魔法と言語能力
右手に集まっていた魔力を、ユーリエに指示された量だけ左手に移動させ、今度は体全体を魔力で覆う。
ユーリエの目から見ても、恵菜の体を覆う魔力には一切のムラがなかった。
「――うん、どうやら魔力の扱いは完璧みたいだね」
恵菜の魔力の扱いを見て、ユーリエはウンウンと頷く。
イルカの助力もあって、修行を初めて一ヶ月後には、恵菜は自在に魔力を操れるようになっていた。
「修行を始めてから一ヶ月、平均より少し早く習得できたといったところだねぇ。とは言っても、ここまで精密な魔力操作ができるようになるとは思わなかったよ」
ユーリエから褒められた嬉しさから、恵菜の頬に少し赤みが増す。
簡単な魔力操作ができることのみを目標としていたのなら、一ヶ月の半分だけで事足りただろう。
しかし、恵菜が内容に拘った結果、魔力操作の腕前は平均をかなり上回っているようだ。
「さて、これなら次の段階へ進んでも問題なさそうだね」
ユーリエの言葉に、恵菜は待ってましたと言わんばかりの表情を隠しきれない。
しかし、恵菜が楽しみにするのも無理はなかった。
今までは魔法を使えるようになるための準備段階みたいなもので、実際に魔法を使っていたわけではない。
ついに魔法を使える時が来たのかと思うと、楽しみでしょうがないのだろう。
「期待に満ちた顔をしているようだけど、修行はここからが本番なんだよ。恵菜にやってもらう次の修行は、詠唱を習得してもらうことだ」
「……魔法じゃないんですね」
ユーリエから次なる修行内容を聞かされ、魔法を使う修行ができるとばかり思い込んでいた恵菜の表情が曇っていく。
「そう落ち込みなさんな。詠唱は魔法に直結する程、とても重要なことなんだからね」
ユーリエは恵菜を励まし、詠唱に関する説明を始める。
「初心者が魔法を発動するために必要なもの、それが詠唱だ。各々の魔法には、それに対応する詠唱があってね、その詠唱を唱えることで魔法が発動するんだ。そして、詠唱には古代語を使わないといけない」
「古代語、ですか?」
「昔は日常的に広く使われていたようだけど、今は魔法の詠唱にしか使われなくなった昔の言語さ」
因みに、今ユーリエと恵菜が会話に用いている言語はフリフォニア語で、フリフォニアのほとんどの人がこの言語を使っている。
「エナの次の課題は、古代語を使った詠唱を覚えることだよ」
それを聞いて恵菜のテンションがさらに下がる。
まさかこっちの世界でも暗記じみた勉強をすることになるとは思っていなかったのだ。
「この本が魔法の詠唱と古代語に関して書かれたものだよ」
そう言ってユーリエは、厚めの古い本を恵菜に渡す。
教科書にしか見えないそれを受け取った恵菜のテンションは、スカイダイビングをするかのように猛スピードで急降下中だ。
それでも、必要なことだと自分に言い聞かせて、試しに最初のページを開いてみる。
「エナ、その本が読めるかい?」
「あ、はい、読めます」
「まぁそうだろうね、異世界人だからちょっとは期待したけど、古代語は難しいから読めないのも無理は……何だって?」
聞き間違いかと思い、ユーリエが恵菜の言葉を聞きなおす。
「いえ、ですからちゃんと読めますし、たぶん話すこともできますよ」
「そ、そんなバカな! 初歩の魔法が使えるぐらいの古代語を習得するのですら、最低でも一、二年はかかるんだよ! ましてや、魔法を知らないエナが古代語を習得しているはずないじゃないか!」
恵菜が古代語を読めると言ったことが信じられないのか、ユーリエは今までに見たことがない程にパニック状態になっている。
恵菜は自分の言っていることを証明するために、開いてあった本のページに古代語で書かれた詠唱を、同じく古代語で読みあげる。
『我が魔力を火球に ファイアーボール』
しかし、詠唱を唱えても何も起こらない。
何か間違えたのかと恵菜は本の詠唱文を見直してみるが、どこも間違えてはいなかった。
不思議に思っていた恵菜だったが、突然頭を軽い衝撃が襲う。
ユーリエが恵菜の頭を杖で叩いたのだ。
