二人の仲
トランナを出発して二日目、初日の昼の賑やか(?)な移動から一転、夜には静かなひと時が訪れていた。聞こえてくる音があるとすれば、どこかで鳴く虫の声か、恵菜の目の前で燃えている火から時折聞こえてくるパチッという音ぐらいだ。暗く静かな夜は不安を生み出すが、恵菜は目の前で燃えている火の光を見ているとそれが和らいでいく気がした。
現在、恵菜は護衛としての仕事の一つである夜の見張りの真っ最中だ。ケインス達は仮眠を取っており、見張りの間は恵菜が一人で火の管理と周囲の警戒をしなければならない。
ふと、恵菜は何かが近づいて来る気配を感じ取る。だが、その気配からは敵意は全く感じず、襲われる心配がないと判断した恵菜は座り込んだままだ。
「エナ~、そろそろこうた、い……?」
眠そうに眼を擦りながら起きてきたリアナが、何か変なものを見ているかのように目を細める。
「リアナさん。もう交代の時間ですか?」
「え、あ、うん。まぁ交代までもうちょっとあるはずだけど……って、そんなことより、それ何してんの?」
特にいつもと変わらぬ恵菜の様子に、思わず今まで凝視していたものから目を離してしまうが、すぐに気を取り直して恵菜の頭上を指さす。
リアナが指さす先には、恵菜の頭の上にふわふわと浮かんでいる水の球があった。
「これですか? アクアボールを頭の上で浮かべてるだけですよ」
「うん、それは見れば分かるわ。そうじゃなくて、何でそんな事してるの?」
恵菜は首を傾げながら説明するが、何の理由もなく水は空中に浮かばない。それに、恵菜が特に気にしていない事から、彼女が魔法を使っていることは容易に推測できる。当然リアナもそれぐらいは分かっているが、恵菜がそうしている真意が理解できない。
「えっと、いつの間にか寝ていたなんてことがないように、こんな感じで簡易的な目覚ましにしてます」
「…………」
少し恥ずかしそうに説明する恵菜に、呆れて何も言えなくなるリアナ。
神様からのプレゼントのおかげで、周囲の気配を簡単に察知できるようになっている恵菜にしてみれば、気配を完全に遮断できる敵でない限り、何かが近づいて来ようものならすぐに分かる。問題なのは、いつも寝ている時間に起きているせいで徐々に睡魔が襲ってくることだった。見張りが寝てしまって全員が寝込みを襲われましたという事になれば、次起きた時には目の前に神様がいたという事になりかねない。
実際、初日の見張りの際に一度意識を失いかけ、本気で危ないと感じた恵菜は何らかの対処法が必要だと考えた。今日の見張りでは、頬を抓る(短時間しか効果がなかったため却下)、体を動かす(ドタバタしていては休んでいる他の人に迷惑なので却下)、星の数を数える(逆効果)などといった事をあれこれ試し、最終的に恵菜が考え付いたのがアクアボールを頭上に浮かべるという単純な方法だった。
アクアボール程度ならば、恵菜は特に集中せずとも簡単に発動・維持することができ、魔法に集中し過ぎて見張りが疎かになるといったことにはならない。それではやはり寝てしまうのではないかと考えがちだが、仮にこの状態で恵菜が寝てしまった場合、意識が途切れて維持できなくなった水の球はそのまま落下して恵菜に直撃することになる。
また、そうしたプレッシャーが程よい緊張感を生み、恵菜が簡単に寝てしまわないような環境を作り上げていた。それでも一度ウトウトしてしまい、思いっきり水を被る羽目になってはいるのだが。
しかし、リアナが起きてきた今、このトラップにも近い目覚ましは必要がなくなり、恵菜はアクアボールを頭の上から移動させて地面に落とす。
「でも、私の見張り時間がまだあるようなら、もう少し起きてますね」
「別にもう交代してもいいのよ? どうせそんなに時間残ってないだろうし」
「いえ、自分の分は最後まで頑張ります」
「そう? ま、今からもう一回休む時間なんてなさそうだし、あたしも起きとくわ」
そう言ってリアナは恵菜と同じ様に火に近づいて地面に腰を下ろした。
