温泉街ユムラン
たくさんの丸机と椅子が並ぶ部屋。食事処と思われるそこは、日が沈んだばかりという稼ぎ時にも関わらず閑散としている。明かりもほとんどが消され、まるで営業時間外かと思ってしまうぐらい暗い。
そんな中、一つの机の上に置かれた蝋燭が、小さく辺りを照らしていた。
「駄目だ……次の支払いは、もう……」
机に両肘を付き、頭を抱える男性。しっかりとした筋肉がついた体つきとは反対に、その呟きは弱弱しい。ふとしたことで崩れ落ちてしまいそうだ。
そんな彼のもとへ女性が駆け寄り、しゃがんでそっと肩に手を添える。そして、諦めるような発言をしていた彼を励ますように声をかけた。
「諦めちゃ駄目よ。次の支払い期限まで時間はあるんだから。頑張りましょう」
「だけど、このままじゃ借金が増えるだけだ。いっそのこと今から借金のカタにしたここを引き払った方が、怪我は軽いかもしれない……」
「それじゃアイツらの思う壺じゃない。ここを潰すのが目的なんだから。それに、ここを引き払ったとしても、難癖付けられて安く買いたたかれるわよ、きっと。そうなったら、従業員として死ぬまでこき使われちゃうかも。私達だけじゃなく、子供達まで」
「そんなっ! 俺のせいで作った借金なんだぞ! 俺だけならともかく、ミレンや子供達にまで……!」
ガタッと椅子を蹴飛ばして立ち上がった男性。その表情は困惑の一色で染まっている。が、女性はそれを聞いて軽く笑った。
「何言ってるの。あなただけのせいじゃない。ずっとあなたを応援していたのだから、私にも責任はあるわよ」
「でも……」
「大の男がそう弱気になってどうするの。自分の店を持つのが夢だったんでしょう? どうすれば借金を返せて続けられるのか。今はそれを考えましょう。ほら」
諭された男性は、今にも泣きだしそうな顔をしながらも、隣に座る妻と向かい合う。
一方、ポジティブに夫の背中を押していた彼女とて、何か具体的な案があったわけではない。ただ、落ち込んでいては何も解決しないことは目に見えていたから。何もせず腐るよりは、何かして足掻いてやろうという気持ちから夫を励ましていたのだ。
もしかすれば、二人で話しているうちに今を打開できる方法を思いつくかもしれない。そう信じて、彼女達はあれやこれやと会議を始めた。
――と、そんな二人が気づかないように、離れた位置で少しだけ空いていた扉が閉まった。扉を閉めた小さな影二つはコソコソと動き、会議を続けているであろう二人の部屋から離れた位置で立ち止まる。
「ミーシャ。俺らで何とかしよう」
「お兄ちゃん?」
「このままだと俺達、家が無くなっちまう。父さんや母さんに任せっぱなしじゃなくて、俺らも助けにならないと!」
「何をするの?」
「それは……う~ん……そうだ、客だ! 客を集めるんだよ! 客がいっぱい来れば、金が儲かる! そうだろ!」
名案だと言わんばかりに当然のことを語る少年。だが、それを聞いた少女は納得のいった表情で両手を合わせる。
「なるほど! じゃあ、どうやってお客さんを集めよっか?」
「外で声をかけまくるんだ。そうして、客を引っ張ってくればいい。ほら、屋台のおっちゃんとかもやってるだろ。あれと同じ感じでさ」
「そんなので集まるの?」
「集まるさ、きっと! よし、明日の朝の手伝い済ませたら、二人で街に出て呼び込み開始だ!」
疑問符を浮かべる少女。だが、少年の元気の良さだけの説得とやる気に押され、深く考えずに納得するのだった。
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「着いたー!」
馬車から颯爽と飛び降りたリアナが思いっきり背伸びして、両手を空に付き上げる。その後から馬車をゆっくりと降りたエリスは、目の前に広がる街の様子を眺める。
「ここがユムラン……。想像以上に発展はしているのですね」
フリフォニア王都から北へ馬車で三日ほど進んだ先にある温泉街は――ユムラン。温泉を掘り当ててから驚くべき短期間で開発が進んだこの街は、街になってからまだ一年も経っていない。
そのため整備が整っていない所も多いはず。そうエリスは思っていたのだろう。だが、道は既に舗装がなされており、平屋だけではなく石造りの複層の建物も見受けられる。流石に王都と比べれば発展の度合いは劣るだろうが、露店もあちこちに出ており、賑やかさだけなら引けを取らない。
「ほんと、結構栄えてるのね。もうちょっと寂しい街かと思ってたわ」
「噂で聞くだけでは駄目なのですね。実際に目で見て、初めて分かることがある。私もエナちゃんを見習って色々な所へ行きたくなってきました」
「いやー、立場上どうなんだろ。ま、エリスのお父様次第かしら」
「そうですね。今回みたいに三人だけで行くとなると、前準備が大変そうですが」
今回の旅行のために、二人は入念な計画を立ててきた。もう一度やると言っても、そう簡単にはいかない。