「これっ、いきなり火属性の魔法なんか詠唱するんじゃないよ! 魔法が暴発したらどうするんだい!」
「す、すみませんでした……」
少し痛む頭を両手で押さえながらも、自分が迂闊な行動をとったと認識した恵菜は素直に謝る。
恵菜が唱えた魔法は、火属性の最下級魔法の一つであるファイアーボールだ。
今回は恵菜が魔法の使い方を知らなかったため何も起こらなかったが、もし発動していれば、ユーリエの家が火事になっていただろう。
「それにしても、まさか本当に古代語を使えるなんてねぇ……」
ユーリエは先程よりは落ち着いているものの、未だに驚いたような表情だった。
それもそのはず。恵菜の先程の詠唱は、ユーリエが聞いても完璧な古代語だったのだから。
「あの、さっきは何で魔法が発動しなかったんですか?」
「さては何も考えずに詠唱しただろう? 魔法を使うという意思を持ち、どれだけの魔力量を使うか制御しないと魔法は発動しないよ」
恵菜はその説明に納得する。
詠唱を唱えただけで魔法が発動するのなら、この世界では魔法の暴発事故が多発していたことだろう。考えただけでもぞっとする光景である。
「でも、さっきのファイアーボールの詠唱は完璧だったよ。エナはどこまで古代語が分かるんだい?」
「そうですね……ここに書いてある本の内容ぐらいは全部分かると思います」
本のページをパラパラとめくりながら自信満々に答える恵菜に、ユーリエはもはや驚きを通り越して呆れてしまう。
古代語を完璧にマスターしようと思ったのなら、物覚えの良い子供の頃から習得を始めたとしても何年かかるか分からないからだ。
「古代語が完璧なら魔法の習得も早そうだねぇ……」
頭が痛くなってきたユーリエだったが、修行の時間が短くなったと考えれば良いかと一人納得していた。
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『我が魔力を水球に アクアボール』
恵菜の目の前に水の球が出現し、砂浜に書いておいた目印へと飛んでいく。
それを確認した恵菜は、今度は動きながら次の魔法を唱え始める。
『風は全てを切り裂く刃となれ ウィンドカッター』
神様にもらった能力によって古代語を完璧に使える恵菜は、あれからユーリエに借りた本の内容を熟読し、魔法を実際に使用できるまでになっていた。
今では同じ魔法であれば複数同時に発動することもできる。
普通ならここまで魔法を扱えるようになるまで数年かかってもおかしくはないが、恵菜の努力と幸運の賜物か、修行を始めてからまだ三ヶ月しか経っていない。
現在行っている恵菜の修行は、基本的に今やっていることの繰り返しである。
立ち止まったり動き回ったりしながら、目標を定めては魔法を飛ばし、それを魔法が使えなくなる一歩手前まで続ける。
一度限界まで魔法を使ったこともあったが、その時は眩暈がして立っていられなくなった。
砂浜の上で倒れてしまうことになって以来、限界以上の魔力消費は避けるようにしている。
そして、修行を続けているうちに、使える魔法の回数も徐々に増えていることに恵菜は気づいていた。
気づいた当初は不思議に思っていたが、筋力トレーニングと同じで反復して使っているうちに、自分の魔力量も増えていっているのではないかと考え、それからは限界の一歩手前までというスタンスを貫いている。
恵菜のこの考えは正しいのだが、ユーリエは今の魔力量でも十分だと思って教えていなかった。
その結果、ユーリエの知らないところで、恵菜の魔力量がとんでもないことになりつつあった。
しかし、魔法が使えるようになっても、未だに恵菜は魔法の練習中である。
その理由は偶にユーリエと行う模擬戦だ。恵菜がある程度魔法を使えるようになったのを見計らって、本格的に戦闘訓練を取り入れたのである。
だが、模擬戦を初めてから今までの間で、恵菜はユーリエに勝てていないどころか、まともなダメージを与えることすらできていない。
それに対して、恵菜は毎回着ている服(制服はあまり汚したくないため、ユーリエから借りたもの)ごとボロボロになっていた。
魔法の実力もそうだが、戦闘の経験が違うのだ。