その後、何とも言えない静寂が二人を包み込むが、それに耐えきれなくなったリアナが口を開く。
「エナ。あの時は、ごめん」
リアナの口から出た言葉は、謝罪の言葉だった。最近何か謝られるような事をされた記憶がない恵菜の頭に疑問符が浮かぶ。
「あの時?」
「ギルドであたしがエナに勝負吹っ掛けた時の事よ。色々酷い事言っておきながら、まだ謝ってなかったでしょ? 遅すぎると思うかもしれないけど、やっぱり何も言わないのも良くないから……」
リアナからそう言われて、恵菜は先日の事を思い出そうとする。勝負の後に感謝はされたが、確かに謝られた覚えはない。
だが、謝られていないからといって、恵菜はリアナの事を憎んではいない。既に過ぎた事であり、今も何のことか忘れていたくらいなのだ。
「もう気にしてませんから、大丈夫ですよ」
「ほんとに?」
「はい。むしろ、勝負の時に怪我をさせた私の方が申し訳ないというか……」
「いや、あれはあたしの自業自得でしょ。大見得切っておきながら魔法の押し合いで負けるとか……うわ、思い出したら恥ずかしくなってきた」
俯きがちになりながら両手で顔を覆うリアナ。火の光で照らされている頬が若干赤く見えるのは気のせいではないだろう。
「あれはリアナさんの詠唱が完璧だったら良い勝負になったと思いますよ」
「……どうかしらね。そうだ、その詠唱の発音が間違ってたっていうのはどの辺? あたし一人じゃ全然分からないんだけど」
「えっとですね――」
そこからは、二人の魔術師による魔法談義が始まった。といっても、その様子はリアナが詠唱をしてみて恵菜が間違い箇所を指摘するという、師匠が弟子に魔法を指導するのに近い光景だ。その師匠が弟子よりも年下なのは少し違和感があるのだが……
そんなやり取りがしばらく続いた後、リアナがふと恵菜に尋ねる。
「……ねぇ。エナに一つ聞きたい事があるんだけど、いい?」
昼間にもクレリアから質問されていた恵菜はデジャヴを感じていたが、敢えてその事を口に出そうとはしない。
「何ですか?」
「エナってさ、その年で随分と魔法や古代語について詳しいじゃない? 一体どこで魔法や古代語を学んだの?」
リアナの質問を聞いて、恵菜は一体どう答えればいいのか悩む。リアナが尋ねてきたのは、クレリアと同じく答える事が難しいものだからだ。違うのは、クレリアの時は知らなかったのが原因で、リアナの場合は説明しづらいというのが理由だということ。
当然、恵菜が本当の事を全て話すのは可能である。だが、それをすればあの日ユーリエに真実を語った時と同じ状況になりかねない。それを避けるべく、恵菜は少し表現を曖昧にして答える。
「教えてくれた人は違いますけど、古代語も魔法も、私がお世話になった命の恩人から教えてもらいました」
古代語だけでなく、全ての言語を理解させてくれたのは神様であり、恵菜が病気で死ぬ運命を変えてくれた。また、魔法を教えてくれたユーリエは、怪我をして意識を失っていた恵菜を助けてくれた。
一応、海で浮かんでいた恵菜を海岸まで運んでくれた命の恩イルカも魔法の修行に付き合ってくれていたが、さすがにイルカに魔法を教えてもらったなどとは説明できないので、恵菜は心の中で謝りながらもイルカの事は黙ることにした。
「い、命の恩人? どこで何してたら死にそうになるのよ?」
「一度は病気で、もう一度は魔物に襲われました」
病気に関しては事実だが、魔物に襲われたというのは間接的なもので、直接的な原因は崖から飛び降りたことだ。しかし、それを話せば絶対に白い目で見られることは分かりきっていたため、これも恵菜は詳しく言う事を避ける。
「……まぁでも、今のエナがその人達のおかげっていうんなら、余程立派な魔術師だったんでしょうね。ちなみに、その人達って誰か教えてくれたりする?」
「それは秘密です」
神様については流石にリアナも信じようとはしないだろう。また、ユーリエは人里離れた辺境の地でひっそりと暮らしており、あまり公に知られたくないであろうことは簡単に推測できる。そのため、恵菜はその人物達が誰であるかは完全に黙秘を貫く構えだった。
