親の愛情
恵菜の予想通り、厨房を任されてからの客の入りは、充分回しきれる程度だった。客の注文も全て、メニューの中で恵菜が一番作りやすいチキン南蛮であったという幸運もあり、無事に営業終了を迎えることができた。
その働きには、ナーレイとミレンも感謝以外の言葉が出なかった。子供を助けてもらっただけでなく、その後の家族の時間まで作ってくれたのだから、当然と言えば当然だ。恵菜は「今は雇われている身なんで」と断っていたが、ナーレイらは何かお礼をしたいと言って聞かなかった。
そこで、恵菜は一つだけお願いをすることになる。それは――
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「あ~……一働きした後の温泉は格別だよね~……」
寝湯で寝転びながら、大きく伸びをした後に、そう一人呟く。だが、この場にその独り言に反応を示す者は誰もいない。
恵菜がお願いしたこと――それは温泉の貸切り利用だった。
少々急な話だったが、明日にはもう旅行を終えて帰路に就く。
ならば最後に思う存分、お風呂を堪能したい。そういった理由からのお願いである。
ただ、以前ならともかく、今やこの宿は大人気で人も多い。温泉も人気要素の一つであるため、そう簡単に貸切りなどできないはずだった。
それでもナーレイ達は恵菜のお願いを叶えてくれた。利用者がほとんどいない夜遅い時間ではあるものの、恵菜達だけが使えるようにしてくれたのだ。
「本当はもう寝てる時間だけど、まあ最後だし、良いよね」
恵菜は自らに言い聞かせ、夜更かしする罪悪感を払拭する。
明日は確実に寝過ごすだろう。とは言え、特に急いで街を出なければいけない理由も無い。リアナ達も待ってくれるはずだ。
「それにしても、リアナちゃん達、変に気を使わなくて良かったのに」
温泉を貸し切ってもらう時、恵菜以外にリアナとエリスも温泉を使えることになっていた。しかし、今日一番頑張ったのは恵菜だからと言って、二人は貸切り温泉を辞退。一緒に入っても良いと恵菜は言ったのだが、「皿を洗っただけで貸切りにしてもらうとか厚かまし過ぎるでしょ」という、リアナの言葉には何も返せず。
その結果、恵菜はこうして大浴場を独り占めすることになったのである。
「星、綺麗だなぁ」
空に浮かぶ無数の星々。小さいながらもキラキラと輝くそれらは、暗いはずの夜空を美しく彩る自然のイルミネーションだ。
「そういえば、昔、星は子供だって思ってた事があったっけ」
まだ幼くて何も知らなかった頃。恵菜は星は太陽と月の子供なのだと思っていた。太陽が父親で、月が母親。それに比べて小さい星達は、きっと彼らから生まれた存在で、成長すればアレぐらい大きくなるのだと。
その推測を、幼い恵菜は両親に自信満々に語ってみせたことがある。大外れの推測に何故そこまで自信を持てたのか謎過ぎて、今思うと少し恥ずかしい。
だが、彼女の両親はそれを馬鹿にすることは無かった。父親は「凄い大発見じゃないか」と恵菜を褒め、母親は「じゃあ恵菜は私達にとってのお星様ってことになるわね」と笑顔で話に乗ってくれた。
親なのだから当然だろう。言ってしまえばそれまでだ。
しかし、その親の愛情が恵菜にとっては嬉しかった。
「……家族、か」
親にとって子供は大切な存在。それは今日の出来事を見ても分かることだ。子供だった恵菜も、両親に大切にされているんだろうと感じたことはある。
だが、親になったことがない恵菜は、子供が大切だという感情を抱いたことがない。それがどういった気持ちから来るのかは、所詮、想像することしかできない。
両親はどういう気持ちで自分を見てくれていたのだろう。そんな疑問が出てくるが、答え合わせをしてくれる両親にはもう会えない。自分が親となれば分かるだろうが、今の所、結婚の予定は無く、する気も無い。
「……水華、起きてる?」
恵菜が上体を起こして、そう小声で呼びかける。
『エナ!』
一瞬の間があって、温泉の水面が揺れたかと思うと、水華がピョーンと飛び出してくる。精霊に睡眠が必要なのかは不明だが、こんな時間だというのに元気いっぱいだ。
『エナ、今日ハ何スルノ? オ話スル?』
「そうだね。お話するのもいいけど……もうちょっと、こっちに来てくれる?」