ユーリエは一応重傷を与えることのないようにはしてくれているし、模擬戦後は恵菜の傷を魔法で回復させてくれるが、意外とユーリエは容赦がない。
その模擬戦を続けているうちに、いつしか恵菜の目標は、魔法を使えるようになることからユーリエに認めてもらえることになっていた。
「あ、イルカさんだ」
先程から魔法の練習を続けていた恵菜だったが、視界の端にピンクの背びれを発見する。
イルカに助力してもらったあの日から、ほぼ毎日のようにイルカは恵菜のところに訪れるようになっていた。
恵菜は修行を一旦中断してイルカに近づき挨拶をすると、イルカもキューと返事をする。
「今日も遊びたいの?」
恵菜の言う通り、イルカは毎回恵菜と遊びたがる。しかし今はまだ練習の途中だ。
「う~ん、今はまだ魔法の練習中だからもう少し待っててね」
それを聞いたイルカが顔を傾ける。
まるで首を傾げるようなその仕草が可愛らしく、恵菜は思わず頬が緩みそうになるが、何とか堪えて説明する。
「今ね、魔法を目印に当てる練習してるの。私が魔法を使ってもユーリエさんに全然当たらないんだ」
ユーリエの年を恵菜は知らないが、お世辞にも若いとは言い難い。
だが、模擬戦の時のユーリエは、何故そんなに早く動けるのか分からないほど早く動いて恵菜の魔法を悉く回避するのである。
だからこそ恵菜は訓練の際に、自らが動きながら魔法を撃つ練習していたのだが、目標が動くのと動かないのではまるで違う。
「目標も本当は何か動くものであればいいんだけどね」
ない物ねだりするように言う恵菜だが、それを聞いたイルカがまかせろといった感じでヒレを振る。
「いやいやいや、イルカさんを狙って魔法なんて使えないからね?」
まさかイルカ自ら体を張って目標になるつもりかと思った恵菜は焦りながらそう言う。
イルカも自ら目標になる気はないようで、左右のヒレでバツ印を作っている。
「? 何かいい方法があるの?」
イルカの考えが分からない恵菜がそう尋ねると、以前恵菜に魔力を教えてくれたようにイルカが光り始める。
しばらくその様子を見ていると、恵菜の目の前に水でできた球体が出現する。水の最下級魔法のアクアボールだ。
「イルカさんも魔法が使えるの!?」
イルカは得意げにヒレを振る。
イルカが魔力を操れるだけでも驚きだったが、まさか魔法を使えるとは思ってもみなかった。
しばらく呆然としていた恵菜だったが、イルカが水球をヒレで指し示している事に気づく。
どうやら、これを目標として魔法の練習をしろということらしい。
「ふふん、それくらいの大きさだったら簡単に当てられるんだからね」
アクアボールは恵菜の肩幅程の大きさがあり、恵菜が練習に使っている目印よりもでかい。
恵菜は得意げにそう言い、水球から離れる。
今までイルカに驚かされっぱなしだったので、今度は自分が驚かせてやろうと考えているようだ。
十メートル程離れてから、恵菜は詠唱を始める。
『我が魔力を水に アクアボール』
イルカと同じ魔法を詠唱し、宙に浮かんだ水球に狙いを定めて撃つ。
真っ直ぐ目標に向かって飛んでいくアクアボールを見て命中を確信した恵菜だったが、水球が横に移動するのを見て唖然とする。
恵菜のアクアボールは、先程までイルカの水球がいた場所を通り抜けていった。
「なっ!?」
驚かせてやるつもりが、またしても驚かされることになった恵菜。
イルカはまるで笑うかのように左右のヒレ同士を叩いてキューキュー鳴いており、それを見て恵菜がムッとする。
今度は先程と同じアクアボールを複数展開し、イルカの水球に向けて再度飛ばしてみるが、あざ笑うかのように水球が全て回避する。
「もう! 絶対当ててやるんだからね!」
ムキになった恵菜は何度も魔法を水球に向けて撃ち続けたが、この日はついに当てることができなかった。
この日から、恵菜の魔法の練習はイルカが手伝う――イルカ自身は遊んでいる――ことになるのだった。
イルカさんは意外と高性能。
次話は明日投稿予定です。
一部表現を修正しました。(2017/5/7)
行間を調整しました。(2023/7/2)