「はぁ……そんなことだろうと思ったわよ」
恵菜があまり詳しく話そうとしたがらない事に対し、リアナは大きくため息を吐くが、言う程残念そうには見えない。まるで恵菜が何も言わない事を予測していたかのようだ。
「えへへ……そうだ、私からも一つ聞かせてもらってもいいですか?」
「ん? 別にいいけど」
リアナの質問に答えた代わりに、今度は恵菜がリアナに質問を返す。
「リアナさんって、私の事をどう思ってますか?」
「どう、って」
「えっと、初めてリアナさんに会った時と今とで比べると、少し雰囲気が違う様な感じがしたので」
リアナに対する質問、それは護衛初日にクレリアが恵菜に訊いたものと言葉は違えど、内容はほぼ同じ質問だった。
一瞬目をパチクリさせたリアナだったが、「そうねー……」と呟きながら空を見上げる。
「最初にギルドで会った時は何とも思わなかったわ。そこら辺を歩いてる他人と何も変わらないし、気にもならなかった。でも、今はそんな感じじゃない、っていうか……」
だんだんと歯切れが悪くなるリアナの言葉に、恵菜は首を傾げる。
「? 今はどうなんですか?」
「あー、今は何というか、その……ちょっと仲良くできたらなぁ、とか思ってたり……」
「…………」
段々と声が小さくなりながらリアナが答えた予想外の内容に、ポカンとする恵菜。一方、それを言った本人は――
「な、何よ! そりゃこんな性格だから周りから嫌われ者にされることなんて日常茶飯事だし、あたしも自分が悪いって少しぐらい思ってるわよ! でもあたしだって仲の良い友達とかちょっと憧れるっていうか……って、この事他の皆には言わないでよ!? 特にガンザなんかに知られたら絶対からかってくるに決まってるんだから!」
恥ずかしさからか、顔を真っ赤にして矢継ぎ早に言葉を飛ばしていた。周りに起きている人がいないかをキョロキョロと確認しながら、小さな大声を出すという器用な事をしている。
普段の態度とかなり違うリアナのあたふたと慌てている様子を見て、失礼ながらもかわいいと思ってしまう恵菜だったが、いつまでもこの状態にしておくのはマズイ。誰かに見られようものなら変な人と思われてしまいかねない(既に一部の冒険者からはおかしいと思われているが……)。
「誰にも言いません、私の事も黙ってもらってるんですから。それに、仲良くしたいっていうのは私も同じですよ」
「ふぇ?」
落ち着かせようと笑顔でそう言う恵菜を見て、リアナは目を見開く。
「ほんとに……?」
「はい。本当です」
「いいの? さっきも言ったけど、あたしってこんな性格で良く問題起こすし、周りから嫌われることも多いし……」
「それでも、トランナから出発する前に私の事を考えて護衛配置を決めてくれたじゃないですか。親切にしてくれる人を嫌いになろうとは思いませんよ。あと、私も良く問題は起こしたり巻き込まれたりしてますから慣れっこです。ほら、もうお互い訓練場で問題起こしたばかりじゃないですか」
「……何かそれはそれで駄目な気がするんだけど」
さも問題なさそうに言う恵菜に対し、リアナは問題だらけではないかと思わずにはいられない。しかし、恵菜はそんな事微塵も思っていないらしく、にこやかな表情で手を差し出す。
「仲良くしてくれますか?」
恵菜の言葉を聞き、差し出された手を見たリアナは、一瞬どうするべきかと考える。だが、自分の方から仲良くしたいと言ったのだ。リアナが望んでいたことを自ら断る理由などどこにもない。
「もちろんよ!」
いつもの雰囲気で、リアナは恵菜が差し出す手を握る。
「これからもよろしくお願いします」
「こっちこそ、よろしくね」
しっかりと握手をしながら、互いに仲良くすることを確かめ合う。
恵菜にとって、この世界で初めての友人ができた瞬間だった。
イルカは友人じゃなくて友イルカ(?)なので、友人としてはリアナが初。
次話は三日後に更新予定です。




