模擬戦
イルカが魔法を使えると発覚したその日の夜、恵菜はベッドの上でその日の出来事を思い返していた。
(イルカさん、どうやって詠唱もしないで魔法が使えたんだろう?)
魔法には詠唱が必須だと思っていた恵菜は、魔法を使う際には必ず古代語の詠唱を行っている。
しかし、イルカが魔法を発動した時に詠唱を唱えていた様子はなく(そもそも話すことすらできない)、その事が恵菜の心に引っかかっていた。
(そういえば、ユーリエさんが料理しているときも詠唱はしてなかったような……)
今度は初めて魔法を見た光景を思い出す。
あの時、ユーリエは鍋に火をかける際に詠唱を使っていなかった。
詠唱を聞き逃した可能性はあるが、料理の際にユーリエの詠唱を聞いたことが一度もない。
考えているうちに、もしや詠唱がなくても魔法は発動できるのではないかと恵菜は推測するようになる。
しかし、どうすれば詠唱せずに魔法を発動できるか思いつかなかった恵菜は、明日の朝ユーリエに聞いてみることにして布団の中に潜り込むのだった。
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「あぁ、確かに詠唱をしなくても魔法は使えるよ」
翌朝、朝食の後でユーリエに詠唱のことを聞いてみると、恵菜が考えていた通りの答えが返ってきた。
「どうして最初に教えてくれなかったんですか?」
「何事も基礎が大事だからね。魔法をちゃんと扱えるようになるまで、エナに教えるのは早いと思ったのさ」
魔法を発動する場合、大きく分けて三つの発動方法がある。
一つ目は、恵菜のように詠唱を全て唱える方法である。
魔力の魔方への変換効率が良く、詠唱を正しく唱えられていれば安定した威力を発揮できる。
そして、二つ目が詠唱の一部を省略して魔法名だけを唱える方法だ。
こちらは前の方法に比べて詠唱量が減った分早く発動できるが、詠唱を省略しなかった場合と比べると、魔力の変換効率は悪く、威力の安定性も少し下がる。
最後に、三つ目が詠唱を全く行わない方法だ。
魔力の変換効率は全ての中で一番悪く、場合によっては魔法が発動しないこともあるが、慣れれば三つの方法の中で魔法の発動が最も早く、相手に自分が使う魔法を悟らせにくくできる。
三つともメリットとデメリットが存在するが、難易度は詠唱を行う方法が最も簡単で、無詠唱が最も難しい。
ユーリエはまず魔法を使えるようになることからと考え、最も基本的で多くの人が用いている、詠唱して魔法を発動させる方法から教えることにしたのだ。
基本が大事だというのは恵菜も同じ考えなので、その説明を聞いて納得する。
「無詠唱で魔法を使うにはどうすればいいんですか?」
「無詠唱を知ったばかりなのに、そんなに気になるのかい」
恵菜の輝く目を見て、やれやれと首を振りながらユーリエは説明する。
「詠唱省略や無詠唱で一番重要なのが魔法のイメージだよ。それも大雑把なイメージじゃだめだ。どんな魔法を使いたいか、どう魔力を魔法に変換するか、どこに発動させるかという感じに、しっかりと頭に思い描かないと魔法は発動しない」
詠唱を行う場合、詠唱が大体の役割を担っているため、イメージはそれ程重要ではない。
しかし、詠唱が完全でない詠唱省略や無詠唱の場合、自分自身でその役割を補う必要があり、イメージが重要となってくるのだ。
イメージが上手くいかないと魔法は発動しないし、魔法が発動したとしてもイメージに時間がかかってしまえば、詠唱するより発動が遅くなってしまう。
そのため、実用的なレベルで使えるようになるまでには鍛錬が必要だ。
「ま、使えなきゃ駄目というほど必須でもないから、別に無理して覚えなくてもいいんだがねぇ」
ユーリエはそう言うが、恵菜は心の中にある修行目標の一つに無詠唱の習得を追加し、早速今日の練習から試してみることにする。
早く修行を終えて旅に出たいのはやまやまだが、気になったことは放置しておけない恵菜の性格上、どんどん目標が増えていくのだった。
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「遠慮はいらないからね、準備はいいかい?」
「はい、よろしくお願いします」
恵菜が無詠唱について知ってから数ヶ月経っただろうか。
現在、ユーリエと恵菜は少し離れて向かい合っていた。
今日は恵菜がどれくらい魔法を使えるようになったのか確認するための模擬戦の日である。
本来ならば、この数ヶ月の間に何度か模擬戦を行う予定だったのだが、恵菜はまだ練習でやらなければいけないことが残っていると説明して、ユーリエとの戦闘を延期し続けていた。
こうして模擬戦を行うようになったということは、あれから魔法の腕が上がったということだろう。
「どれくらいの実力をつけたのか楽しみだよ。『我が魔力を風球に ウィンドボール』」
