる。


『ドウシタノ?』


「うわっ!」


 そうした瞬間、またしても誰かに話しかけられた。しかも今度は自分の目の前――それこそ顔と顔がくっつきそうな位の距離に、その声の主の顔があった。

 そのあまりにも予想外の事に驚いちゃったせいで、集中力が一気に霧散した。


「っきゃああああ!」


 今まで体を浮かべていた二つの魔法がなくなったことで、私の体は真下にある湖に向かって落ちていく。

 なんとかもう一回魔法で浮き上がろうとしてみたけど、大きくバランスを崩してるこの状況じゃどうやっても上手くいかなかった。


 次第に湖面が近づいて来る。いくら水の上といっても、こんなに速いスピードでぶつかったら……


 初めてこの世界に来た時も同じ様な経験をしたけど、だからといって二度目は大丈夫かと言われると全然そんなことはない。むしろその逆。慣れるものじゃないし、あんなに痛い思いをするのはもう嫌だ。

 だけど、どれだけ頑張ってみてもさっきまで自然にできていたことが上手くできない。そうしている間に、水面がすぐそこまで迫ってくる。


 今から飛び上がるのは間に合わないし、もう水面に激突するのは避けられない。落下の衝撃に備えて体を魔力で覆う。


 でも、想像していた程の衝撃が襲ってくることはなかった。


「へ?」


 またしても起きた予想外の出来事に、思わず呆けた声が出る。


 水の上に落ちた私の体を、液体であるはずの水が包み込むように受け止めていた。ゲル状になった水はまるで弾力のある枕の様で、体が湖の底へ沈むこともなかった。


 日本にもこんな感じのソファがあった気がする。友達の家にもあったはずなんだけど、名前って何だっけ?


『ダイジョウブ?』


 そんなことを考えていたら、頭上から声が降ってきた。

 見上げると、十数秒前まで目の前にいたソレが私のことを物珍しそうな目で見下ろしていた。


 男の子か女の子か判別しづらい――でもどちらかと言われれば女の子っぽい――中性的で幼げな顔つき。背丈も人の子供ぐらいの大きさで、体の周りに羽衣みたいな薄い布を纏っている。


 これだけなら空中に浮いてる以外は人間と一緒。まあ、それも別に不思議な事じゃない。私もさっきまで浮いてたし、多分まだ人間の範疇を超えていないと思う。

 だけど、絶対に人間じゃないって断言できる。


 どうしてかって? だって、体全体が透き通ってたから。


 普通なら隠れて見えないソレの後ろの景色が、青みがかった体を透して薄らと見えている。絶対に人とは別の生き物……いや、むしろ生き物であるかどうかすら怪しい。


 これは俗にいうお化けってやつかな? 私はお迎えされるにはまだ早いよ?


『ヤッパリ、コトバ、分カラナイ?』


 私が何もしゃべらないでいると、ソレは不思議そうな表情で語りかけてきた。


 でも、どうしてだろう。少しだけ残念そうにも見える。

 私が黙ってるのを、言葉が理解できてないからだって勘違いしたのかな。それで残念そうにしてるってことは、私と話がしたいってことなのかもしれない。


 フルンの時みたいにいきなり襲ってくる様子もないみたいだし……悪い存在には全然見えない。話も通じるっぽい。それならしゃべってみれば、相手のことを知ることができる可能性がある。


