もたらされる凶報
恵菜が依頼を受けてから数時間後、一人の兵士が血相を変えてギルドに走り込んできた。
「はぁ、はぁ……失礼、至急ギルドに、伝えたいことが、あるのだが!」
息を切らせながらも必死に声を絞り出すその姿を見て、かなりの緊急事態であることを察した職員は急いでギルド長を呼びに走り、すぐにギルド長を連れて戻ってくる。
「何事じゃ?」
「そ、それが、東の林にフェンリルが出たらしく、それでギルドへの依頼として、フェンリルの討伐をお願いしたいのです。我々兵士の中にも実力のある者はいますが、恥ずかしながらフェンリルが相手では……」
兵士が報告した内容を聞いて、ギルド内が一瞬静まり返る。
だが、兵士の報告を聞いていた冒険者達が徐々にざわつき始めた。
「なぁ、フェンリルって何?」
「俺も見たことはないが、確か北の山脈に生息する魔物だったな」
「そんな魔物が何でこんな場所に」
「さぁな。でも、魔力を纏う毛皮や頑丈な骨、フェンリルから取れる素材は高価なものばかりらしいぜ。狩れば一攫千金も夢じゃねぇな」
「馬鹿、ランクが金の冒険者ですら命を落とすぐらい強いんだ。俺らでどうにかなるわけあるか」
冒険者達の声によって騒がしくなってきたギルドだったが、ギルド長が黙れと言わんばかりに彼らを睨みつけたことで静寂を取り戻す。
「その報告は真か?」
「は、はい。東にある村の村長から、三日前に林の入口付近に傷だらけで倒れている冒険者がいたと報告を受けまして、その傷が林に生息する魔物によるものとは思えないものだったそうです。正確には、体の所々を抉られていたり、何かで貫かれていたりといった傷だそうでして……トランナから兵士を送り調査をさせてみたところ、数人が白銀の狼を見たとのことです」
「兵士達は無事だったのか?」
「発見してすぐに撤退しようとしたらしいのですが、フェンリルも兵士の存在に気づいていたらしく、何人かが襲われて怪我を……ですが、兵士に死亡者は出ていないようです」
「馬鹿な、何故フェンリルの方から襲ってくるのだ……」
兵士から予想だにしなかった情報がもたらされ、ギルド長は戸惑いを隠せない。
フェンリルは突然襲い掛かってくる好戦的な魔物とは違う。
縄張りに入ったり、こちらから攻撃したりしなければ、基本的に監視するだけだ。
誤って縄張りに入ってしまった場合でも、フェンリルはまず威嚇するだけで、すぐに縄張りから出れば襲い掛かってこない。
だが兵士の報告では、発見してすぐに撤退しようとした所を襲われている。
こちらから手出ししていないのにフェンリルが襲ってきたことが、ギルド長は信じられなかった。
それ以前に、北に生息するはずの魔物がこんな南にいるのも変である。
その事も相まって、ギルド長の頭の中は混乱していたが、今は他の情報を集める必要があった。
「時間から考えると……ヒルデ、二、三日前に東へ向かった冒険者の中で未だに戻ってないのは?」
ギルド長に尋ねられ、しばらく書類の山を確認していたヒルデだったが、素早くその答えを出す。
「三名いらっしゃいます。いずれも同じパーティのメンバーで、蹴りウサギの肉の収集依頼を受けています。受注したのは三日前ですので、もう戻ってきていてもおかしくありませんが……」
「犠牲になった冒険者がその中の一人だとすると、他の二人が生きている可能性は低いか……」
ギルド長が歯軋りしながら拳を握りしめる。
冒険者が命を落とすことは珍しい事ではない。
今回にいたっては、普段はいない魔物に運悪く出くわしたことで発生した事故であり、事前に対処することなど不可能だ。
それでも、冒険者が死亡するような事故を防げなかったことに、ギルド長は微かな悔しさを感じていた。
だが、こうして後悔の念に囚われていては、同じような事件が起きかねない。
ギルド長はすぐに気持ちを切り替え、ギルド内にいる冒険者達の方へと向き直る。
「冒険者の諸君、聞いての通りだが、トランナの東にフェンリルが出没したようだ。後にギルドが正式に発表することになるだろうが、これより安全が確認されるまでの間、トランナの東方面、特に東の林へ向かうことは自粛するように。ギルド側としても、東での依頼は規制を掛けることに――」
「ギ、ギルド長!」
自分の力を過信した冒険者がフェンリルを討伐しようと目論むかもしれない。
そう判断したギルド長は、これ以上の犠牲者を出さないためにも東へ向かう事自体をやめさせようとするが、ヒルデが慌てて口を挟んでくる。
「どうした?」
「規制を掛けると仰っていましたが、既に今日東へ向かう必要のある依頼を受けた冒険者の方が何名か……!」
「くそっ、やはり既に受注した者もいるか!」
フェンリルが出没し、ギルド長から自粛命令が出たことを知る冒険者であるならば、東へ向かうことはまずないだろう。
しかし、今この場におらず、報告が入ってくる前に依頼を受けた冒険者はその情報を知らない。
「すぐに街の門へ使いを出せ! まだ街を出ていない可能性もある! 出発する前に止めるのだ!」
ギルド長の指示を聞いて、何名かの職員がギルドから飛び出していった。報告に来た兵士もそれに続く。
「ヒルデ、依頼を受けたのは何人だ?」
「……六名ですが、その中のほとんどはパーティでの受注です。依頼数で言えば三件となります」