小手調べに、ユーリエが風属性最下級魔法のウィンドボールを恵菜に向けて放つ。
ウィンドボールの威力はそれ程高くはないが、魔法の弾速が速いため、牽制に適した魔法である。
模擬戦の際に何度もその魔法を見てきた恵菜は、危なげなくそれを躱しながらカウンターの魔法を詠唱する。
『風は全てを切り裂く刃となれ ウィンドカッター』
恵菜が唱えた魔法はユーリエと同じ風属性だが、ウィンドボールよりも威力が高い下級魔法のウィンドカッターだ。
当たり所が悪いと致命傷に成り得る魔法だが、ユーリエはその魔法が来ることを予測していたのか、同じウィンドカッターの魔法を当てて相殺する。
「どうやら牽制への対処は身についてきたようだね」
魔術師同士が戦う場合、基本的には威力の低い魔法の牽制合戦となることが多い。
中級以上の魔法を唱えようとすると、ほぼ間違いなく発動前に、相手から妨害するための魔法が飛んでくるからだ。
威力の高い魔法を準備するためには、相手から妨害されない状況を作りだす必要があり、先手を取られた場合は、対処法を誤ると一気に不利になる。
模擬戦を始めたばかりの頃だと、恵菜はこの対処が上手くいかないことがあり、酷い時は最初の一撃で決着することもあった。
それが今では、牽制にカウンターを撃てるまでに成長している。
それを確認したユーリエは、これからが本番だとギアを上げる。
『我が魔力を水球に アクアボール』
ユーリエが唱えたのは、先程のウィンドボールと属性が異なるアクアボールだが、ユーリエの周りには三つのアクアボールが出現し、異なる軌道で飛びながらも全てが恵菜へと向かっていく。
魔法を同時に複数発動することは、誰でも簡単にできるものではない。
複数同時発動の場合、詠唱だけでは全てを補うことはできないため、詠唱を唱えたとしても、一つ発動する時以上に消費される魔力量の調整や、発動のイメージが必要となるからである。
三方向から迫るアクアボールに対し、回避は難しいと判断した恵菜は魔法を詠唱する。
『大地の壁よ 我を守りたまえ アースウォール』
恵菜の身長よりも高い土の壁が目の前に出現し、三方向から飛来する魔法を阻む。
魔法を防ぐことを考えた場合、攻撃魔法による相殺か防御魔法を使うといった方法がある。
恵菜がユーリエを攻撃した時は相殺されたが、あの時と違って襲ってくる魔法は三つだ。
相殺に自信がないわけではないが、恵菜は安全を重視して防御魔法を選択したのだ。
『我が望むは水の槍――』
「っ!」
だが、ユーリエの次なる詠唱を聞き、恵菜は自分の選択がミスだったことを悟る。
防御魔法で魔法を防ぐことは成功したが、同時に恵菜の視界もアースウォールで塞がれ、ユーリエの動作が見えなくなってしまった。
ユーリエの詠唱を妨害しようにも、自分で作った壁が邪魔して狙いを付けられない。
ユーリエが詠唱している魔法は中級魔法のアクアランス。今までの魔法とは文字通り格が違う。
魔法は強さ毎にランクがあり、下から順に、最下級、下級、中級、上級、最上級となっている。
模擬戦で使える魔法は中級までとしているため、ユーリエが今詠唱している魔法がお互いの使える最高ランクの魔法ということになる。
今から同じランクの魔法を唱えていては間に合わないと判断した恵菜は、消費魔力を増加させて、先程よりも強い強度を持つアースウォールを準備する。
『鋭き槍は全てを貫く アクアランス』
ユーリエの詠唱が完了してアクアランスが発動するとほぼ同時に、恵菜のアースウォールも発動する。
アクアランスがアースウォールにぶつかった瞬間、周囲に大きく鈍い音が響き、アースウォールが半分ほど抉られる。
アクアランスは勢いそのままにアースウォールを少しずつ貫いていく。
そのまま壁を突き破っていくかと思われたが、あと少しというところでアクアランスは勢いがなくなり消滅した。
強めの魔力を込めたつもりだった恵菜だが、意外と危なかったことを悟り冷や汗が流れる一方、ユーリエも自分の中級魔法が下級魔法で防がれたことに少々驚いていた。
異なるランクの魔法同士がぶつかった場合、魔術師の実力や魔法に込めた魔力量にかなりの差がない限り、確実にランクが上の魔法が勝つ。
それ程までにランクというのは重要な差なのである。
現役だった頃より衰えたとはいえ、ユーリエの魔術師としての実力はいまだ健在だ(少なくとも本人はそう思っている)。
それにもかかわらず、魔法を扱い始めて半年程の恵菜が下級魔法で中級魔法を防げたのは、アースウォールに込められた魔力量が非常に多かったからだろう。
「今度はこっちの番ですよ。『ダークミスト』」
ユーリエの隙を突いて先手を取った恵菜は、闇属性最下級魔法のダークミストを発動する。
詠唱を省略したとは思えない程の規模で広がる真っ黒な霧がユーリエを巻き込んでいく。
(何故ダークミストを?)