手招きする恵菜に首を傾げながらも、水華が恵菜に近寄る。
『来タヨ』
目の前でユラユラ揺れる水華。
恵菜はそのまま何も言わず、そっと水華を抱きしめた。
『? エナ?』
「……ごめんね。ちょっとズルいけど、このままでいさせて」
出会ってから二年。最初は何も知らなかった水華だったが、暇を見つけて話している間に知識を身に着けた。たどたどしかった話し方も、今では大分成長して自然なものになった。
水華は大精霊で、恵菜は人間。お互いに血の繋がりなどあるわけがない。
それでも、ここまで成長を見守ってきた恵菜にとって、水華は自身の子供の様な存在と言えた。家族でなくとも、とても大切で、いなくなってほしくない存在だった。
(そっか。こういう気持ちなのかも……)
この夜、恵菜は初めて、親の気持ちが分かった気がした。家族の関係では無いが、そこには確かに親の愛情というものがあった。
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「エナ! 起きて!」
大声と共に、ベッドで寝ていた恵菜の体が大きく揺すられる。
突然の事に恵菜は目を覚ますが、まだ眠そうだった。
昨日、夜更かし風呂を堪能していたせいだろう。もう既に日は昇っているみたいだが、起こされなければあと二、三時間は寝ていたかもしれない。
「……もう少し寝てたら駄目?」
「駄目よ! 寝たら死ぬわよ! お願いだから起きて」
雪山かとツッコミたくなるような事を言われ、仕方なく恵菜が体を起こす。
案の定、恵菜を起こしていたのはリアナだったが、既に着替えと荷物の整理を済ませた格好だった。エリスも着替えている最中だが、慌てているのかボタンを掛け違えまくっている。
「ほら! さっさと準備して! 急がないと間に合わないわ!」
「え? え? 待って、全然話に付いていけてないんだけど……何をそんなに急いでるの?」
昨日、恵菜がリアナ達と話した時には、今日の出発は午後としていたはずだ。まだ朝なのにそんなに急ぐ必要はない。だというのに、何故そこまで焦っているのか。
そんな疑問の答えがやっと返ってくる。
「国王様から呼び出されたのよ、エリスが! 緊急の用事があるから戻ってこいって!」
「さ、先程、お父様から遠話器で連絡がありまして……明日中に帰って来いと」
「……あれ、王都からここまで馬車で三日かかったよね?」
恵菜は自分の記憶がおかしいのかと不安になる。この街に来るまでの道中を思い出す限りでは、早めの馬車で三日かかっていたはずだ。それを一日というのはかなり無茶がある。
「その、私達がもう帰る途中だと思っていたようでして……本当であれば、二日前ぐらいにこの街を出ている予定だったのですが……」
「国王様に帰るの遅れるって言うの忘れてたの!」
「ええっ!?」
ここに来て、恵菜も事態の深刻さに気付く。
旅行の予定では、明日中には王都に到着しているはずだった。が、この街で色々あった結果、二日ほど予定が遅れている。それを国王に伝え忘れたのだ。
結果、国王はエリスが明日帰ってくるものと思っていたらしい。それを先程伝えたが、予定通り明日帰ってくるようにと言われた、というわけだ。
「えっと、その緊急の用事って少し遅らせたりできないの?」
恵菜の問いに、エリスとリアナが揃って首を横に振る。緊急と言っているのだから仕方ない。
「エナちゃん、その、この前みたいに転移で王都に戻るとかは……」
「ごめん、この前の魔法陣はもう用意してないから、ちょっと厳しいかも」
さすがにここで転移の魔法陣を描くわけにもいかない。温泉街と恵菜の家が繋がるのは魅力的だが、見知らぬ人間が簡単に恵菜の家に入って来れるようになるのはマズい。
「それじゃあもうこの街で一番早い馬車で帰るしかないわ! 国家権力チラつかせれば何とかなるでしょ!」
「権力の乱用は良くないんじゃ……」
「そんなこと言ってられないわよ! 下手すりゃ私達の首が飛ぶのよ!?」
今まで王族相手に打ち首スレスレ――いや、もう首を飛ばされてもおかしくないぐらいの行為をしてきたのに何を恐れるのか。そう恵菜は思ったが、いくら恐れ知らずのリアナも今回は深刻に物事を捉えているようだ。