中でも一番の障害になりそうなのは、エリスの都合だろう。彼女の場合、「ちょっと出かけてくる」と気軽にお出かけはできないのだから。
「さて。まだ夜まで時間はあるけど、先に宿を探すとしま――」
「ねえ、その前にちょっと聞きたいんだけど」
二人から遅れて、ローブ姿……ではなく、これまたエリスと同じように町娘の恰好をした恵菜が馬車から顔を出す。頭巾を被ったその姿は、まるでお使いを頼まれて街へ出かけた少女。あまりにも似合い過ぎていて、エリス以上に一般人らしく見えている(リアナ談)。
「ん、何? もしかして、その服は嫌だった?」
「いや、恰好は別に気にしてないよ。むしろ、ちょっと新鮮な感じ」
馬車旅初日はローブ姿だった恵菜が着替えた理由。それは道中で話した恵菜の冒険譚のせいである。リルシャート王国での活躍を話すうちに、「そこまでしてると世間に知れ渡っていそう」と、恵菜の身バレを危惧したリアナが着替えさせたのだ。
「じゃあ、どうしたの?」
「いや、この住民証なんだけどね」
そう言って、恵菜は住民証に書かれた名前を見せる。
「名前が『エナ』としか書いてないけど、苗字はいらないの? エリスちゃんの方も入ってなかったというか、そもそもエリスちゃんの本名って『エリステリア』じゃなかった?」
名乗る時には言わなくなってしまったため、本人も最近忘れてしまいがちだが、恵菜には『霜月』という苗字がある。だというのに、恵菜が持っている住民証には名前しか書かれていなかった。
この疑問は、勝手に発行された住民証を受け取った時には既に抱いていた。が、他の住民証を知らない故に、それが当たり前なのかもしれない。そう思い、恵菜は特に何も言わなかった。
……が、この街に入る時にチラッと恵菜の目に映ったエリスの住民証。そこに書かれていたのは愛称であり、本名ですらなかった。もはや偽名に近い……というより偽名そのものだ。
「ああ。実は貴族の方は住民証を発行するとき、そのまま本名を記載しなくても良いのですよ」
その疑問に答えたのは、偽名を使った張本人だった。
「今回のように、貴族の方は視察目的でコッソリと領内の街を訪れることがよくあります。その際、貴族だとすぐ分かってしまう本物の証明証の代わりに、愛称や家名抜きの証明証を使うのですよ。防犯目的でもありますね」
「私は貴族だーって言ってるようなもんだしね。寝ているところに盗人が入ってきても困るでしょ?」
「ああ、言われてみれば、確かにそうだね」
お忍び視察は、護衛の数は最小限であることがほとんど。それを好機と見た者が悪事を働く可能性は否定できない。
「当然ですが、他国に行く際は使えませんよ? フリフォニア国内だけです」
「そうなんだ。うーん、冒険者カードの代わりに使えるかなって思ったんだけど」
「あ、悪用しないでくださいね? 発行させた私の責任も問われそうなので……」
残念がる恵菜を見て、エリスが不安を募らせる。もちろん、言われてしまった以上、恵菜はそんなことをする気はない。言われなかったらやっていたかもしれないが。
「ところで、どうしてまた住民証の確認を? 渡した時に偽装じゃないって言ったと思うけど」
「いや、リアナちゃんが絡んでると、ちょっと不安になるというか」
「どういう意味よ!?」
「だって、馬車の中での話を聞いてるとどうしても気になるよ。あんな感じの犯罪にはならないギリギリの方法を考えてそうで……」
「あー……そうですね。リアナちゃんは私達が思いつかないことを、たくさん思いつきますからね……」
馬車の中での話を思い出しながら、エリスが恵菜の言葉に納得する。
「一人の時とかならまだしも、流石にエリスを巻き込んで危険な真似はしないわよ! ほら、馬鹿みたいなこと話してないで、宿探すわよ!」
「あ、リアナちゃん。御者の方から聞いたのですが、あちらに見える宿がオススメだそうです」
そう言ってエリスが指差すのは、少し離れた位置に見える大きな建物。辺りの建物と比べて明らかにデカく、この街一番の大きさだ。
「そうなの? じゃあ、あそこに行ってみましょっか」
迷うことなく、エリスは真っ直ぐ目的の建物へと歩みを進め始める。あまりの迷いのなさに、恵菜は先程とは別の不安を覚える。
「結構豪華な建物に見えるけど、お金とか大丈夫?」
「心配性ねえ。王都の一等地じゃあるまいし、こんな遠くの土地でぼったくられはしないでしょ」
観光の街とは言っても、高が知れている。不安がる恵菜を見て笑うリアナだったが――
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「――一泊で銀貨五十枚となります」
「……は?」
宿で告げられた金額に、リアナは思わず呆けた声を上げた。
期待に応えたお値段。
登場人物の名前を修正しました。(2020/05/24)