ユーリエは恵菜の行動の理由が分からないでいた。
ダークミストは発動した場所の周囲を暗闇で覆う魔法であり、この魔法自体に攻撃性は皆無である。
逃げる時の目くらましとして用いられることは多いが、今回の模擬戦では逃げる必要がない。
だとすれば姿を隠し、ダークミストの効果がなくなってからの不意打ちが目的だろうとユーリエは推測する。
(でもそう簡単にはいかないよ)
ユーリエは魔力を目に集中し始める。
すると、ユーリエの視界に、先程まで恵菜がいた位置と同じ場所にぼんやりと人影が映る。
これは魔力を体の一部に集めることで身体能力を高める魔力制御の応用技術だ。
魔法と違って魔力を消費しないが、強化中は魔力をずっと維持し続けないといけないため、意外と集中力が必要となる。
それでも、使いこなすことができれば非常に便利な技術であり、砂浜で倒れていた恵菜をユーリエが運ぶことができたのは、この魔力による強化のおかげである。
しばらくすると目も闇に慣れてきたのか、恵菜の人影がくっきりと浮かび上がってきた。
ここまで恵菜の位置がはっきりと分かっているのなら、こちらから仕掛けることができる。
そう考えたユーリエは魔法を詠唱し始める。
『我が望――』
「そこっ!」
「!?」
詠唱を始めた瞬間、見計らったかのようなタイミングでユーリエの前に強い光が輝いた。
恵菜が発動した魔法は光属性最下級魔法のライト。
これも攻撃性はなく周囲を照らすだけの魔法だが、闇に目が慣れたユーリエは、その眩しさで一時的に目が見えなくなる。
(まさか、これを狙って――)
ダークミストは不意打ち目的ではなく、あくまで目くらましのための前準備であり、恵菜は簡単に抜け出せないよう広範囲に展開したのだ。
そして、ユーリエの目が慣れてきたところに強い光を発生させることで、ユーリエの視界を奪ったのである。
ユーリエは自らの推測が間違いだったことに気づくが、手遅れである。
一時的とはいえ、この状況で目が見えないというのは致命的だ。
ユーリエが視力を取り戻す頃には恵菜が目の前で指を突き付け、魔法をいつでも撃てるように準備していた。
「私の、勝ちですよね?」
「……あぁ、あたしの負けだね」
ユーリエの降参を聞き、恵菜は指を下ろす。ユーリエに初めて勝ったことで気が抜けかけた恵菜だが――
「――だけど、敵を目の前にして油断はよくないねぇ」
「え?」
次の瞬間、恵菜は吹き飛ばされ、砂浜を転がって砂まみれになっていた。
何が起きたのか一瞬分からなかったが、ユーリエに風魔法で吹き飛ばされたことを理解する。
「えっと、ユーリエさん? 今、私の勝ちだって……」
「あぁ、確かにさっきのはエナの勝ちさ。だけど、相手がまだ反撃可能な状況で気を抜いちゃあダメさ」
「でも、負けを認められたらそれ以上続けられないんじゃ……」
「世の中にはね、ずる賢い連中もいるもんさ。負けを認めたと思ったら不意をついてまた襲ってきたり、後ろから別の奴に襲いかかってくるような奴もいる。どんな時でも油断しないことだよ」
その説明を聞き、納得できるけど納得いかないという複雑な気持ちを抱く恵菜。新たにこの世界の理不尽さを学ぶことになった。
「さぁ、世界を旅したいんだろう? だったら、これぐらいで弱音なんて吐いてられないよ、もう一戦だ」
「そんな~……」
結局、恵菜は初勝利の喜びに浸る間もなく、またユーリエと戦うことになるのだった。
油断大敵?
次話は明日投稿予定ですが、もしかすると明後日になるかもしれません。
行間を調整しました。(2023/7/2)