ヒルデが書類の束を素早く確認して報告する。
思っていたより依頼を受けた冒険者グループが少ないことに、ギルド長は少し安堵した。
既にギルドが忙しくなるピークの時間帯は過ぎていたため、もっと多くの冒険者が依頼を受けていてもおかしくなかったのだ。
それに、パーティでの受注が多いという報告も今回は吉報である。
大抵の場合、冒険者はギルドで依頼を探した後、受注した依頼に合った装備や道具を揃える。そのため、出発の準備をするのは依頼を受けてからになる事が多い。
また、パーティを組んでの受注となれば、その人数が多い程、パーティ全員が準備できるのに時間がかかる。受注の時間にもよるが、運が良ければまだ出発していない可能性は十分あった。
「よし! 他の者は、先程言った規制の準備をしろ!」
「「「「「はい!」」」」」
ギルド長からの指示を受け、ギルド職員は速やかに規制の手続きを進める。
カウンターで冒険者の依頼受注を担当する者も自分の仕事を一旦止め、今回ばかりは非常事態のためそちらに専念している。
「儂は王都のギルドへフェンリル討伐の依頼を出す。ヒルデ、お前も手伝ってくれ」
「畏まりました」
ギルド長はフェンリル討伐の依頼を作成するためにヒルデを連れて部屋へと戻る。
王都へ依頼を要請する場合、トランナで依頼を出す時に比べて、依頼作成に必要な手続きの量が多く、手続き完了までに一、二日程遅れてしまう。
さらに、王都へ依頼が届くまでにも時間がかかるため、急いで手続きを完了させなければ、冒険者が依頼を受けられるようになるまで何日もかかってしまうのである。
本来なら門へ走った者達からの報告を待ちたかったのだろうが、今はギルド長としての責務がある。
ギルド長は誰も街を出ていないことを祈りつつ、ヒルデと共にフェンリル討伐依頼の手続きを始める。
だが、その祈りも空しく、しばらくして職員がノックも忘れてギルド長の部屋へと飛び込んでくる。
「ほ、報告します! 依頼を受注した冒険者が街から出たのかどうかを確認したところ、五名の冒険者が未だ街にいましたが、既に一人が街を出発したとのことです!」
ギルド職員の報告を聞いたヒルデは動かしていた手が止まり、ギルド長は思わず立ち上がって机から身を乗り出す。
「出発したのはいつだ!?」
街を出ていたとしても、出発してそう遅くなければまだ呼び戻せる。そう思ったギルド長だったが――
「あ、朝に出発しています……依頼を受注した時間から考えて、受注してすぐに街を出たようです」
職員の報告に、ギルド長は己の耳を疑う。依頼を受けて何も準備せずに街を出るなど、普通の冒険者にはあり得ないことだったからだ。
だが、最近普通の冒険者としての枠に収まらない新人がいたことを思い出す。
「その冒険者は誰だ?」
「シモヅキ・エナという冒険者です。街を出ていくところを、南門の兵士が確認しています」
予想が外れてほしいと思っていたギルド長だったが、想像した通りの名前が出てきて頭を抱える。
「……報告ご苦労だった、下へ戻って他の者を手伝ってやれ」
「分かりました」
報告に来た職員が部屋から出ていくのを見送り、今まで黙って聞いていたヒルデが立ち上がる。
「ギルド長、今すぐ呼び戻さなければエナさんが……!」
ヒルデが悲痛な面持ちでギルド長を見るが、ギルド長の表情は険しい。
「……その冒険者はここから南の森まで半日で移動できると聞いたぞ。朝に出発したとなれば、既に相当な距離を進んでいるだろうし、林に到着していてもおかしくない。今から呼び戻そうとしても遅い……」
「で、ですが……」
「それに呼び戻すにしてもだ、それができる冒険者はここにはおらん」
尚も食い下がろうとするヒルデに対して、ギルド長は非情な現実を突きつける。
恵菜が既に林へと入っていた場合、何かを探すことが得意な者でなければ恵菜を見つけるのは困難だ。
また、恵菜を呼び戻す役目を担った者が襲われる可能性もある。
「現在このギルドで活動している冒険者のランクは最高でも銀ランク。フェンリル討伐に必要なランクが金であることを考えると二次災害になりかねん」
ギルド長がそう諭すが、ヒルデもその事を理解していないわけではない。
ただ、今まで密かに支えてきた恵菜を助けることが諦めきれないのだ。
「……お前の気持ちも分かる。だが、今我々がすべき事は、一刻も早く王都のギルドへフェンリル討伐依頼を出すことだ。それに、まだ死ぬと決まったわけではないだろう。フェンリルに遭遇しないかもしれんし、王都から優秀な冒険者が来てフェンリルを討伐するまでの間、死なずに上手くやり過ごすことができていれば助けることもできる」
恵菜が危険な状況に陥っているのは間違いないだろう。だが、そもそも遭遇しなければフェンリルに殺されることもない。
「いつも予期せぬ事をやってのける、あの冒険者を今は信じるのだ。我々は我々のやるべきことをするのだ」
「はい……」
ギルド長の言葉を受け、ヒルデは依頼作成の手続きを再開するが、動かす手は重く、己の無力さを痛感せずにはいられなかった。
間に合わなかった規制線。
申し訳ありませんが、筆者が今週多忙なため、更新頻度が少し遅れます。
次話は三日後(水曜日)に更新予定です。
行間を調整しました。(2023/7/2)