「……ううん、分かるよ。あなたが言ってる言葉」


『…………』


 勇気を出してしゃべりかけてみると、ソレはビックリしたような表情へと変わった。だけど、何も言葉を返そうとはしてこない。


 何でだろう。相手のしゃべってる言語で話しかけてるはずなんだけど……


『ホントニ……?』


「え?」


『ホントニ、ワタシノ、コトバ、分カルノ?』


 しゃべり慣れていないのか、たどたどしい話し方。確認するようなその声は小さくて聞き取りづらかった。

 だけど、相手が誰であっても、発するモノが言葉であるなら正しく理解できる。


「分かるよ。ちゃんと通じてる」


『スゴイ……セイレイゴ、話セルンダ』


 セイレイゴ? 精霊語ってことかな? また新しい言語が出てきたね。


 私は全部の言語を理解しているってだけで、言語の歴史については全く知らない。

 その言語がどういう経緯で生まれたのか。その言語がどこで使われているのか。そういったことはチンプンカンプンだ。


「精霊語を話せる人って少ないの?」


『分カラナイ。ケド、見タノハ、キミガ、ハジメテ』


 ソレの言っていることから判断する限り、精霊語を話せる人は少なさそう。


 フルンの時の神聖語みたいな感じかな。この世界二つ目のレア言語だね。


「そうだ。もしかして、この水ってあなたのおかげ?」


『ソウ。キミ、急ニ、落チテッタ、カラ』


 気になっていたことを思い出して訊いてみると、予想通りの答えが返ってくる。どうやら私を助けてくれたみたいだ。


「ありがとう。おかげで怪我をしないで済んだよ」


 いくら魔力で防御していたとはいっても、あのまま水面に激突していたら大怪我をしていたはず。たぶん死ぬことはなかったと思うけど、それも絶対じゃない。


『ウウン、驚カセタノ、ワタシ、ダカラ。エット……』


「あ、私は霜月恵菜って言うの。恵菜って呼んでね」


『分カッタ』


「そうだ、良かったらあなたのことも教えてほしいな」


 いつまでも「ソレ」や「あなた」って呼ぶのは可哀そうだよね。

 それに、目の前の存在が何なのかも気になってしょうがない。話の流れ的に考えて、相手のことを訊くのは今がベストなはず。


『ワタシ、ウンディーネ』


「ウンディーネ……それがあなたの名前?」


「ウウン。ウンディーネハ、ミズノ、ダイセイレイノ、コト」


 ミズノダイセイレイ……水の大精霊?


 あまり詳しく知らないけど、たしかこの世界には精霊って存在がいて、各属性の魔法に大きく関わっていると言われていたはず。大精霊はその精霊の纏め役。同じ属性の精霊の中で一番偉い――いわゆるリーダー


的な存在だったような……


 まぁ、それはいいとして。


 私の知識が正しいのなら、ウンディーネというのは大まかに言えば種族を意味する言葉であって、名前じゃない。


「それじゃあ、あなたの名前は?」


 言葉を話せるなら、フルンの時みたく名前も持っているかもしれない。名前があるなら、ウンディーネと呼ぶよりそっちの方がいい。人のことを「人」って呼ぶのはおかしいもんね。


『ワタシ、名前、ナイ』


「え、そうなの?」


『ソウ。ワタシ、コノ前、ウンディーネニ、ナッタ、カラ』


「精霊から大精霊になったばっかりってこと?」


『ウン』


 それから少し話を聞くと、大精霊という存在がどういうものなのか少しずつ分かってきた。


 簡単に説明すると、精霊は曖昧な存在で、知能もあまり高くないらしい。言語によるコミュニケーションも難しくて、お互いに名前で呼び合うようなことはしない。

 そんな精霊は時間と共に成長していって、特に強い力を持つ精霊は大精霊になる。大精霊になると知能も高くなって、精霊語でしゃべることもできるとのこと。

 ちなみに、そういった知識や精霊語は大精霊になった時に自然と身についているらしい。不思議な事もあるんだね。


 ただ、目の前のウンディーネは大精霊になったばかりだから、名前は持っていないみたい。


「それならどうやって名前を決めるの?」


『分カラナイ。ケド、ナカッタラ、困ル?』


「うーん、他の精霊がどうなのか分からないから何とも言えないけど、無いと不便だと思うよ? 私もあなたの事をどう呼べば良いのか分からないし……」


 名前は大事だ。相手との距離を詰めるために自己紹介をする時も、まずは名前から教えるしね。


『ソレナラ、エナ、ワタシニ、名前、ツケテ』


「……はい?」


恵菜に降りかかる試練(?)。

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