「最悪、途中から恵菜がエリスだけ運んで連れ帰って!」
「ひっ!? またあの速さで運ばれるんですか!?」
「最悪の場合よ! いや、もう確実に運ばれることになるわ! その時は腹括りなさい!」
恵菜に抱えられて運ばれた経験のあるエリスが怯える。が、リアナの言う通り、明日中に帰りたいならそれぐらいしか方法は無い。
「とにかく、エナは早く準備して! あたしはエリスと馬車確保してくるから、宿の手続きは任せるわ!」
「ま、待ってください! まだ着替えが……ひゃあ!?」
「そんな服にいつまでかかってるのよ! ほら、これで良いわ! 行くわよ!」
リアナが掛け違えられたボタンを全て外してエリスの服をはだけさせ、脅威の早さで着付けさせてから外へ連れていく。この間、僅か二十秒弱。
呆気に取られる恵菜だったが、自分も急がなければならない。素早く着替えを済ませてから荷物を全て収納袋に放り込み、部屋を出て宿の受付へ向かう。
「おはようございます、ミレンさん!」
「おはよう。朝早くからバタバタしてるけど、どうしたの?」
「実はすぐここを出て行かなくちゃいけなくなって……」
「あら、それなら朝食も食べる余裕も無さそう?」
「すみません、ちょっと無さそうです」
「なら、お弁当を準備させるわ。――あなた! お弁当三つ早急に!」
ミレンが食堂にいるであろうナーレイに大声でオーダー。それと並行して、恵菜達の退出手続きを進めていく。
「あの、もしかしたらお弁当受け取る余裕があるかも怪しいんですが……」
「大丈夫、すぐできるわ」
「でも、三つも作るとなると流石に――」
「弁当三つできたぞ! 持って行ってくれ!」
恵菜の言葉の途中で、ナーレイから弁当が受付まで届けられる。想像を超える早さに、恵菜はポカンと口を開けて、目の前にある弁当を見つめることしかできなかった。
「あら、いつもより少し遅かったわね」
「流石に三つとなるとな。待たせて悪い」
「いや、待つとかいう次元じゃない早さだったんですけど……」
これでも遅いと言い始める二人。いったいどうやって作ったのか恵菜は聞いてみたが、ナーレイからは「秘密だ」と言われてしまった。
まあ言えないこともあるだろう。そう納得し、恵菜はお弁当を受け取った。
「はい。これで退出の手続きは終わったよ」
「え? あっ、ありがとうございます。すみません、本当は三人でちゃんと挨拶とお礼をしていくべきなんですけど」
「何言ってるの。お礼を言うのは私達よ。宿だけじゃなく子供まで助けてもらったんだから」
「そうとも。昨日のお礼だけじゃ返しきれない。また街に来ることがあったら寄ってくれ。いつでもお風呂を貸切るよ」
そう言われると、またここに来るしかないというものだ。いつになるかは分からないが、恵菜は絶対に、再びここへ来ようと心に決める。
「お世話になりました。また来ますね」
「ああ、またよろしく!」
「今後ともご贔屓に! 行ってらっしゃい!」
「行ってきます! あ、ミーシャちゃんとナッシュ君にもよろしく言っておいてください! それじゃ!」
宿を出た所で振り返り、そう言ってから街の馬車乗り場を目指して走り出す。目的地が近づいてきたところで、確保したであろう馬車の荷台からリアナとエリスが身を乗り出し、恵菜に向かって手を振っているのが見えた。
「揃ったわ。すぐに出して」
「あいよ! 出発!」
恵菜が乗り込んだ途端、すぐに馬車が出発する。朝も早いというだけあって、街の門を行き交う人も比較的少なく、スムーズに街を出ることができた。
「また、来られると良いですね」
「そうね。できれば、この三人で」
「じゃあ、その時はまたあの宿に行こうよ」
「けど、それだと何も変わらないわね。いっそのこと――」
後ろへ遠ざかっていく街並みを見ながら、三人は思い思いに次の旅行でどうしたいかを語り合う。
今回みたいに全員の時間が合う日が来るかは分からないが、きっと来ると信じて。
偽物の関係でも、その想いは本物。
これにて第六章は完結となります。
恵菜も自分以上に大切な存在がいると認識できた旅行となりました。
ほのぼの回とはいったい……いや、他の章に比べれば多少は……。
さて、エリスが緊急で呼び出されましたが、何があったのでしょうか。
答えは次の章で明らかに。




